2005/07/31
思い出せない記憶よ、ありがとう
ヨミウリ・ウィークリー
2005年8月14日号
(2005年8月1日発売)
茂木健一郎 脳の中の人生 第64回
思い出せない記憶よ、ありがとう
一部引用
あれは小学校1年か2年の時だったろうか。父親に連れられて、東京の下町、南千住にあった「東京スタジアム」に野球の試合を見に行ったことがある。当時、ロッテ・オリオンズが本拠地としていた。「光の球場」と言われたスタジアムの内野席。光と影のコントラストが美しく、スタジアムを渡る風もさわやかだった。
あの頃は鳴り物の応援もなく、球場は静かだった。その代わり、ヤジを飛ばすおじさんが沢山いた。一人のおじさんが、当時の人気CMをもじって「若さだよヤマちゃん」とヤジっているのが面白く、私もまねをして「年だよ、チョウスケ!」などと大声を上げた。まわりの大人が、「ナマイキなガキだ」と笑った。それが、ちょっと得意だった。
その前後のことははっきりと思い出すことができない。しかし、あの日、東京スタジアムで私が体験したことが、ヤジだけであるはずがない。自分の周囲にぽつりぽつりと大人たちが観戦している様子だとか、隣に父親がいる頼もしい感じ、見知らぬ人の前で大声でヤジるちょっとどきどきする気持など、無数の「思い出せない記憶」が、あの夜、私の脳に焼き付けられたことは間違いない。
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。
http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/
7月 31, 2005 at 09:35 午前 | Permalink
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オペラとミュージカルを区別するもの
新国立劇場に「ジークフリートの冒険」
を見に行った。
真面目にやれば上演に16時間かかる
「ニーベルングの指環」を再編集したもの。
ダイジェスト版とばかり思っていたが、
実際にはストーリーを全く変えてしまった
別物だった。ただ、音楽は
「ニーベルングの指環」のモティーフを
使っている。
会場の半分くらいは小学生低学年
くらいの子供たちで、
彼らにもわかりやすいストーリーに
なっていた。
ジークフリートが、ブリュンヒルデに
求婚するために、ラインの黄金からつくった
指輪をファフナーから奪うのである。
それで、最後にラインの乙女たちに
責められて、ブリュンヒルデに、愛さえ
あれば指輪なんていらないわ、と言われて
ああ、そうか、と指輪を返して、
めでたしめでたしで終わる、
というストーリーになっていた。
こっちは原作をよく知っているから、
どうしてもそっちの方を思い出してしまうが、
その点を忘却してしまえば、
善し悪しは別として、
一つのミュージカルに見えた。
ミュージカルとしては、良く出来ていた。
それで、ミュージカルとオペラを区別
するのは、音楽だけではないと気付いた。
「ニーベルングの指環」における
大切なテーマ、たとえば、政治的権力を
得るためには、愛を断念しなければならない
とか、
自分自身の過去に束縛されて、次第に
自分が当事者としての責任を果たせなくなって
きた時に、開かれた唯一の道は
自己否定をして他者に譲ることでしか
ないとか、
そういうところまで掘り下げることは、
子供むけのミュージカルではできない、
と今回の主催者は判断したのだろう。
結局、ワグナーの音楽を使って、現代の消費社会
の中でなんの抵抗感もなく受け入れられる
ミュージカルを新国立劇場はつくったわけで、
そのことが、子供たちを
より深い「オペラ」の世界に
導くきっかけになるのかどうか、
私には判らない。
生や死の本当にきついところには踏み込まないで
その場限りの「ちょっとした感動」を与えて
消費されていく「ミュージカル」フォーマットは
はいかにも現代的である。
しかし、子供にそのような「予定調和」を超えた
何かを感受する能力がない、と思い込むのも
また大人の勝手な仮説ではないか。
より広い聴衆に手を伸ばそうという新国立劇場の
意志は多とするが、
可能なことならば、「本物の感触」を少しでも
提示してほしかった。
子供にだって、本物はきっとわかるんじゃ
ないかと思う。
野心的な試みに心からの拍手を送りつつ、
そのことだけは書き記しておきたい。
The Qualia Journal
Making "musical" out of the "Ring"
7月 31, 2005 at 09:25 午前 | Permalink
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2005/07/30
博士の中間発表
夏ばてなのか、朝は身体が重かった。
何をするにもいつもの二倍のエネルギーを
使うような気がする。
それでも、やらなくてはならないことを
えいやとこなして、
東京工業大学すずかけ台キャンパスへ。
私が指導している3人の学生さんたちの
博士論文の中間発表。
小俣圭『McGurk効果とREAの関係性の研究』
須藤珠水『乳児期におけるカテゴリー認知のメカニズム』
柳川透『神経回路網に存在する自発的な神経活動の時空パ ターンの解析』
審査委員は、中村清彦、宮下英三、青西亨、
三宅美博の各先生方。
あとで三宅先生に、「ああいうのは発表している
学生さんよりも聞いている先生の方がヤキモキして
大変でしょう」と言われたが、まさにその通り。
しかし、三人とも立派にこなした。
柳川は、後で中村先生にエレベータで会って、
「今日のは好評だったよ」と言われたよし。
良かった。
田園都市線で都心に戻っている時には、
体調はかなり回復していた。
The second penguin book of English short
stories
を読みながら移動。
大学生の時に買ったものだが、久しぶりに
引っ張り出してきた。
Katherin MansfieldやVirginia Woolfもいいが、
やはりJames Joyceは別格。
「ダブリン市民」の中のIvy day in the committee
roomを読んだが、あまりにもかっこよくて痺れた。
保坂和志が考えている「小説とは何か」
という問題にも通じるのではないか。
朝日カルチャーセンターの「音楽と脳」
は、バッハのマタイ受難曲から39番アリア
Erbarme dich、及びプッチーニの歌劇
「トスカ」から第一幕の最後のTe Deum、
星は輝き、三幕の最後を見て、
「戦慄」(chill)について考えた。
非常に複雑な過程を経て得られる音楽の
戦慄が、脳活動としてはより低次な情動
による「愉悦」と同じであるということの意味。
終了後の飲み会で、Joyceの話をしていたら、
幻冬舎の大島加奈子さんが
「あっ、それ、高校の時に全部読みましたよ。
Dublinersの短編。」
と事も無げに言う。
そういえば、大島さんはニューヨーク帰りの
帰国子女なのである。
Dublinersの全文はここで読める。
http://www.bibliomania.com/0/0/29/63/frameset.html
NTT出版の牧野彰久さんもアサカルの
飲み会に初出没。
大島さんがDublinersは高校の時読んだわ、と
あくまでも涼しげなのに対して、
牧野さんは原稿オイコミの熱風に満ちていた。
The Qualia Journal
James Joyce's derilium
7月 30, 2005 at 10:50 午前 | Permalink
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2005/07/29
脳の鏡で個性を磨く
あすへの話題 脳の鏡で個性を磨く
脳科学者 茂木健一郎
ここ十年の脳科学における最大の発見と言えば、何と言っても大脳皮質の前頭葉で見つかった「ミラーニューロン」である。最初は猿の脳から報告されたが、その後、人間の脳でも対応する部位が発見された。
ミラーニューロンは、その名前が示唆するように、自分の行為と他人の行為を鏡に映したように表現する。例えば、自分が手を伸ばして何かを掴む時にも、他人が同じ行為をするのを見ている時にも活動するのである。
ミラーニューロンが注目されるのは、それが、「他人の心を読み取る」という脳の大切な機能を支えているのではないかと推測されるからである。人間の本質は、他人とコミュニケーションをする社会的知性に顕れる。ミラーニューロンは、他人と柔軟にコミュニケーションする人間の驚くべき能力を支えていると考えられるのである。
ところで、一時期の日本では、戦後の文化風土と絡めて「個人主義の行き過ぎ」を批判する風潮があった。個性を主張するのもいいが、他人と協調することも大切だとする論者が散見された。
個性の発揮と他人との協調が相容れないとするのは、脳科学の視点から見れば間違いである。ミラーニューロンの発見に象徴されるように、個性は、むしろ他人との関係性においてこそ磨かれる。他人の心という鏡に映った姿を通して、私たちは自分の本性を知るのである。
激化する国際競争の時代、日本人が個性なしでやっていけるはずがない。個性と協調性は矛盾するという科学的に間違った思いこみは捨て、脳の中の鏡で大いに個性を磨こうではないか。
(日本経済新聞2005年7月28日夕刊掲載)
7月 29, 2005 at 11:16 午前 | Permalink
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(本日)朝日カルチャーセンター 脳と音楽
本日
朝日カルチャーセンター講座
脳と心を考える ー脳と音楽ー
第3回
2005年7月29日
18:30〜20:30 東京新宿
朝日カルチャーセンター
(途中からの参加もできます)
http://www.qualia-manifesto.com/asahi-culture20.html
7月 29, 2005 at 08:44 午前 | Permalink
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地震とオーケストラ
東京フィルの広報の松田亜有子さんに
ご招待を受け、東京フィルのコンサートに。
チョン・ミュンフン指揮、
樫本大進のヴァイオリンで、ブルッフの
ヴァイオリン協奏曲、
及び
ブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」
ブルッフの途中で震度3の地震があった。
樫本さんもチョン・ミュンフンも一瞬
微妙な揺らぎがあったような気がしたが、
すぐに立て直したのはさすがだった。
しかし、聴いている者の心の中には
揺らぎの余韻が。
樫本さんは、日本音楽財団から
ストラディヴァリウスを貸与されている。
それと意識して聴いたのは初めてだったが、
心に残る音色だった。
松田さんに、事前に、「チョン・ミュンフンは
凄いですよ。絶大な人気ですよ」と言われて
いたが、
東京のオーケストラのコンサートで、
見たことがないような聴衆の熱狂ぶりだった。
カーテンコールでオーケストラと指揮者が
全員引き揚げてしまった後でも、さらに
拍手が続いてチョン・ミュンフンが再び
出てきた。
ブルックナーの4番は、得体の知れない
気配に満ちていた。
3楽章の狩りのスケルツォの途中でおっと
思った。
何かがよぎっていくような気がした。
松田さんには、何か東京フィルという
