« 胸で石炭かっか | トップページ | 旋回のち着陸 »

2005/07/26

成熟の底にあるもの

箱崎の九州大学へ。

 工学部本館で落ち合い、
 ユーザーサイエンス機構(USI)の
坂口光一さんや目黒実さんに連れられて、
 キャンパス内の「六角堂」で昼食。

 三浦佳世さん、大貫宏一郎さん、田村馨さん、
新名佐知子さん、遠藤綾さん、藤原昌子さん
などなどとお話する。

 本部に戻り、大津留榮佐久さんも加わり、
議論。
 「子ども」の持つ可能性をいかに
とらえるか。
 大人の中の「子ども」をどのように
引き出すか。

 デザイナーの平松暁さんご夫妻
がいらして、 
 ギャラリーに向かい、
 「島プロジェクト」の話を伺う。

 大橋の
 九州大学芸術工学研究院へ。
 綿貫茂喜さん、安河内朗さんと合流。

 「麦めし」屋で会食。

 綿貫先生の行きつけの中洲の店へ。
 さらに懇談。

 暑い一日だったが、子どもの頃
小倉の母の実家に毎年来ていたので、
九州の暑さにはなじみがある。
 夜になると、中洲を渡る風も
やや涼しくなって、
 暑さの底にあったものが見えてくる。

 子どもの頃は、夜の暑さを
ビールを飲まずにやり過ごしていた
わけだけれども、
 あの時にしか見えていなかったものも
あるように思う。

 成熟の底にあるものを見極める
必要がある。
 世間知らずのガキのままでいることは
許されないが、
 成熟だけで覆い尽くすことももったいない。

 子どもの頃感じた九州の夜の
暑く暗い空気のことを思い出す。

 母の実家は当時は周囲に自然が残り、
少し離れた場所にある神社の森が黒々と
何かを誘っているように見えた。

 いまその場所は大規模なショッピングモールに
なっている。

The Qualia Journal
The potentialities of children

7月 26, 2005 at 08:01 午前 |

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 成熟の底にあるもの:

コメント

母という言葉を聞いて思い出すのは、
本居宣長の母親が離れて暮らす息子の
深酒などを気遣って送ったと言う手紙にあった
「遠方ながら母 見てい申す」という
文字ですよね。
本当にこの言葉の意味がわかる事が、
「もののあはれ」を知るという事ではないかと
感じます。
この母にしてこの子あり、という手紙の
文面です。

投稿: | 2005/07/27 21:58:08

コメントを書く