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2005/07/30

博士の中間発表

夏ばてなのか、朝は身体が重かった。
 何をするにもいつもの二倍のエネルギーを
使うような気がする。

 それでも、やらなくてはならないことを
えいやとこなして、
 東京工業大学すずかけ台キャンパスへ。

 私が指導している3人の学生さんたちの
博士論文の中間発表。

 小俣圭『McGurk効果とREAの関係性の研究』
 須藤珠水『乳児期におけるカテゴリー認知のメカニズム』
 柳川透『神経回路網に存在する自発的な神経活動の時空パ ターンの解析』

 審査委員は、中村清彦、宮下英三、青西亨、
三宅美博の各先生方。
 あとで三宅先生に、「ああいうのは発表している
学生さんよりも聞いている先生の方がヤキモキして
大変でしょう」と言われたが、まさにその通り。
 
 しかし、三人とも立派にこなした。
 柳川は、後で中村先生にエレベータで会って、
「今日のは好評だったよ」と言われたよし。
 良かった。

 田園都市線で都心に戻っている時には、
体調はかなり回復していた。
 The second penguin book of English short
stories
 を読みながら移動。
 大学生の時に買ったものだが、久しぶりに
引っ張り出してきた。
 Katherin MansfieldやVirginia Woolfもいいが、
やはりJames Joyceは別格。
 「ダブリン市民」の中のIvy day in the committee
roomを読んだが、あまりにもかっこよくて痺れた。
 保坂和志が考えている「小説とは何か」
という問題にも通じるのではないか。

 朝日カルチャーセンターの「音楽と脳」
は、バッハのマタイ受難曲から39番アリア
Erbarme dich、及びプッチーニの歌劇
「トスカ」から第一幕の最後のTe Deum、
星は輝き、三幕の最後を見て、
 「戦慄」(chill)について考えた。

 非常に複雑な過程を経て得られる音楽の
戦慄が、脳活動としてはより低次な情動
による「愉悦」と同じであるということの意味。

 終了後の飲み会で、Joyceの話をしていたら、
幻冬舎の大島加奈子さんが
 「あっ、それ、高校の時に全部読みましたよ。
Dublinersの短編。」
と事も無げに言う。
 そういえば、大島さんはニューヨーク帰りの
帰国子女なのである。

 Dublinersの全文はここで読める。
http://www.bibliomania.com/0/0/29/63/frameset.html

 NTT出版の牧野彰久さんもアサカルの
飲み会に初出没。
 大島さんがDublinersは高校の時読んだわ、と
あくまでも涼しげなのに対して、
 牧野さんは原稿オイコミの熱風に満ちていた。

The Qualia Journal
James Joyce's derilium

7月 30, 2005 at 10:50 午前 |

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コメント

茂木健一郎様

中学生の甥が、
パソコンの検索画面に自分や家族の名前を入力し、
同姓同名の人を検索して遊んでいると、
私の名前と文章が茂木さんのブログと一緒に表示されたので赤面してしまいました。

有名人みたいに私の名前が検索できることになっている!?

茂木さんにもご迷惑ではないでしょうか?心配しております。
このコメントを書いたのは、
「茂木さんから返事がいただけたら楽しいだろうな、まさか来ないとは思うけど・・・。」
といった茂木さんへのメール感覚だったのですが、
このコメントはいつ消えるのですか?
つまらない内容だし、
全国に知られたくないことも書いてしまっていて、
まだちょっとドギマギしています。
しかし、
ちょっと発想を転換すれば、
このハプニングは、
「このスペースを自分のブログのように使わせていただいてもいいということなのではないか?」
とか、
さらに内心、
「1日1時間毎日書いてもいいな、
 そのうち茂木健一郎と橋口澄恵の対話ブログになっていって、
 本も出せたら僥倖ではないか。」
とか、
頭の中には、
小学校の教科書で印象深かった
転んでもタダでは起きない将軍の成功物語が展開していきます。

今日は、
茂木さんの<ジョイスは別格>発言について、
ジョイスと言えば、
ユングの深層心理学における「神話の力」をもって読み解けばすっきりする作家ですが、
ジョイスはカトリックの戒律、教育、家庭生活の暗い圧迫から、明るい魂の飛翔を願って作品をおこしていった人のようです。
この作家の神話的エネルギー源を21世紀の現代社会に探してみれば、
スティングの創作エネルギーが、
ジョイスと似通ったエネルギー源として浮かび上がってきます。
スティングのキャラクターには好きになれないところも多いですが、
エネルギー源には深く純粋なものが脈打っていると解釈しています。

ところで
茂木さんはジョイスに
<ミラーニューロン>を見る想いはないのではないですか?
茂木さんは、
暗い家庭生活の圧迫などなかったような良いお顔をされているのでそう思うのですが・・。

またつまらないコメントになってしまいました。
これで私のコメントの<削除>も早まるかな、と想いつつ・・。


投稿: 橋口 澄恵 | 2007/05/14 12:53:35

60年代生まれの元コピー・ライターです。2歳の時から仏教徒です。大学では文化人類学レヴィ・ストロースが好きで、未開社会よりも現代社会の生活文化の生成に興味を向けた私はコピーライターになりました。最近、ユングの学説『シンクロ二シティ(共時性/意味のある偶然の一致)とスティングの曲『シンクロ二シティ』(スティングの深層心理)をかけた私の物語『ユングとスティングと21世紀のおとぎ話』(スティングの総体的クリエイティヴ)を書き上げました。去年は大学の通信教育で「脳と心」の単位を取得し、私の作品を読んでいただいた担当教授の勧めでリベットの『マインド・タイム』を読み、ダマシオの『感じる脳』にわくわくしたのですが、「自己の主観にアクセスできるのは自分だけ」というリベットやダマシオの見解に「その主観へのアクセス・プロセスがスティングと私はシンクロ二シティしていると言えるのではないか。」という考察がひらめいたところ、ラマチャンドランの『脳の中の幽霊 ふたたび』の中で<ミラー・ニューロン>という言葉を発見しました。<クオリア>よりも気になってしかたがない言葉です。ディスカッションさせていただけないでしょうか?天才論は元祖クレッチマーから福島章さん、湯川秀樹さんのお書きになったものまで読了済です。ケン・ウィルバーやメルロ・ポンティやキャンベル、ユングの高弟M・L・フォン・フランツ、仏教書などが私の本棚のニューロン群です。その他北九州学術研究都市の中国人とお付合いをしていたので中国ニューロンも頭の中に持っています。現在、緑豊かな環境で公文式学習塾の仕事をしています。

投稿: 橋口 澄恵 | 2007/04/20 10:58:46

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