プラットフォームでコラボレーションが
できないかという考えもあるようである。
実現したら面白いと思う。
7月 29, 2005 at 08:44 午前 | Permalink
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田谷博士誕生
田谷文彦が大阪大学で博士の学位記を
もらってきた。
私がsuperviseした学生さんの中で
最初の博士である。
私自身としてもうれしい。
自分の博士論文の発表の時、緊張を
くぐりぬけて研究室に戻ってくると、
偶然、ラジオから『ジークフリート牧歌』
が流れていたのを思い出す。
柳川透も博士中間発表をする時期になり、
研究所でその予行をする。
途中で「あっ」と思わず叫んだ。
なぜ、今までこの関係性に気付かなかった
のだろう。
唖然。
自分で、今まで何回も、「Aはこういう性質を
持っている」「Bはこういう性質を持っている」
と講演などでも言っていて、「こういう性質を
持っている」という述語がAもBも全く同じなのに、
AとBを結びつけることを思いつかなかったのだ。
これは面白い。AとB。どういう関係にあるのだろう。
東京財団の「キャラクター創造力研究会」
に参加。
清谷信一さんがロボットと2ちゃんねるの
アスキーアートの話をする。
六本木ヒルズへ。
森タワー33階のJ-waveで「大人の自由研究」
の収録。
ナビゲーターのVie Vieさんは、フランス生活の
長いヒトだった。
収録室からは、東京タワーが見えた。
The Qualia Journal
Earthquakes real and imagined
7月 29, 2005 at 08:25 午前 | Permalink
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2005/07/28
突き抜けたはちゃめちゃさを処方
一日中誰にも会わずに机に向かって
仕事をしていた。
人に会うのも好きだけど、一人でいるのも
好きだ。
現状ではなかなか難しいが、
10日間くらい、山ごもりして仕事
してみたい。
やらねばならないことと言っても
二種類あって、
外から締め切りがきてそれに合わせて
やるものと、
自分の中で「これはやらねばならない」
と決めることがある。
前者は社会との関係において大切であり、
後者は自分の内面にとって大切である。
籠もっていると、後者の方を次第に
思い出していく。
やはりメリハリが大切なのだろう。
夏本番だが、
清涼剤としてファインマンを思い出した。
Surely you're joking, Mr. Feynman
のことを思い出すと、口元に微笑みが
浮かぶ。
たとえば、精神科医の面接を受けて、手を
出して、と言われて、片方をpalm upで、
もう一つをpalm downで出すところなど
傑作だ。
突き抜けたはちゃめちゃさを自分の人生に
一服処方することとしよう。
The Qualia Journal
Surely you're joking, Mr. Feynman
7月 28, 2005 at 07:34 午前 | Permalink
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2005/07/27
意識とはなにか 5刷
筑摩新書
茂木健一郎「意識とはなにかー「私」を生成する脳」
(2003年10月刊)
は増刷(5刷)となりました。
ご愛読に感謝いたします。
7月 27, 2005 at 07:48 午前 | Permalink
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旋回のち着陸
大橋の
九州大学芸術工学研究院へ。
綿貫先生の「感性工学」の学期最後の授業で
ゲストとして話させていただく。
最初のパワーポイントを開いた瞬間、
内容が大学院レベルだということに気付いた。
朝起きてからずっと準備していたのだけど、
その間、学部2、3年向けの授業
だということをなぜか忘れていた。
そこで、その場で様々なパワーポイントを
用いて即興で組み立てるVJのような
授業になった。
インタラクティヴにやったので、
学生さんたちの雰囲気が判って良かった。
台風で飛行機が飛ぶかどうか判らなかったので、
急いで空港に行く。
平松夫妻が送って下さった。
Chad Walkerも一緒。
Chadは、日本に来て8年目で、
言葉は問題ない。
「英語で喋らないとまずいんじゃないか」
という配慮を忘れられる「外人」に初めて
出会った。
一本前の飛行機に乗り、羽田上空を
しばらく旋回した後、着陸。
「博多に引き返すかもしれない」
という条件付き運行であった。
東京ステーションホテルで筑摩書房の
増田健史と打ち合わせ。
読売新聞本社へ。ヨミウリ・ウィークリー
編集部に立ち寄り、川人編集長にお目にかかり
陣中見舞い。
博多土産は「博多の女」。
本当は、子どもの頃慣れ親しんだつる平の「小倉日記」
が好きなのだが、「博多の女」はそれに似た
お菓子である。
読書委員会に出席し、近くにいた
増田健史と湯島交差点近くの「岩手屋」へ。
柏書房在籍中に『脳の中の小さな神々』を
つくって下さった五十嵐茂さんと、有田芳生さん
と懇談。
有田さんは日本テレビの「ザ・ワイド」
を終えてからいらした。
話題は五十嵐さんの青春時代から、
有田さんのお仲間のノンフィクション作家の
話など多岐にわたり、
台風何するものぞと盛り上がった。
増田健史が隣に座っていたので、
「ねっ、増田くん」という感じで
肩をついつい叩いてしまう。
座席の配置によって話す内容が
影響を受けるというのは本当である。
有田さんは『歌屋 都はるみ』の
増補版に取り組んでいらっしゃると言う。
The Qualia Journal
The typhoon airplane
7月 27, 2005 at 07:44 午前 | Permalink
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2005/07/26
成熟の底にあるもの
箱崎の九州大学へ。
工学部本館で落ち合い、
ユーザーサイエンス機構(USI)の
坂口光一さんや目黒実さんに連れられて、
キャンパス内の「六角堂」で昼食。
三浦佳世さん、大貫宏一郎さん、田村馨さん、
新名佐知子さん、遠藤綾さん、藤原昌子さん
などなどとお話する。
本部に戻り、大津留榮佐久さんも加わり、
議論。
「子ども」の持つ可能性をいかに
とらえるか。
大人の中の「子ども」をどのように
引き出すか。
デザイナーの平松暁さんご夫妻
がいらして、
ギャラリーに向かい、
「島プロジェクト」の話を伺う。
大橋の
九州大学芸術工学研究院へ。
綿貫茂喜さん、安河内朗さんと合流。
「麦めし」屋で会食。
綿貫先生の行きつけの中洲の店へ。
さらに懇談。
暑い一日だったが、子どもの頃
小倉の母の実家に毎年来ていたので、
九州の暑さにはなじみがある。
夜になると、中洲を渡る風も
やや涼しくなって、
暑さの底にあったものが見えてくる。
子どもの頃は、夜の暑さを
ビールを飲まずにやり過ごしていた
わけだけれども、
あの時にしか見えていなかったものも
あるように思う。
成熟の底にあるものを見極める
必要がある。
世間知らずのガキのままでいることは
許されないが、
成熟だけで覆い尽くすことももったいない。
子どもの頃感じた九州の夜の
暑く暗い空気のことを思い出す。
母の実家は当時は周囲に自然が残り、
少し離れた場所にある神社の森が黒々と
何かを誘っているように見えた。
いまその場所は大規模なショッピングモールに
なっている。
The Qualia Journal
The potentialities of children
7月 26, 2005 at 08:01 午前 | Permalink
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2005/07/25
胸で石炭かっか
胆石の手術で退院した後、しばらく見舞いに
行けなかった母親の顔を見に
実家に行った。
少しやせたが、元気そうだった。
一緒に30分くらい歩いたのだが、
その間、次々と知り合いと挨拶しているので、
笑ってしまった。
顔が広いことは知っていたが、
これでは、知り合いの
雨粒の中を歩いているようである。
久しぶりに捕虫網を取り出して降ってみた。
どうせキャッチ・アンド・リリースであるが、
アオスジアゲハに振って逃げられた時、
忘れていた感覚を思い出した。
このところ、養老孟司さんの影響もあって、
外に出ると甲虫ばかり探していたが、
蝶は蝶でやっぱり良い。
瞬間の緊張感があるのだ。
素早く、複雑な軌道で飛ぶ相手に対して
瞬時の判断で網を振る。
そうか、オレは子どもの頃剣士だったのだなと
納得する。
時には、一世一代というような瞬間もある。
もっとも緊張するのは、「迷蝶」(まよいちょう)
だった。
普段はいない蝶が、台風など、何かの理由で
迷い込んで来ることがあった。
滅多にないことだから、それを採れるか
どうかは、
子どもの人生の他の何よりも緊張し、
重大な瞬間だったのである。
もっとも燃え上がったのは、家の近くの
神社の森にアオバセセリが来た時だった。
後にも先にも、そのときにしか見たことが
ない。
http://www.insects.jp/kon-tyoaoba.htm
一目見てアオバセセリだと判って、
「何でこいつがここにいるんだ!」
と心臓が喉から飛び上がりそうになって、
駆けだしていった。
何しろ速く飛ぶやつなので、
躊躇している暇はない。
ばっと寄って、ぶるんと一振りする時間
しかなかった。
一瞬、採れたかと思ったが、
アオバセセリは稲妻のごとき青緑色の
印象だけを残して、
虚空に消えていってしまった。
昨日の琴欧州も一世一代だったのだろう。
もっとも、琴欧州にはまたチャンスが巡って
くるだろう。
私のアオバセセリは二度と帰ってこない。
子どもの頃の蝶とのあれこれを思い出していると、
自分が再び小学校6年生に還ったような気がして、
胸のあたりが熱せられた石炭のようになるのである。
今日、明日と九州大学。台風は大丈夫だろうか。
The Qualia Journal
Fellow travelers in the platonic world
7月 25, 2005 at 06:06 午前 | Permalink
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2005/07/24
夏休み科学の学校 脳を本当にきたえる方法
朝日カルチャーセンター
夏休み科学の学校 脳を本当にきたえる方法
講座の内容:
脳は私たち人間の心を生み出す不思議な臓器です。誰でも、自分の脳を生き生きと活用して生きていきたいと思っています。試験に受かるにはどうすれば良いか、うまく仕事をするにはどうすれば良いかという現実的な課題から、新しいものを生み出す発想力をきたえる方法、他人とうまくコミュニケーションする方法など、脳に対する関心は様々です。
本講座では、最新の脳科学の知見に基づき、脳を本当の意味できたえるには、脳がどのように働いているのかを知るとともに、脳をきたえる簡単なエキサイズをやってみることにしましょう。 (講師 記)
<内容>
・心を生み出す脳のシステム
・脳の神経細胞は、自発的に活動している
・どうなるかわからないこと(不確実性)に対処する感情のシステム
・真の「記憶力」とは何か?
