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2005/07/15

知音会から地中美術館へ

朝8時前、霞ヶ関駅で降り、
日比谷公園の中を抜けて帝国ホテルへ。
 作曲家の三枝成彰さんのご依頼で
「知音会」で脳について話す。

 「知音」(ちいん)は、
中国で、自分の演奏を愛してくれた
友人が亡くなった時に琴の弦を切って
二度と弾かなかった名人の故事に
由来する。
 自分のことを一番よく理解してくれる
人を知音と言う。

 元文部大臣の遠山敦子さんをはじめとして
偉い方々ばかり。

 終了後、三枝さんがタクシーで広尾まで
送ってくださった。
 車中、ずっと三枝さんの話を聞く。 

 作曲家になったのは父親の希望で、
自分で望んだのではなかった。
 現代音楽が志望だったが、
難しい側面がたくさんあった。
あなたの作品発表に来ているのは
知り合いや親戚ばかりじゃないのと言われた。
 ヨーロッパに行けば、なぜ日本の音楽を
やらないのか、と言われた。
 
 46歳の時にオラトリオ『ヤマトタケル』
を書いたのがきっかけで、何かから解放
されたような気がした。
  
 ヨーロッパの音楽は、伝統的に、
快楽をストレートに解放することを嫌う。
 だからポップスはバカにされる。
 バッハなんか、ずっと禁欲的に行くでしょ。
 ただ、バッハは、同時に、泣かせる情緒性を
持っているから、
 あれはロマン派の先駆けなんだね。
・・・・

 三枝さんと別れ、聖心女子大学へ。
 来週の試験前の最後の授業。
 今までやったことをふり返り、
 その後小津安二郎『東京物語』
の最後の30分を見て、
 「他人の心は判るか?」という
ことについて考えてもらった。

 東京芸術大学に移動。
 地中美術館の秋元雄史さんに授業を
していただく。
 内藤礼さんや宮島達男さんの
家プロジェクトが、最初は
ごく普通の民家だったということに
改めて驚く。

 「生活の猥雑さがあふれる空間から、
抽象性へと昇華していくのは、
 まっさらな空間から構築して行くのとは
違った難しさがあった」と秋元さん。
 宝物の言葉である。

 美術解剖学の授業も、前期はこれで終わり。
みなさん、10月までお元気で。

 奏楽堂で、DIA foudationのマイケル・
ガヴァンの話も併せた、地中美術館
一周年のイベント。
 
 DIA foundations は、ウォルター・デ・
マリアのLightening Fieldや、
 ジェームズ・タレルのクレーターの
作品を長期的に支援してきた財団。

 聞きながら、「誰が歴史を書くのか?」
という問いがアタマを巡ったが、
 案の定会場からそんな質問が出た。

 秋元さんの回答が腹が据わっていて
好きだった。

 ニーチェが「ルサンチマン」を抱くな
と言ったのは、弱者にとってこその倫理である。
 日本がアメリカに対して弱者の立場に
あったとしても、ルサンチマンを抱くと
いつまでも子どもである。

 「歴史を書く」ということについての
覚悟と実行が必要なのだ。

 自分たちが自分たちの知音にならなくて
どうするというのか。

 Language Policyも当然関係してくる。
 
The Qualia Journal
Who writes the history?

7月 15, 2005 at 08:08 午前 |

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