意識的に空白をつくりその中に飛び込まなければならない
朝日カルチャーセンターの
レクチャーに小学生が6人来ていて、
話はどうしても彼ら/彼女たち向けになった。
昨日の朝日新聞で、保坂和志が空白の
ことを書いていた。
子供には、大いなる空白がある。
その空白こそが贅沢だし、希望だ。
大学に進学したり、
新しい分野に参入したり、
誰かと会ったりした時の
キラキラは、
空白のなせるわざなのだろう。
そのキラキラの空白が、次第に
手あかがついてくすんでいく、
そんな様子を見ると哀しくなる。
いつまでも最初のキラキラの空白を
忘れたくないし、
常にそのような空白をつくり続けなければ
いけないと思う。
部屋の掃除のことを考えれば
判るように、
空白というのは最初から存在するものではなく、
自ら能動的につくるものなのだ。
小学生は自然に空白の中にいるけれども、
大人は、意識的にvoidをつくり、その
中に飛び込まなければならない。
そんなことを思った。
8月 19, 2005 at 07:28 午前 | Permalink
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
空白を意識的に創るには、やはり何にでも好奇心(それも知的好奇心)を持ちつづけて、興味を持ったものに飛びこむほうがベターかなと思います。人は好奇心を失うと、そんな事知ったってナンになるんだ、という思いが強まり、結果精神的に老いてしまうらしいです。何時までも老いないためにも、意識的に空白を作っていきたいと思います。死ぬまで興味津々の心を失わないでいけるといいなあ。
投稿: 銀鏡反応 | 2005/08/19 19:20:53
空白ってやはりずんずん進む人でないと生じないでしょうね。そうして生まれる空白を何をもってどのように埋めることができるか、それがわくわくを引き起こす。そしてまた進む、空白できる、これをいくつになってもくりかえせればいいのだがなあ。
投稿: イガラシシゲル | 2005/08/19 9:09:09