・思い出すことと、創造性の不思議な関係
・言葉の力
・「メタ認知」って何?
・他人とコミュニケーションすることのむずかしさと面白さ
・スポーツをすることが、なぜ判断力をきたえることになるのか。
2005年8月18日 木 10:30〜16:30 (休憩あり)
朝日カルチャーセンター 新宿
http://www.qualia-manifesto.com/asahi-culture21.html
7月 24, 2005 at 10:48 午前 | Permalink
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夏休みは「虫捕り」で脳を鍛える
ヨミウリ・ウィークリー
2005年8月7日号
(2005年7月25日発売)
茂木健一郎 脳の中の人生 第63回
夏休みは「虫捕り」で脳を鍛える
一部引用
虫捕りは驚きに満ちている。思わぬところで珍しい虫に出会った時の、飛び上がるような気持は忘れがたい。逃がしてはいけないと、網を構え、胸をドキドキさせながら近づいていく時の緊張感は、大人になってから出会うどんな状況よりも強烈である。
ぞっとすることもある。木のくぼみに黒光りする虫を見つけ、手を伸ばしたらゴキブリだった、ということは何回もあった。クワガタだと思っていたのがガサガサと動き出した時の、背筋に電気が走るような感覚は、そう簡単には忘れられない。
林の中を歩いていて、気付かずに顔に蜘蛛の巣がかかり、わーっと払いのけたこと。カブトムシを捕まえようと、樹液の出ている場所に近づいたら、その向こうから大きなスズメバチが飛び出して度肝を抜かれたこと。石をひっくり返したら、ムカデがはい出してぞくっとしたこと。山道で、アブにしつこく追いかけられ、たまらず走り出したこと。
全ては懐かしい思い出であるが、あれほどの脳への栄養はなかったとも思う。
鍛えられたのは、感情の中枢である脳の扁桃体である。ゾッとしたり、ワッとしたり、ギョッとしたり、ワクワクしたり。自然の中で昆虫採集をしていて体験する感情は、強烈で、生命の躍動に満ちている。何よりも具体的である。ホラー映画を見るのとは違う。実物が手を伸ばせば触れられるところにいるのだ。
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。
http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/
7月 24, 2005 at 09:09 午前 | Permalink
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アウェーの戦い
7月10日から英文のblogをずっと
書き続けている
(この日本語による「クオリア日記」の最後に
いつもリンクを付けている)。
手間がかかると、言っても、私は書くのは
早いので(ほとんど物理的にタイピングする
時間しかかからない)それほど負担でもないのだが、
このような面倒なことを始めたのは
ある危機感と決意がある。
危機感というのは、昨今の日本の状況である。
著名な、尊敬すべき出版社からも、特に
雑誌を中心として、目をおおいたくなるような
下品な見出しの記事が出版されている。
それが、特に近隣諸国に対する罵詈雑言
であるときには、
著者の見識を疑うとともに、
「どうせ日本語で書いているんだから、
日本人しか読まないじゃん! おまえら
内弁慶でズルイよ」
と思うのは自然なことだろう。
ホームじゃなくて、アウェーの戦いをしないと、
面白くない。
このところ、自分のホームに引き込んで、
ぴぴたん、ぴぴたんしているヒトばかり
見てきたので
いい加減うんざりしているが、
(こっちは、君のホームに合わせている
だけなんだよ!)
自分がアウェーにならざるを得ない状況で
どれくらい創発できるか、が人間の勝負になる。
だから、オピニオン誌などで日本人しか
どうせ読まない記事を日本語で垂れ流して
威勢の良いことをいっている立派なおじさま
方は、ぜひ近隣諸国にいって、アウェーの
戦いをしてきていただきたいとおもう。
それでも同じことが言えるんだったら、
その時はじめて真面目に相手にしてあげる
ことにする。
ともかく、英語で日常のことを書き連ねようと
すると、突然アウェーの戦いになることを
自覚させられる。
だって、「三木成夫」って言ったって、
日本の文脈と英語の文脈ではぜんぜん違う。
胎児の発生にともなう生命記憶の話を、
英語で不用意に書けば単なるオカルトになって
しまうのであって、
それでは、どのような文脈で三木成夫は
日本で受け入れられているのか、そのあたりを
自覚的に記述しないとお話にならない。
おもえば、自分たちのよって立つ基盤を、
「まあまあ、そのところはまあ適当に、
だって、わかるでしょ、ね」
というなれ合いで済ませるのではなく、
まったくバックグラウンドの異なる
人たちに一から丁寧に説明する努力を、
日本人は怠ってきたのではないか。
だって、そりゃそうだよね。日本語で
書いている限り、日本人しか読まないんだから、
身内の論理で済むわけだから。
別に英語が偉いと言っているんじゃない。
英語なんて別にどうでもいいけど、
違う文脈の中でアウェーの戦いをしないと、
人間精神は鍛えられないと思うのだ。
日本人よ、身内の論理の中でまどろむのは
やめましょう。
立派な出版社から出ているおじさん雑誌も、
あまり目を覆いたくなるような醜い見出しを
付けるのはやめませんか。
単なる自己満足に過ぎないんですから。
私は、伊勢神宮は好きだし、小津安二郎や、
夏目漱石、本居宣長などの偉人の業績も愛し、
誇りに思っている。
しかし、それを、「アウェー」の中で
いかに普遍化していくか、
そのようなことをそろそろ真面目に考えないと、
私もダメだし、日本もダメだ。
しんどいことだけど、自分たちが慣れ親しんだ
さまざまな価値、文化を、操作可能で普遍的な概念
に置き換えていく努力をしていかないと
いけないだと思う。
The Qualia Journal
Ozu's Tokyo Story
7月 24, 2005 at 08:55 午前 | Permalink
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2005/07/23
欲望する脳 第四回
集英社 青春と読書 2005年8月号(7月20日発売)p.78-93
茂木健一郎 連載 欲望する脳 第四回
主語にとらわれずに考える
一部引用
ある問題について議論していたとしよう。意見が対立した時に、ある人が「とにかく私はそう考えるんだから、仕方がない」と発言すると、もうそれ以上議論が進まない。「私」という主語が、その中をうかがいしれないブラックボックスになってしまって、それ以上の議論を進めることが困難になってしまうのである。「それが私の考え方なんだから」と言われてしまえば、「ああ、そうですか」と黙るしかない。主語がしかけた罠にはまって、身動きができなくなってしまう。
主語の弊害は、「私」や「あなた」といった、議論に直接かかわる人々に関してのみ生じるのではない。この世界について思考する時に立てる様々な主語たちが、それぞれの固有の罠に私たちをはまらせる可能性があるのである。
全文は「青春と読書」で
http://seidoku.shueisha.co.jp/seishun.html
7月 23, 2005 at 11:37 午前 | Permalink
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三木成夫記念シンポジウム講演 思い出せない記憶の意味について考える
Lecture Records
茂木健一郎 「思い出せない記憶の意味について考える」
2005年7月22日
第14回 三木成夫記念シンポジウム
東京芸術大学 美術学部中央棟一階 大会議室
音声ファイル MP3, 19.9MB,
http://www.qualia.csl.sony.co.jp/person/kenmogi/lectures/mikishigeomogi20050722.MP3
7月 23, 2005 at 11:30 午前 | Permalink
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小爆発
今秋の駒場祭のイベントのことで、文科二類
2年の森田真生さんと友人のヒトと
打ち合わせ。
上野の国立こども図書館のカフェ。
東京芸術大学に移動。
三木成夫先生との出会いは、新潮社の
『脳と仮想』に書いた。
http://www.qualia-manifesto.com/mikishigeo.html
布施英利さんにお誘いを受けて、
東京芸術大学で開かれた第14回
三木成夫記念シンポジウムで、
「思い出せない記憶の意味について考える」
というテーマの話をさせていただいた。
楽しかったが、質疑応答の途中で久しぶりに
爆発してしまった。
休火山が活火山になってしまった。
最後にお断りしたように、あれは芸として
やっているのでして、関係者の皆さん、ご理解ください。
楽しみにしていた懇親会の前に、念のために
集英社の鯉沼広行さんに「青春と読書」の連載
原稿について問い合わせたところ、「茂木さん、
今日入稿しないと大変なことになるのです」
とチモナミダもないお言葉だった。
(もともと私がワルイのだけれども)
そこで、みなさんが談笑している時に、
私は大浦食堂横のテーブルでビール一杯を
片手に必死になって原稿を書き終えた。
その間、様々な方が話しかけてきて
