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2005/08/07

封印された思いが復讐するとき

 コンビニに買い物にいって、
 巨大なシャチの風船フィギュアが
天上からぶら下がっているのを見た時、
 なぜか知らないけど奇妙な思いに撃たれた。
 その思いの内実は、シャチとも風船とも
違うから不思議である。

 時間の流れの中で、
かつてあったものが消えてしまう、
ということについて、人間はかならず
割り切れない思いを抱く。
 しかし、その思いは、この世界の中で
機能主義的な意味において生き抜く
上では何の役にも立たない。
 
 従って、人は、次第に、何の役にも
立たない自分の感慨を封印する
ことを学んでいくのだ。

 暗闇を見つめて、その無限の広がりの
感触や、やわらかな気配に思いを寄せる
ことも、何の役にも立たない。
 それは、せいぜい、夜更けに歩く
街や、
 朝方のキャンプファイヤーや、ふと目が
覚めて見上げた月などに瞬間的に
感じて、さっと忘れ去られてしまえば
良いだけの何かになってしまう。

 私がコンビニの天井を見上げて考えたこと。
それは、
これらの、流通主義、機能主義に封印されて
十分にその潜在性が発揮できていない思いたちは、
いつか必ず復讐しに戻ってくるに違いない、という
ことだった。

 子供のころ、親と旅行にいって、しばらく
ぶりに家に帰ってくると、とても「なつかしい」
気がした。
 夏になり、最初に学校のプールに入った
時、鼻がつんとするのが新鮮だった。

 あの時、確かにあったあれらの思いたちは、
今はどこに行ってしまったのか、
これは人生全体にかかわるような重い問い
だと思うが、そういうものを封印して
とにかくうまく踊って見せる、
というのが現代においては適応的である。
 
 しかし、人生の本質を考えれば、
踊りと封印された思いの、
どちらの方が本当に魂にとっては重要か
ということは明らかなのであって、
 重要であるにもかかわらず踊りのために
封印された
ものは、きっといつかその本当の姿を
現すに違いない。

 そして、その潜在性を十全に発揮することで、
美しい復讐を遂げるに違いない。
 
 そのことに賭けよう、と私は思った。
 
 そんなことを思ったのが、現代の流通
文化を象徴するコンビニの前だったという
ことには、はっきりとした脈絡があるのだろう。
 
The Qualia Journal
True Days of Infamy

8月 7, 2005 at 08:31 午前 |

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コメント

私は常に毅然とした人間としていたいが為に、
はずかしいあらゆる欲望や思いを封印してこようとしてきました。美しい復讐をひそかにおそれて。
しかし、ついに私にも、その復讐の兆しがあらわれました。
最近、恋というものについて、強烈に思いを廻らすようになってきました。
つまりは、人恋しさをやたらと感ずるようになったのです…。

投稿: 銀鏡反応 | 2005/08/09 19:27:29

 昔は感動家で、些細な事でもよく涙していました。
大きくなって、それでは社会的に都合が悪くなってきて、上手い具合に泣き方を忘れたものです。
 しかし、最近、またよく泣くようになりました。美しい復讐の兆しなのかもしれません。

投稿: | 2005/08/07 20:17:51

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