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2005/08/23

大切な鏡

 ヨーロッパというのは不思議なところで、
当たり前だが、国境を越えると雰囲気が一変する。

 フランクフルト、マドリッドを経由して
ラコルーニャまで来たが、
 乗り換えの時に、ゲルマンから
ラテンへの雰囲気の変化は、空気の
温度が一気に何度か上昇するような
気分だった。

 ラコルーニャのタクシー乗り場で、
誰も並ぼうとしない。
 適当にそのあたりにたむろしていて、
適当に乗ってしまう。

 ふわーっと煙草を吹かしていた
女性が、一番あとから来たのに
真っ先に乗った。

 たまたまお目にかかった
 産業技術総合研究所の永井 聖剛さんと
乗り合わせでホテルに向かいながら、
「ひょっとしたらあれはレディー・ファースト
だったのか?」
と思った。

 スペインにはスペインのやり方が
あるに違いない。
 バールに入り、ビールを注文して
様子を見ていると、
 身のこなし方がイギリスのパブとは
全く違う。
 ラコルーニャには有名なサッカーチームが
あるそうだが、なるほど、サッカーは
上手そうである。
 ぴちぴちとイキの良い魚のように、
上半身をくいっ、くいっと
 動かしてくる。

 日本の居酒屋の身のこなしが
懐かしい。
 異質な他者は、「私」を映し出す
大切な鏡である。

 ドイツ、フランス、スペイン、イタリア、
イギリス・・・・
 これだけ性格の違う他者が狭い地域に
ひしめき合っていたことが、
 ヨーロッパ文化の発展の礎だったことは
間違いない。

 私たちも、中国人や韓国人を大切にしよう。

 ネットでニュースをチェックすると、
駒大苫小牧高校は、せっかく二連覇
したのに野球部長の暴力事件で
いろいろな催しものが中止だという。
 高知の高校が出場できなかったという
ニュースもあった。
 この集団主義には、首をひねる。
 悪い意味で、戦前の日本のようである。
 高野連というのは、よほどご立派な
おじさま方によって運営されているに
違いない。 

 2005年のこの時代に、
恐るべき集団主義を墨守する
ひとたちはまさに違和感を覚える
異質な他者であるが、
 この鏡はあまり大切にしたいとは
残念ながら思わない。
 小泉じゃないけど、誰か
あの組織を
ぶっこわしてあげたらどうか。

 飛行機の中はずっと解析をしてきた。
 雑事が消えて、すーっと集中する
感じが良い。
 やっぱり、研究は楽しい。
 ホテルで、田谷文彦と
inattentional blindness、
change blindnessまわりのことに
ついて議論した。
 バールにはそれから行ったのである。

 田谷はサッカーファンで、もうすでに
スタジアムの下見は済ませてあるという。

8月 23, 2005 at 02:52 午後 |

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コメント

お久しぶり

>ばれなければ何をやっても良い
そう思ってる奴はばれようがなんだろうが何でもやる(w

そもそも、高校野球をキレイ事にしたがるのは朝日新聞の策略である(w
聞いた話では、もともと朝日は野球は青少年に有害だとかいうキャンペーンをやっていたそうで、その手前、野球大会を主催するのに、やれ青少年の教育がどうたらいう空虚な絵空事を平然と口にしているわけである。

所詮人間だから、まあよからぬことの一つや二つやらかすわけで、それはそれで反省する必要があるが、やれ大会に出さないだの優勝を取り消すだのとかいう恫喝で青少年をまるで犬のごとく屈服させようなどというのは、もはや教育というより調教である。そもそもそんなやりかたは犬の調教としても大いに失敗で、噛み付かれるのがオチだといわざるを得ない。

投稿: JA | 2005/08/24 16:51:50

高校野球の不祥事の件で、一つ言わせて頂ければ、暴力事件があったから出場停止になったのではなく、その事実を隠蔽していた事が一番の原因だったという話ではないかと思います。三菱のトラックの欠陥車の話や、さかのぼれば雪印の事件の時などもそうですが、人間の集団、間違う事もある訳で、大切なのはその事を公にして、自らやった事の責任を明確にする事ではないでしょうか。
ばれなければ何をやっても良いという話になれば、世の中、滅茶苦茶になってしまいます。
連帯責任が必ずしもいいとは思いませんが、
「隠す」行為を許す社会は「嘘」を認める社会につながります。
 しかも、高野連は現代では、連帯責任は問わないという方向性で運営されているはずなのに、なぜ、学校側は正直に報告しなかったのか。そちらの方が、余程、私には不思議です。


投稿: 水瓶座 | 2005/08/24 0:27:58

>異質な他者は、「私」を映し出す大切な鏡である。
茂木先生のおっしゃるように、まさに他者の存在は私という者をシッカリと映し出してくれます。駒大苫小牧の場合は別として。
異質な他者を、異質であるというだけで排除するのはファシズムに直結する危険をはらんでいます。
>私達も、中国人や韓国人を大切にしよう。
やはり、文化的、民族的等の違いを認めつつ、お互いに異質者同士が仲良くしていくことが、友好の大きなポイントなのですね。他者を認めるということは、「私」の中の「寛容」を目覚めさせ、「私」を豊かなレヴェルに引き上げてくれるような気がするのです。中国や韓国は日本に豊かな文化を伝えてくれた恩人の国だと私は思います。私達日本人は、昨今の反日風潮に惑わされて、中国・韓国に憎悪を抱いてはいないでしょうか。そうではなく、私達が過去の悪逆な行為を永遠に反省しつづけるうえで、文化・芸術・教育での友好交流こそ、日本がこの両国と仲良くできる確かな道だと思います。
長くなりました。きょうはこの辺で失礼します。

投稿: 銀鏡反応 | 2005/08/23 19:21:43

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