くださったのだけれども、
ゆっくり議論することができずに、誠に
すみませんでした。
お台場のメディアージュに移動。
ソニーCSL展の打ちあげのレセプションの
パーティーがあり、
様々な友人の方々をお呼びして楽しく
懇談した。
渋谷慶一郎さん、マリアさん、内藤礼さん、
松浦雅也さん、伊藤笑子さん、大島加奈子さん、
牧野彰久さん、鈴木健さん、渡邊克紀さん、
朝倉怜士さん、古谷俊勝さん、・・・
竹芝のSeduceに移動。
TBSの笠原啓さんとお話する。
笠原さんは、養老孟司さんと古舘伊知郎
さんの特番や、「どうぶつ奇想天外!」
をつくられている方で、
いろいろ意気投合。
養老さんの裏話も幾つか伺った。
小爆発、原稿書きの後の
ビールはおいしゅうございました。
The Qualia Journal
Shigeo Miki memorial symposium
7月 23, 2005 at 11:29 午前 | Permalink
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2005/07/22
佐藤雅彦 × 茂木健一郎 対談 (8月12日)
佐藤雅彦研究室展
課題とその解答
2005年8月4日(木)〜8月29日(月)
■会期: 2005年8月4日(木)−8月29日(月)
11am−7pm (土曜日は6pmまで) 日曜・祝日は休館
■会場: ギンザ・グラフィック・ギャラリー 入場無料
104-0061 東京都中央区銀座7−7−2 DNP銀座ビル
tel. 03.3571.5206
■後援: 慶応義塾大学
■ギャラリートーク:
�
日 時: 8月12日(金) 6:30−8pm
会 場: DNP銀座ビル5階 要予約 先着70名
出 演: 茂木健一郎(脳科学者)+佐藤雅彦
http://www.dnp.co.jp/gallery/ggg/gnext/gnext.html
7月 22, 2005 at 09:24 午前 | Permalink
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あすへの話題 さいしょのペンギン
あすへの話題 さいしょのペンギン
脳科学者 茂木健一郎
水族館などでペンギンの行動を観察していると面白い。水辺に並び、なかなか飛び込まずに、「どうぞお先に」と譲り合っているようにも見える。
ほほえましい光景だが、背景には自然界の厳しい掟がある。ペンギンたちは氷雪の上にいるため、海の中に入らないと魚などの餌を捕ることができない。一方、水の中にはペンギンを食べてしまうオットセイなどの恐ろしい天敵も待ちかまえている。
海に飛び込むことは、リスクを伴うことなのである。
ペンギンたちは、誰かが先に飛び込まないかと待っている。かと言って、何時までも誰も飛び込まないと、餌を捕ることができない。誰かが、「さいしょのペンギン」にならなくては物事が進まないのである。
成功が保証されていない中で、フロンティアに挑戦する。そのような「さいしょのペンギン」を、人間の社会も必要としている。特に、横並び意識が強い日本では、もっと多くの「さいしょのペンギン」が出現する必要があるようだ。
最近の脳科学の研究によれば、不確実な状況の中で決断する時には、脳の感情のシステムがフル回転する。脳の扁桃核や前頭葉などが生み出す感情が、「よし、行こう」という判断を支えているのである。
人生の中で、正解が判らず、悩むこともある。そのような時には、感情を豊かに働かせてみるのが良い。
周囲からニートだと言われて、落ち込んでいる若者も、自分自身の人生における「さいしょのペンギン」になるつもりで社会という海に飛び込んで見たらどうか。そこにはすがすがしい光景が広がっているはずだ。
(日本経済新聞2005年7月21日夕刊掲載)
7月 22, 2005 at 09:17 午前 | Permalink
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(本日)第14回 三木成夫記念シンポジウム
第14回 三木成夫記念シンポジウム
2005年7月22日(金) 10時〜17時
東京芸術大学 美術学部中央棟一階 大会議室
http://www.geidai.ac.jp/campus/ueno_campus.html
10:00〜10:10 挨拶 司会 坂井建雄
10:10〜10:50 血管から見た身体のつくり 東京慈恵会医科大学 橋本尚詞
10:50〜11:30 咬み方が違うと神経分布の形も違う? −咀嚼筋の神経分布形態を探る− 昭和大学歯学部 中島功
11:30〜12:10 進化と副腎皮質ホルモン (車窓から見た風景)皮膚科医 高野信夫
昼食
13:30〜14:10 掛け橋としてのヴェサリウス解剖図 順天堂大学医学部 澤井直
14:10〜14:50 思い出せない記憶の意味について考える 茂木健一郎
休憩
司会 布施英利
15:20〜16:00 絵画のらしさ −コンピュータによる絵画的形態発生の可能性− 千葉商科大学 楜沢順
16:00〜16:40 表裏一体、あなた次第 打楽器奏者・東京芸術大学名誉教授 有賀誠
17:00〜18:00 懇親会
主催
三木成夫記念シンポジウム事務局
東京芸術大学 美術学部美術解剖学研究室
7月 22, 2005 at 09:13 午前 | Permalink
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イラスト、よろしく、ハト沼くん。
聖心女子大学の試験。
教室の前で、学生たちが自分のつくった
問題を一生懸命解いているのを
見ていた。
一斉に鉛筆が走り、かさこそかさこそと
小さく乾いた音の群れが立ち上る。
蚕のようだ。
「個別」と「普遍」ということを
考える。
「普遍」と「個別」の違いは
数における大小の差などであるはずがない。
たとえ、たった一人にでも、真理や
美を立ち上げられれば、そこには必ず
普遍が宿っているはずだ。
矜持の問題であり、
覚悟にかかることである。
毎週同じ時間に授業をしにいくのは
大変なことだったが、
良かったなあ、と
そこまで考えた時に思った。
研究所のミーティング。
先日のASSCを受けて、
The neural correlates of consciousness (NCC)
について議論する。
品川から上野へ。
東京芸術大学で、彫刻科の石井琢郎さん、
今野さん、小俣さんと打ち合わせ。
上野の森美術館で秋にある展覧会の件。
美術解剖学教室に行くと、布施英利
さんを中心に、明日の三木成夫シンポジウムの
プログラムを作っていた。
根津の車屋で前期の打ちあげの飲み会をする。
そこで、面白い話を聞いた。
ハトの絵を描くのでハト沼画伯と呼ばれている
蓮沼昌宏クンは、今、筑摩書房から9月刊予定の
「脳」整理法の章扉イラストを描いてくれている
のだが、
増田健史にだめ出しをされたというのだ。
ハト沼の宿命のライバル、P植田こと、
植田工がうれしそうに教えてくれた。
イラストを増田健史に見せたところ、
増田が、低く丁寧な声で、
「あの、蓮沼さん、こんなことを
申し上げて、お気を悪くされないでください。
もう少し、上手に描けないでしょうか。」
と言ったというのである。
面白いので、筑摩書房にいた増田健史に
電話した。
ハト沼を出したら、健史としばらく喋って
電話を切った。
ハト沼が、ぽっぽ、ぽっぽと首をうごかす
ハトのように動揺している。
「あの、蓮沼さん、イラストの締め切りも
ありますし、そろそろ飲み会から帰った方が・・・」
と言われたというのである。
タケシの警告にもかかわらず、
ハト沼は、その後も、おいしそうにビールを
飲んでいた。
イラスト、よろしく、ハト沼くん。
The Qualia Journal
Roll over the neural correlates
7月 22, 2005 at 09:11 午前 | Permalink
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2005/07/21
『脳と創造性』増刷
7月 21, 2005 at 09:13 午前 | Permalink
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第14回 三木成夫記念シンポジウム
第14回 三木成夫記念シンポジウム
第14回 三木成夫記念シンポジウム
2005年7月22日(金) 10時〜17時
東京芸術大学 美術学部中央棟一階 大会議室
http://www.geidai.ac.jp/campus/ueno_campus.html
10:00〜10:10 挨拶 司会 坂井建雄
10:10〜10:50 血管から見た身体のつくり 東京慈恵会医科大学 橋本尚詞
10:50〜11:30 咬み方が違うと神経分布の形も違う? −咀嚼筋の神経分布形態を探る− 昭和大学歯学部 中島功
11:30〜12:10 進化と副腎皮質ホルモン (車窓から見た風景)皮膚科医 高野信夫
昼食
13:30〜14:10 掛け橋としてのヴェサリウス解剖図 順天堂大学医学部 澤井直
14:10〜14:50 思い出せない記憶の意味について考える 茂木健一郎
休憩
司会 布施英利
15:20〜16:00 絵画のらしさ −コンピュータによる絵画的形態発生の可能性− 千葉商科大学 楜沢順
16:00〜16:40 表裏一体、あなた次第 打楽器奏者・東京芸術大学名誉教授 有賀誠
17:00〜18:00 懇親会
主催
三木成夫記念シンポジウム事務局
東京芸術大学 美術学部美術解剖学研究室
