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2005/08/23

文脈の中でしか生きられない

ヨミウリ・ウィークリー
2005年9月4日号
(2005年8月22日発売)
茂木健一郎  脳の中の人生 第66回

文脈の中でしか生きられない

一部引用

 以前、学会に参加するために、イタリアを訪れていた時のことである。
 学会は斜塔で有名なピサで開かれていた。まる一日空いたので、フィレンツェに列車で向かった。急行に乗るつもりが、間違えて各駅停車に乗ってしまった。いつまで経ってもフィレンツェに着かず、次第にあせり始めた。まわりはイタリア人ばかりで、訳の判らないイタリア語が飛び交っていた。
 そのうちに、いたたまれないほど重苦しい感覚に襲われ始めた。それまでの私は、旅行者としてイタリアを楽しんでいた。イタリア人に囲まれることで、突然、自分がイタリアそのものの中に投げ出された気がした。これからイタリア語で仕事をして、イタリア語で恋をし、イタリア語で家族を育てなければならない。そのような逃げ場のない状況の中に自分が追い込まれてしまったように感じたのである。
 帰るべき母国があってこそ、旅行者としての楽しみが可能になる。普段の生活とは違った「文脈」の中で、旅する人の役割を「演ずる」ことにこそ喜びがあるのである。異国という文脈が唯一のものになってしまうと、そこに現れるのはむしろ逃げ場のない生活である。そうなってしまうと、苦しい。私がイタリアの列車の中で感じたのは、その重苦しさだった。
 
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

8月 23, 2005 at 02:57 午後 |

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コメント

tecutecuさま

コメントありがとうございます。
そうか、tecutecuさんは飛び込んだのですね。
大変なこともあるかと思いますが、
どうぞ楽しさと喜びに満ちた毎日でありますように!

「日本に何かを演じに帰っている」
という言葉にしみじみと感じ入りました。

投稿: | 2005/08/26 11:47:33

まさに私のことのように思いました。帰るべき母国があってこそ、旅行者としての楽しみが可能というのはその通りです。1年ほど前にイタリア人と結婚したのですが、役所や銀行なんかに行かなくても近所のスーパーや公園で座ったときでも、おっしゃるとおり逃げ場がないと言うか押さえつけられたような気持ちがわき上がります。それに加えて自分の実力、限界もだいたい知っているので二重の苦しさです。というわけで、私はイタリアで旅行者を演じる事はできないので、日本に何かを演じに帰っています。

投稿: | 2005/08/26 6:03:48

恋人という文脈の中にどっぷりつかっていると、彼氏・彼女がいる時は、他の異性ともいきいきと交流できるが、ふられると、とたんに余裕がなくなる、という人は少なくないと思う。
それを思い出しました。

投稿: | 2005/08/24 14:54:58

 茂木先生がおっしゃる「文脈」と言う言葉は、英語だと「context」、つまり「前後関係」とか「脈絡」になると思うのですが、日本語で「文脈」と言われると、どうしても文章に書かれてあることを意味してるので、話が非常にわかりにくいと思います。一体「文脈」ってどの文章のことを指して言っているのか、考えてしまいました。
 それとも、私の勉強不足というか「文脈」ってこういう風にも日本語では使われるものなんですかね?

投稿: | 2005/08/23 22:06:40

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