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2005/07/25

胸で石炭かっか

 胆石の手術で退院した後、しばらく見舞いに
行けなかった母親の顔を見に
実家に行った。

 少しやせたが、元気そうだった。

 一緒に30分くらい歩いたのだが、
その間、次々と知り合いと挨拶しているので、
笑ってしまった。
 顔が広いことは知っていたが、
 これでは、知り合いの
雨粒の中を歩いているようである。

 久しぶりに捕虫網を取り出して降ってみた。
 どうせキャッチ・アンド・リリースであるが、
アオスジアゲハに振って逃げられた時、
 忘れていた感覚を思い出した。

 このところ、養老孟司さんの影響もあって、
外に出ると甲虫ばかり探していたが、
 蝶は蝶でやっぱり良い。
 瞬間の緊張感があるのだ。
 素早く、複雑な軌道で飛ぶ相手に対して
瞬時の判断で網を振る。
 そうか、オレは子どもの頃剣士だったのだなと
納得する。

 時には、一世一代というような瞬間もある。
 もっとも緊張するのは、「迷蝶」(まよいちょう)
だった。
 普段はいない蝶が、台風など、何かの理由で
迷い込んで来ることがあった。
 滅多にないことだから、それを採れるか
どうかは、
 子どもの人生の他の何よりも緊張し、
重大な瞬間だったのである。

 もっとも燃え上がったのは、家の近くの
神社の森にアオバセセリが来た時だった。
 後にも先にも、そのときにしか見たことが
ない。

http://www.insects.jp/kon-tyoaoba.htm

 一目見てアオバセセリだと判って、
「何でこいつがここにいるんだ!」
と心臓が喉から飛び上がりそうになって、
 駆けだしていった。

 何しろ速く飛ぶやつなので、
躊躇している暇はない。
 ばっと寄って、ぶるんと一振りする時間
しかなかった。

 一瞬、採れたかと思ったが、
アオバセセリは稲妻のごとき青緑色の
印象だけを残して、
 虚空に消えていってしまった。

 昨日の琴欧州も一世一代だったのだろう。
 もっとも、琴欧州にはまたチャンスが巡って
くるだろう。
 私のアオバセセリは二度と帰ってこない。

 子どもの頃の蝶とのあれこれを思い出していると、
自分が再び小学校6年生に還ったような気がして、
 胸のあたりが熱せられた石炭のようになるのである。

 今日、明日と九州大学。台風は大丈夫だろうか。

The Qualia Journal
Fellow travelers in the platonic world

7月 25, 2005 at 06:06 午前 |

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