7月 21, 2005 at 08:09 午前 | Permalink
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最後の授業
早稲田大学、国際教養学部の授業は、
これが最後。
まず、今までの授業の内容を軽くふり返った
あと、
約30分のテストをした。
英語で一学期授業するのは、とても楽しかった。
来年、この学部に再び戻ってくるかどうかは
わからない。
君たちのことは決して忘れない。
ありがとう。
夕刻、クラブキングにて、
桑原茂一さん、吉村栄一さん、須田泰成
と会う。
8月にあるRising Sun Rockfestival
の打ち合わせ。
http://rsr.wess.co.jp/2005/artists.html
桑原さんがプロデュースするBlack Hole
の中で、須田泰成さんと「イギリスのコメディ」
についてのトークショウをするのである。
私もイギリスのコメディは随分見ている方だが、
須田さんの方は仕事にしていて、
知識の蓄積が凄い。
須田さんが何本かビデオを持ってきていて、
みんなで楽しんだ。
夏が近づいて来ている。
聖心女子大学も今日が試験でそれで終わり。
夏はまとまった仕事をして、
人生という泥団子をぴかぴかに磨きたい。
The Qualia Journal
Kuwahara Moichi's style of comedy
7月 21, 2005 at 07:58 午前 | Permalink
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2005/07/20
Introduction to Psycholgy final lecture
早稲田大学国際教養学部
2005.7.20. 13:00〜14:30
7号館419教室
Introduction to psychology. Lecture 12.
(Final Lecture)
First we review briefly what we have been studying. Then we do our "exam". Finally, we wrap up by reflecting on the importance of psychology in human life.
7月 20, 2005 at 08:08 午前 | Permalink
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平田さんと富野さん。
世田谷パブリックシアターで
脚本家、演出家の平田オリザさんと
対談。
良い役者というのは、自分の行為を
客観的に見ることができるのだと
いう。
台詞を言い、演技をしながら、
周囲の状況をすべて把握している。
だから、普段机の上にあるコップ一個が
なくなってしまっただけで、言葉が詰まって
しまう人がいるというのだ。
それは、まさに離人症ですね、と言ったら、
平田さんはそうですと笑っていた。
私も、講演会の時などに、時々そうなることが
ある。
しかし、すぐに、「あっ、これはやばい」
と本能的に思って、引き返してしまうのだ。
今度そうなったら、もう少し長くやってみよう。
平田さんが生徒に演劇を教える時、
芸術家というのはチキン・レースと同じで、
崖に向かって全速力で走っていかなくてはならない
と伝える。
しかし、崖を落ちてしまっては元も子もないから、
ぎりぎりのところでブレーキをかけなければ
ならない。
その、ブレーキのかけ方が難しいと平田さん。
面白かった。
研究所で、柳川透や、小俣圭、張さんと
議論。
「ガンダム」の産みの親、富野由悠季
さんがいらっしゃる。
Popular Science 日本版の対談企画。
富野さん、がんがん飛ばす。
全く予定調和ではない。
なるほど、こういう人じゃないと、
「ガンダム」は創れないのだな。
考えてみると、技術論にせよ、
科学論にせよ、
廃棄物の問題や、非平和利用、
そこに関わる人間の問題を含め、
「サブカル」と言われたSFアニメの
方が、よほど全体像を見据えていたのではないか。
ぴかぴかのマシーンが目の前にある時、
そこだけをすくい上げてキレイな世界を創るのでは
なく、
その背後にうごめくヘドロのようなものも
引き受けて初めて
文明のエコロジーは成立するのであろう。
人に会うのが好きだ。
一人の人間の中には、ジャングルがあり、
静かな沼があり、曇天があり、ピーカンの
青空があり、無限の砂漠がある。
久しぶりに郡司ペギオ幸夫に電話した。
「おれの子どもとお前のテレビ見たよ」
と郡司。
「いつも酔っぱらってパパに電話して
くる人と同じだとは思えなかったってさ」
いろいろ淀んできた時には、
自分がもう一度小学校6年生になったことに
することにしている。
The Qualia Journal
Dialogue with Oriza Hirata
7月 20, 2005 at 07:46 午前 | Permalink
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2005/07/19
IT社会で求められる経営者の能力とは
7月 19, 2005 at 08:01 午前 | Permalink
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もののあはれ
web上で、他国のことであれ、
特定の立場の人であれ、
他人のことであれ、
口汚くののしっているのを読むと、
心が寒くなる。
そういうことを書きたくなる気持が
わからないでもないが、
それは一種のpathology(病理学)
に属する事だと思う。
脳というのは不思議なもので、
ある特定の考えにとらわれると、それに
よって運び去られてしまう傾向がある。
人間自体を目的にしていれば、
決して言葉だけが鋭利な刃物のように
走っていってしまうことはないはずだ。
とりわけ、他国に対する批判は、
それを日本語で書いた瞬間、ほとんど日本人しか
読まないのだから、
反論のリスクを負わない、身内の自己満足に
なってしまう。
人間自体を目的にするのであれば、
他国に対しても、あたかもその国の人たちが
「人間」というカテゴリーの外にあるかのような
書き方はできないはずだ。
日本にいて、日本語で書くのは「ホーム」
である。
「アウェー」を闘っている松井や
イチローにかなうはずがない。
自分が子どもに戻っていて、
両親や妹と旅をしている夢を見た。
何日か旅行したあと、自宅の最寄り駅
で降りて、
家に向かって歩いている時の、
「ああ、懐かしい」という気分を、
もう一度味わうことができた。
あの時間は二度とかえってこない。
若かった両親もかえってこない。
このような感慨を本居宣長は
「もののあはれ」と呼んで、
日本精神の中枢に据えた。
平気で他人や他国を批判できて、
自らを省みることがない人たちは、
「もののあはれ」が少し足りないのではないか。
もちろん、人間自体を目的にする、
ということは、他人を批判している
困った人たち自体をも、切り捨てずに、
暖かく、その人格自体を目的にして
振る舞うということを意味する。
そのことさえ押さえておけば、
何を言っても大丈夫である。
誰でも、自分が小さかった時の
親とのことでも思い出してみれば、
やさしい気持になれるはずだ。
The Qualia Journal
The Time Machine
7月 19, 2005 at 05:51 午前 | Permalink
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2005/07/18
鏡を曇らせてはならない
ヨミウリ・ウィークリー
2005年7月31日号
(2005年7月16日発売)
茂木健一郎 脳の中の人生 第62回
鏡を曇らせてはならない
一部引用
先日、ニューヨークで美術関係の仕事をしている友人が帰国した時、昨今の日本の風潮をひとしきり嘆いていた。国際情勢などを巡る、感情的な論調が目立つというのである。幾つかの具体的な問題に触れたあとで、「そもそも、今や、日本語で何かを表現していること自体が鎖国のメンタリティなんだよね」と彼は言った。
友人が心配していたのは、実際的な意味で、日本語の言論空間が閉じているということである。せっかく素晴らしい考えがあっても、日本語で書かれているがために、世界の中に流通して行かない。逆に、日本語だからこそ許されるような独善的な考え方が跋扈する。いずれにせよ、もったいないことは間違いない。
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。
http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/
7月 18, 2005 at 10:19 午前 | Permalink
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「科学の恵み」セッション1、セッション2
Lecture Records
科学の恵み その1 2005.7.16.
「科学することと、他人の心を知ることは同じである」
(含質疑応答)
お台場メディアージュ5F
音声ファイル mp3、41分、18.7MB
http://www.qualia.csl.sony.co.jp/person/kenmogi/lectures/blessingscience-1-20050716.MP3
科学の恵み その2 2005.7.17.
