« 秋元雄史 東京芸術大学講義 | トップページ | (本日)朝日カルチャーセンター 脳と音楽 »

2005/07/15

あすへの話題 モーツァルト問題

あすへの話題 モーツァルト問題
脳科学者 茂木健一郎

 モーツァルトと言えば、数々の名作を残した天才作曲家である。その音楽は天上の美しさを秘めているが、作曲した当人は、冗談好きの、至って落ち着かない人間だったようである。
 「何故こんな下品な男があれほど美しい音楽を書けるのか」と、同時代の人がショックを受け、それが証言として残っている。映画『アマデウス』でも、作曲家サリエリがモーツァルトの人物と作品の差に思い悩む様子が描かれた。
 天才的な人物は、往々にして作品と本人の間にギャップがある。これを、「モーツァルト問題」と呼ぼう。脳が新しいものを生み出す仕組みの秘密が、そのギャップの中にありそうである。
 人物と作品の乖離は、モーツァルトに限ったことではない。静謐な作品を書く作家が、実際に会うと豪快な人物なのでびっくりしたことがある。かえってそのくらいの方が信用できることが多いようだ。
 なぜ、人物と作品の間にギャップが生じるのか。作品とは、脳から排泄されるものである。作品として世に出して、すっきりしてしまうと、本人はケロリと方向転換できる。自分の能力を生かせる人は、人物と作品の間にギャップを生み出すのである。
 真面目でもっともらしい人は、案外詰まらない。日本人も、あまり肩肘張っていないで、少しはモーツァルトを見習ったらどうか。その方が、日本から発信される文化の質も向上するはずである。
 実際、アニメやゲームは、肩肘張らずに作ってきたことで大成功している。日本のモーツァルトはその辺りにいたのである。

(日本経済新聞2005年7月14日夕刊掲載)

7月 15, 2005 at 08:24 午前 |

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/55852/4977926

この記事へのトラックバック一覧です: あすへの話題 モーツァルト問題:

» モーツァルト問題 トラックバック YOKOs Tagebuch
茂木さんが「モーツァルト問題」として論じている文章はとても興味深い。 大学生の [続きを読む]

受信: 2005/07/24 0:25:49

コメント

茂木さま

つい感動して、以下に引用させていただきました。
もし差し障りがあればご連絡ください。


中島みゆきの不思議、氷解 
http://utahime.sukinano.net/cgi/ibbsmain/ibbs.cgi
中島みゆきの不思議の一つに、その作品のまじめさ、孤高さに対して、そのおしゃべりの軽妙さ、人物のどたばたさがある。本人も自覚していて、 「地上の星」からファンになったコンサート会場のおじさまに、そのギャップに驚き失望して会場から出ていかないようお願いもしてみせる。この中島みゆきの人物と作品の差は私の永年の疑問だったが、先日、その不思議が解けた気がした。

数日前の日経のコラムに茂木健一郎という脳科学者が「モーツアルト問題」として次のように書いている。ちょっと長いけど引用。(日本経済新聞2005年7月14日夕刊掲載)http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2005/07/post_04b4.html

「モーツアルトと言えば、数々の名作を残した天才作曲家である。その音楽は天上の美しさを秘めているが、作曲した当人は、冗談好きの、至って落ち着かない人間であったようである。/『何故こんな下品な男があれほど美しい音楽を書けるのか』と同時代の人がショックを受け、それが証言として残っている。/映画アマデウスでも、作曲家サリエリがモーツアルトの人物と作品の差に思い悩む様子が描かれた。ーー中略ーーー 脳が新しいものを生み出す仕組みの秘密が、そのギャップの中にありそうである。ーーー 作品とは、脳から排泄されるものである。作品として世に出して,すっきりしてしまうと、本人はケロリと方向転換できる。自分の能力を生かせる人は、人物と作品の間にギャップを生み出すのである。(以下略)」

どうですか、中島みゆきの不思議がわかった気がしません?排泄と、そのあとの爽快感だよね。

投稿: ジュラシック | 2005/07/19 20:46:22

茂木さま

つい感動して、以下に引用させていただきました。
もし差し障りがあればご連絡ください。


中島みゆきの不思議、氷解 
http://utahime.sukinano.net/cgi/ibbsmain/ibbs.cgi
中島みゆきの不思議の一つに、その作品のまじめさ、孤高さに対して、そのおしゃべりの軽妙さ、人物のどたばたさがある。本人も自覚していて、 「地上の星」からファンになったコンサート会場のおじさまに、そのギャップに驚き失望して会場から出ていかないようお願いもしてみせる。この中島みゆきの人物と作品の差は私の永年の疑問だったが、先日、その不思議が解けた気がした。

数日前の日経のコラムに茂木健一郎という脳科学者が「モーツアルト問題」として次のように書いている。ちょっと長いけど引用。(日本経済新聞2005年7月14日夕刊掲載)http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2005/07/post_04b4.html

「モーツアルトと言えば、数々の名作を残した天才作曲家である。その音楽は天上の美しさを秘めているが、作曲した当人は、冗談好きの、至って落ち着かない人間であったようである。/『何故こんな下品な男があれほど美しい音楽を書けるのか』と同時代の人がショックを受け、それが証言として残っている。/映画アマデウスでも、作曲家サリエリがモーツアルトの人物と作品の差に思い悩む様子が描かれた。ーー中略ーーー 脳が新しいものを生み出す仕組みの秘密が、そのギャップの中にありそうである。ーーー 作品とは、脳から排泄されるものである。作品として世に出して,すっきりしてしまうと、本人はケロリと方向転換できる。自分の能力を生かせる人は、人物と作品の間にギャップを生み出すのである。(以下略)」

どうですか、中島みゆきの不思議がわかった気がしません?排泄と、そのあとの爽快感だよね。

投稿: ジュラシック | 2005/07/19 20:45:33

映画の中で「私はbroken manだが、作品はそうではない!」という台詞がありました。

世俗的に賢明ではなく、賢明に世俗的であれ。
この箴言の主=フランシス・クワールが何者なのか分かりませんが、「あっ」と思わせる出くわす人々はそうであるような感があります。

日経夕刊、取り寄せて読んでみます。

投稿: sakurako kotobuki | 2005/07/19 13:11:31

コメントを書く





絵文字を挿入