「自分自身から解放されて、世界について考えること」
(含質疑応答)
お台場メディアージュ5F
音声ファイル mp3、38分、17.4MB
http://www.qualia.csl.sony.co.jp/person/kenmogi/lectures/blessingscience-2-20050717.MP3
7月 18, 2005 at 10:10 午前 | Permalink
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夏休みはお勉強をして
またお台場に行く。
二日目となると、なんだか通勤しているような
気分になってくる。
昨日に輪をかけて人が多い。
人が多いところを見ると、どうしても、
「人が多い、車が多い、くるまって名前の人も
多い・・・くるまとらじろうさんとか、くるま
だんきちさんとか、くるまえび、それは寿司ネタ
だって話しもありますけれどもね・・・」
と言いたくなるのだが、
これを読んで判る人は、あのmp3を聞いたことが
ある人ですね。
風邪は一日眠ってほぼ回復したが、
どうも気分が夏休みのようで困る。
地下鉄やゆりかもめの中で、Michael Tye
を読んでいると、本当に夏休みの勉強をしている
気分になってくる。
群馬大学の伊藤栄祐さんが遊びに
来た。
ホテル日航でビールを飲みながら少し
喋る。
かーっと暑い日差しのもと、
お勉強しているいい子ちゃんのような
気分で、お台場で仕事をして、
帰って来た。
夜になっても空気がねっとりと暑く、
近くの公園では花火をしている少年たちがいる。
少年たちにとって、花火というのは
何のメタファーなのだろう。
年頃の少年たちが薄暗闇でうごめいている
だけで、不穏な気配がして、
懐中電灯をもって見回りにきたおじさんが
文明の理性の象徴のように思えた。
夏休みは、お勉強をして、理性をクールに
保つのも、そんなに悪くないと思う。
寺田寅彦が、熱さと冷たさのコントラスト
こそが快感をつくると言っている。
もっとも、それはコーヒーとアイスクリームの
話であるが。
The Qualia Journal
Nurturing Genius
7月 18, 2005 at 09:57 午前 | Permalink
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2005/07/17
(本日) 科学の恵み 第2回
ソニーコンピュータサイエンス研究所展
2005.7.16. 〜 7.24.
http://www.sonyexplorascience.jp/scsl/
お台場、メディアージュ5F
ソニーエクスプローラサイエンスにて
Meet the researchers
茂木健一郎 科学の恵み
セッション2
「自分自身から解放されて、世界について考えること」
私たち人間は、世界について知りたい、理解したいと思っています。世界を知る営みである科学が人間にもたらしてきた恵みについて、科学する際の心の動き、脳の働かせ方に焦点を当てて、やさしく解説します。科学のすごさ、科学的に考えることの楽しさを知り、思わず飛び上がってしまうような感動を共有しましょう。
2005年7月17日(日) 13:00〜
7月 17, 2005 at 10:33 午前 | Permalink
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科学の恵み その1
レインボーブリッジを渡る時は、
いつもどきどきする。
歩道を行く人はいるかな、と思って
みていたら、カップルと男の人一人がいた。
遊歩道は全長1.7kmということだから、
ゆっくり歩いて30分くらいだろうか。
ループ部分が特にどきどきするように
思う。
お台場のメディアージュの
「ソニーコンピュータサイエンス研究所展」
で30分
『科学の恵み』というタイトルで話す。
子どもの頃の昆虫採集の思い出から
始め、自然の中で昆虫をとることが
いかに「扁桃体」を鍛えることか、
という話をし、
それから、「科学することは他人の心を
思いやることに似ている」という
話をした。
質問も活発で、脳のことなども
いろいろ話した。
テレビマンユニオンの花野剛一さん、
筑摩書房の伊藤笑子さんとビールを飲みながら
遅い昼食をとっていたら、
どんどん体調が悪くなる。
influenzaというよりは、coldである。
これはだめだ、と帰宅して眠った。
8時前に起きて、『世界一受けたい授業』を見る。
日本テレビの竹下美佐さんから、
楽しい授業になった、と聞いていたけれど、
なるほど、細かい画面のつくりこみなど
職人芸である。
再び眠って、久しぶりにBig Sleepと
なったが、喉が痛い。
ゆるりゆるりと今日もお台場に向かうこと
とする。
The Qualia Journal
The Blessing of science
http://qualiajournal.blogspot.com/2005/07/blessing-of-science.html
7月 17, 2005 at 10:17 午前 | Permalink
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2005/07/16
(本日) 世界一受けたい授業
日本テレビ系列 世界一受けたい授業
7月16日(土) 午後7時57分〜8時54分
3時限目
茂木健一郎 先生
『最先端脳科学が解き明かした頭を良くする方法!
茂木健一郎先生の“アハ体験のススメ”』
http://www.ntv.co.jp/sekaju/
7月 16, 2005 at 09:49 午前 | Permalink
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(本日)科学の恵み セッション1
ソニーコンピュータサイエンス研究所展
2005.7.16. 〜 7.24.
http://www.sonyexplorascience.jp/scsl/
お台場、メディアージュ5F
ソニーエクスプローラサイエンスにて
Meet the researchers
茂木健一郎 科学の恵み
私たち人間は、世界について知りたい、理解したいと思っています。世界を知る営みである科学が人間にもたらしてきた恵みについて、科学する際の心の動き、脳の働かせ方に焦点を当てて、やさしく解説します。科学のすごさ、科学的に考えることの楽しさを知り、思わず飛び上がってしまうような感動を共有しましょう。
第一回
2005年7月16日(土) 14:00〜
第二回
2005年7月17日(日) 13:00〜
(第一回と第二回では、違うことをお話します)
その他、高安秀樹、白石哲也、田島茂、イワン・プピレフ
7月 16, 2005 at 09:48 午前 | Permalink
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銀の薔薇
朝日カルチャーセンターの「脳と音楽」
でいくつか音楽を聞いた。
カルロス・クライバー指揮の
『薔薇の騎士』から、前奏曲と、
二幕でオクタヴィアンが婚約の印の
銀の薔薇を持ってくる場面、
それから最後の二重唱の場面。
久しぶりに見たが、やはり素晴らしい
名演だなと思った。
クライバーがかっこいい。登場して
指揮棒を振り下ろすまで、事もなさげに
さっと行くのがぐっと来る。
二幕の銀の薔薇のシーンを見ていて、
大学生の時にこのオペラに影響されて
銀の薔薇を作ったことを思い出した。
もちろん銀ではなく、アルミホイルである。
今の大学生もそんなバカなことを
しているのだろうか。
小澤征爾指揮、ストラヴィンスキー
「春の祭典」。
小澤がすばらしく若い。
先日、白髪の小澤さんを間近で
見たばかりなので、
なんだか時の流れが愛おしくなった。
そして、最後に、ダニエル・バレンボイム
指揮、シカゴ交響楽団で、マーラーの
5番、第四楽章アダージョ。
音楽の調性認識が脳の中で
静止的なトポルグラフィーではなく、
ダイナミックに変化して起こっている
という論文を読んだ。
それと、Allan Snyderの、
絶対音感を引き起こす方法についての
論文を読む。
最近何だか音楽が面白く感じられる。
飲み会は、最後は筑摩書房の増田健史と
幻冬舎の大島加奈子さんが残る。
午後2時頃、突然ひらめいた。
そうだ、ヴィトゲンシュタインの
言語ゲームを、今切実な問題として
感じているlanguage policyと結びつけて
考えれば。
言語の恐ろしさ。
茂木さん、それですよ、と増田健史は
タオルをはちまきのように巻いた顔で
頷いた。
こういう啓示の時間があるから、
風邪気味でもたまには遅くまで(早くまで)
飲んでみるものである。
おかげで空けた今朝は喉や鼻の粘膜が
痛い。
全てはWittgensteinのせいである。
The Qualia Journal
The blessing and closure of language
7月 16, 2005 at 09:45 午前 | Permalink
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2005/07/15
(本日)朝日カルチャーセンター 脳と音楽
本日
朝日カルチャーセンター講座
脳と心を考える ー脳と音楽ー
第2回
2005年7月14日
18:30〜20:30 東京新宿
朝日カルチャーセンター
(途中からの参加もできます)
http://www.acc-web.co.jp/sinjyuku/0507koza/A0301.html
7月 15, 2005 at 08:27 午前 | Permalink
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あすへの話題 モーツァルト問題
あすへの話題 モーツァルト問題
脳科学者 茂木健一郎
モーツァルトと言えば、数々の名作を残した天才作曲家である。その音楽は天上の美しさを秘めているが、作曲した当人は、冗談好きの、至って落ち着かない人間だったようである。
「何故こんな下品な男があれほど美しい音楽を書けるのか」と、同時代の人がショックを受け、それが証言として残っている。映画『アマデウス』でも、作曲家サリエリがモーツァルトの人物と作品の差に思い悩む様子が描かれた。
天才的な人物は、往々にして作品と本人の間にギャップがある。これを、「モーツァルト問題」と呼ぼう。脳が新しいものを生み出す仕組みの秘密が、そのギャップの中にありそうである。
人物と作品の乖離は、モーツァルトに限ったことではない。静謐な作品を書く作家が、実際に会うと豪快な人物なのでびっくりしたことがある。かえってそのくらいの方が信用できることが多いようだ。
なぜ、人物と作品の間にギャップが生じるのか。作品とは、脳から排泄されるものである。作品として世に出して、すっきりしてしまうと、本人はケロリと方向転換できる。自分の能力を生かせる人は、人物と作品の間にギャップを生み出すのである。
真面目でもっともらしい人は、案外詰まらない。日本人も、あまり肩肘張っていないで、少しはモーツァルトを見習ったらどうか。その方が、日本から発信される文化の質も向上するはずである。
実際、アニメやゲームは、肩肘張らずに作ってきたことで大成功している。日本のモーツァルトはその辺りにいたのである。
(日本経済新聞2005年7月14日夕刊掲載)
7月 15, 2005 at 08:24 午前 | Permalink
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秋元雄史 東京芸術大学講義
秋元雄史 東京芸術大学講義
「家プロジェクトから地中美術館へ」
2005.7.14.
東京芸術大学 美術学部 中央棟 第3講義室
音声ファイル (MP3、32.8MB、72分)
http://www.qualia.csl.sony.co.jp/person/kenmogi/geidai2005/akimotogeidai20050714.MP3
7月 15, 2005 at 08:23 午前 | Permalink
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知音会から地中美術館へ
朝8時前、霞ヶ関駅で降り、
日比谷公園の中を抜けて帝国ホテルへ。
作曲家の三枝成彰さんのご依頼で
「知音会」で脳について話す。
「知音」(ちいん)は、
中国で、自分の演奏を愛してくれた
友人が亡くなった時に琴の弦を切って
二度と弾かなかった名人の故事に
由来する。
自分のことを一番よく理解してくれる
人を知音と言う。
元文部大臣の遠山敦子さんをはじめとして
偉い方々ばかり。
終了後、三枝さんがタクシーで広尾まで
送ってくださった。
車中、ずっと三枝さんの話を聞く。
作曲家になったのは父親の希望で、
自分で望んだのではなかった。
現代音楽が志望だったが、
難しい側面がたくさんあった。
あなたの作品発表に来ているのは
知り合いや親戚ばかりじゃないのと言われた。
ヨーロッパに行けば、なぜ日本の音楽を
やらないのか、と言われた。
46歳の時にオラトリオ『ヤマトタケル』
を書いたのがきっかけで、何かから解放
されたような気がした。
ヨーロッパの音楽は、伝統的に、
快楽をストレートに解放することを嫌う。
だからポップスはバカにされる。
バッハなんか、ずっと禁欲的に行くでしょ。
ただ、バッハは、同時に、泣かせる情緒性を
持っているから、
あれはロマン派の先駆けなんだね。
・・・・
三枝さんと別れ、聖心女子大学へ。
来週の試験前の最後の授業。
今までやったことをふり返り、
その後小津安二郎『東京物語』
の最後の30分を見て、
「他人の心は判るか?」という
ことについて考えてもらった。
東京芸術大学に移動。
地中美術館の秋元雄史さんに授業を
していただく。
内藤礼さんや宮島達男さんの
家プロジェクトが、最初は
ごく普通の民家だったということに
改めて驚く。
「生活の猥雑さがあふれる空間から、
抽象性へと昇華していくのは、
まっさらな空間から構築して行くのとは
違った難しさがあった」と秋元さん。
宝物の言葉である。
美術解剖学の授業も、前期はこれで終わり。
みなさん、10月までお元気で。
奏楽堂で、DIA foudationのマイケル・
ガヴァンの話も併せた、地中美術館
一周年のイベント。
DIA foundations は、ウォルター・デ・
マリアのLightening Fieldや、
ジェームズ・タレルのクレーターの
作品を長期的に支援してきた財団。
聞きながら、「誰が歴史を書くのか?」
という問いがアタマを巡ったが、
案の定会場からそんな質問が出た。
秋元さんの回答が腹が据わっていて
好きだった。
ニーチェが「ルサンチマン」を抱くな
と言ったのは、弱者にとってこその倫理である。
日本がアメリカに対して弱者の立場に
あったとしても、ルサンチマンを抱くと
いつまでも子どもである。
「歴史を書く」ということについての
覚悟と実行が必要なのだ。
自分たちが自分たちの知音にならなくて
どうするというのか。
Language Policyも当然関係してくる。
The Qualia Journal
Who writes the history?
7月 15, 2005 at 08:08 午前 | Permalink
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2005/07/14
(本日)東京芸術大学 美術解剖学 秋元雄史
東京芸術大学 美術解剖学授業
秋元雄史(直島・地中美術館館長)
2005年7月14日(木)
午後3時35分〜午後5時
東京芸術大学 上野校地 美術学部 中央棟
第3講義室(2F)
http://www.geidai.ac.jp/campus/ueno_campus.html
芸大油絵科出身の秋元雄史さん(地中美術館館長)
にお話いただきます。
引き続き、午後5時30分からは地中美術館 の
開館一周年を記念したイベント
東京藝術大学美術学部特別講演会 公開シンポジウム
「21世紀の美術館像を巡って――アートがつくり出す特別な場所」
http://www.chichu.jp/j/education/sympo.html
があります。合わせてお聞きください。
イベント前に、秋元さんに親しくお話を伺う
チャンスです!
(美術解剖学の履修生でない方もどうぞご参加
ください)
お問い合わせは、茂木健一郎
kenmogi@qualia-manifesto.comまで。
7月 14, 2005 at 05:22 午前 | Permalink
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Piet Hut:The Future of Science.
Lecture Records
Piet Hut: The Future of Science.
Lecture given at Waseda University, Tokyo.
July 13th, 2005.
MP3 file 41.3MB, 90 min.
http://www.qualia.csl.sony.co.jp/person/kenmogi/MP3/piethut20050713.MP3
7月 14, 2005 at 05:18 午前 | Permalink
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Piet Hutによる科学の未来
リーガロイヤルホテルで、九州大学
ユーザーサイエンス機構の坂口光一さん、
目黒実さん、坂口敬司さんと
懇談。
「子ども」についての様々な
研究のアイデア。
プリンストン高等研究所のPiet Hutが来て、
となりのテーブルで食事をしている。
そこに筑摩書房の増田健史がゲラを取りに来る。
タケシにゲラを渡して、一緒に
早稲田大学のキャンパスを歩いた。
タケシの目が懐かしげである。
タケシは早稲田出身なのだ。
Piet Hutが、Future of Scienceという
タイトルで話してくれる。
面白い。
天文物理学の立場から、
近代科学がガリレオとともに誕生してから
の時間の流れをマクロに見る。
100年後、10000年後の
科学は、どんな姿をしているか。
科学がまだ若い営みであることを
考えれば、
「リアリティについて全てが判っている」
というふりをする科学者の言うことは、
おそらく当たっていない。
研究所に移動。
ATRの樋口さとみさんのtalk。
道具使用と言語活動による、
ブローカ野の活動について。
Piet Hutが、再び研究室のメンバーの
前で話してくれる。
五反田の遠野物語へ。
Pietを囲んで懇談。
関根が、「ラーメン・マスター」
としてのうんちくをPietに話していた。
小俣圭、柳川透とサシで話す。
こいつらも、いつの間にか博士3年である。
月日が経つのは速い。
博士論文の中間発表をする季節になった。
「オレはやるよ。だからおまえらもやれ!」
などと私は言っていたような気がする。
Piet、二回も話してくれて、ありがとう。
The Qualia Journal
Piet Hut's Future of Science
7月 14, 2005 at 05:12 午前 | Permalink
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2005/07/13
(明日)東京芸術大学 美術解剖学 秋元雄史
東京芸術大学 美術解剖学授業
秋元雄史(直島・地中美術館館長)
2005年7月14日(木)
午後3時35分〜午後5時
東京芸術大学 上野校地 美術学部 中央棟
第3講義室(2F)
http://www.geidai.ac.jp/campus/ueno_campus.html
芸大油絵科出身の秋元雄史さん(地中美術館館長)
にお話いただきます。
引き続き、午後5時30分からは地中美術館 の
開館一周年を記念したイベント
東京藝術大学美術学部特別講演会 公開シンポジウム
「21世紀の美術館像を巡って――アートがつくり出す特別な場所」
http://www.chichu.jp/j/education/sympo.html
があります。合わせてお聞きください。
イベント前に、秋元さんに親しくお話を伺う
チャンスです!
(美術解剖学の履修生でない方もどうぞご参加
ください)
お問い合わせは、茂木健一郎
kenmogi@qualia-manifesto.comまで。
7月 13, 2005 at 10:12 午前 | Permalink
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小澤征爾さんのリハーサルについてのコメント
小澤征爾さんのリハーサルについてのコメント
(日本マーケティング協会研究会、
2005.7.13. すみだトリフォニーホール)
音声ファイル MP3, 4.8MB, 10分35秒
http://www.qualia.csl.sony.co.jp/person/kenmogi/MP3/ozawacomment20050712.MP3
7月 13, 2005 at 07:45 午前 | Permalink
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Introduction to psychology. Special Lecture
Introduction to psychology. Lecture 11.
早稲田大学国際教養学部
2005.7.13. 13:00〜14:30
7号館419教室
Special Guest Lecture
Prof. Piet Hut
Institute for Advanced Studies, Princeton.
In this special lecutre, the renouned astrophysicist Piet Hut will talk about "the future of science."
7月 13, 2005 at 07:10 午前 | Permalink
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不良設定問題
すみだトリフォニーホールで
開かれた
小澤征爾指揮、新日本フィルの
ブラームス交響曲第2番のリハーサルを
見に行った。
日本マーケティング協会の研究会
である。
指揮者は、基本的に不良設定問題である。
音のかかわること全てをコントロールできる
はずがない。
それでも、指揮が成立しているというところが
面白い。
小澤さんは、しきりに、「母音をもっと響かせて!」
などと言っていた。
自分が感じている音のクオリアを言語化する
能力が必要なのだろう。
しかも、それを、能動的にactionできるように
的確に伝える。
感性的言語を、運動的言語に変換する。
それが指揮者の能力の一つなのだろう。
リハーサルの最後に、ユンディ・リが出てきて
グリークのピアノ協奏曲の第一楽章を弾いた。
派手なカデンツァだった。
多目的ルームで、新日本フィル事務局長の桑原浩さん、
音楽評論家の諸石幸生さんと鼎談。
諸石さんによると、まったくその前にリハーサル
していなくても、小澤が出てきた瞬間に
音が変わるのだという。
だとすれば、指揮者がコントロールしている
のではない。
オケが小澤を前に、勝手に弾いている
のである。
もちろん、どう勝手に弾くかは、
小澤その人の存在によって決まる。
会話と同じで、目の前にどのような相手が
いるかで、生み出されてくるものが違う。
つまりは不良設定問題であることこそが、
積極的本質だということになる。
夕刻、読売新聞社。
ヨミウリ・ウィークリー編集部に
寄り、
川人献一編集長、二居隆司さん、臼井理浩
さんに挨拶。
読売新聞の読書委員会。
面白い本が複数。
満足いたしました。
今日の教訓。
不良設定問題は、自律性によって解決され、
むしろ積極的な事態へと変換される。
The Qualia Journal
Seiji Ozawa's ill-posed problem
7月 13, 2005 at 06:59 午前 | Permalink
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2005/07/12
何に喜びを感じるか
音楽評論家の湯山玲子さんと懇談。
(http://qualiajournal.blogspot.com/2005/07/club-culture.html)
新潮社の北本壮さんと打ち合わせ。
NHK出版の大場旦さんとミーティング。
NHKの吉田照幸さんに、The OfficeのDVDを
参考資料として渡す。
夜、大場旦、筑摩書房の増田健史、
現在東大の4年生で来年岩波書店に就職が内定
している辻くん
と私の4人で、「ultimate intelligence懇親会」
渋谷の「かねこ」にて。
辻くんは、この前、駒場で授業をやった
時に、終わった後の飲み会に来ていて、
その理路整然とした語り口とか、
見所があるなあ、と感じて、
これは一度オオバタン、マスダタケシの
両巨頭に引き合わせようと思いついたのである。
かなりの本音
トークになって面白かった。
私もかなり率直になっていたと
思う。
何に喜びを感じるか。それが重要だと
思う。
やはり、難しいことにチャレンジしたい。
定義からして難しいことなのだから、
なかなかできなくても仕方がない。
他人のことをあれこれ言うことに
喜びを感じる人などもいるわけだけれども、
そういうのはほどほどにした方がいい。
最終的にどこを目指しているのか、
その目に見えない場所が全てなのだ。
7月 12, 2005 at 07:05 午前 | Permalink
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2005/07/11
感情教育
仕事ばかりしていてアタマがおかしく
なりそうだから、
新座の平林寺にいった。
家から車で30分ほどである。
森の中を散歩しながら、さまざまな昆虫を
見ていると、
次第に自分が鳥になったような気分になって
くる。
鳥は博物学者にならざるを得ない。
何しろ、食べられるものを見分けなければ
ならない。
そのエリアに住んでいる昆虫の種類で、
こいつは食える、こいつは食えない、と
学んでいかなくてはならない。
カブトムシやクワガタがいるかと、
木のうろなどを見ていたら、
子供のころを思い出した。
そして、時々、ウヮツ! と思った。
ゴキブリなどがいるからである。
小学生の頃、ウロの中に黒光りする
やつがいて、
手を入れたらゴキブリだった、
ということは何回もある。
あの時の身の毛もよだつ感覚が
久しぶりに蘇った。
とても奇妙なやつがいて、
黒いボディから、何やらオレンジ色の
突起がある。
あんなやつは絶対にいないはず、
と思っているうちにとてつもなく不気味な
感覚になってきた。
よく考えてみると、おそらく卵鞘を付けた
ゴキブリである。
それにしても気持悪い。
あいつらが、尾に卵鞘を付けて歩き回っている
とは知らなかった。
自然の中にいると次々と意外なことがある。
それで、子供の頃の昆虫採集の恵みが
わかった。
昆虫採集は、Amygdala(扁桃核)を鍛える。
なにしろ、いろいろなショック・ウェーヴを
体験する。
突然ハチがぶーんと飛んできて
うぇーと逃げたり、
毛虫が落ちてきて、うゎっ、とはたいたり、
背中に何かが入って、あわてて脱いで
飛び跳ねたり、
まあありとあらゆる目に遭った。
その一方で、蝶の羽ばたきの優雅さや、
カナブンの光沢の美しさに魅せられたのは
もちろんである。
思えばあれは感情教育だったのだ。
知性も感情も、intenseなのが良い。
intensiveに生きなきゃ、人生もったいない。
7月 11, 2005 at 04:51 午前 | Permalink
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2005/07/10
世界一受けたい授業 7月16日放送
日本テレビ系列 世界一受けたい授業
7月16日(土) 午後7時57分〜8時54分
3時限目
茂木健一郎 先生
『最先端脳科学が解き明かした頭を良くする方法!
茂木健一郎先生の“アハ体験のススメ”』
http://www.ntv.co.jp/sekaju/
7月 10, 2005 at 10:50 午前 | Permalink
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ソニーコンピュータサイエンス研究所展
ソニーコンピュータサイエンス研究所展
2005.7.16. 〜 7.24.
http://www.sonyexplorascience.jp/scsl/
お台場、メディアージュ5F
ソニーエクスプローラサイエンスにて
Meet the researchers
茂木健一郎 科学の恵み
私たち人間は、世界について知りたい、理解したいと思っています。世界を知る営みである科学が人間にもたらしてきた恵みについて、科学する際の心の動き、脳の働かせ方に焦点を当てて、やさしく解説します。科学のすごさ、科学的に考えることの楽しさを知り、思わず飛び上がってしまうような感動を共有しましょう。
第一回
2005年7月16日(土) 14:00〜
第二回
2005年7月17日(日) 13:00〜
(第一回と第二回では、違うことをお話します)
その他、高安秀樹、白石哲也、田島茂、イワン・プピレフ
7月 10, 2005 at 09:39 午前 | Permalink
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人生は楽しむが勝ち
ヨミウリ・ウィークリー
2005年7月24日号
(2005年7月11日発売)
茂木健一郎 脳の中の人生 第61回
人生は楽しむが勝ち
一部引用
アメリカについて、いろいろ言う人はいるが、その楽天主義は日本人がもっと見習うべきことだと思う。とりわけ、カリフォルニアの人々は、「人生をいかに楽しむか」という命題を大切にしている。楽天主義の力強さを、訪問する度に感じる。もちろん、様々な問題がないわけはない。それでも未来を信じて努力するのが、性根の座った楽天主義だろう。
カルテクに近いメキシコ料理のレストランに入って、ふと周囲を見渡すと、実にいろいろな人たちがいる。肌の色も、年齢も、喋っている言葉のなまりも様々である。その人たちが、食事を心から楽しんでいる。このダイナミズムには、日本はとても叶わないなと思った。
考えてみれば、学問も人生も、何が起こるか判らない、ごった煮の中にこそ真実がある。予想がつくような発見は、大したものではない。様々な要素を取り入れて、清濁合わせのみ、よっしゃ任せておけと楽天的に努力して、初めて大きな成果を上げることができるのだろう。そのような視点から見れば、日本人全般、とりわけ名門大学の学生たちは、いささか心配症過ぎるのではないか。
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。
http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/
7月 10, 2005 at 07:32 午前 | Permalink
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Language policy
The qualia journal
http://qualiajournal.blogspot.com/
Language policy.
Soon after I came back from my California trip, one phrase started to ring in my head. "Language policy". I did not know where it came from. I just felt that it was relevant to some situations happening to me and the nation. I look up in the dictionary, and I find that it refers to how the government treats the minority languages within its jurisdiction. That is a bit different from what I expected, but related.
You must know that in Japan, nationalistic arguments are on the rise, especially towards the neighboring nations. Every nation has the right to be proud of its history, and is justified to wish for its own welfare. But nationalism is a bit like wishing for the success of yourself and your family. Sure, it is a natural thing, but you hesitate to call it idealism in the modern world. If someone says that his ideal is for his family to be successful, you would think that he is a bit naive and petty. These adjectives are appropriate for some "patriots" that are rampant in the Japanese media. I would not go far as to call them scoundrels, though. Johnson's famous quote is not really appropriate. It is not even their last resort. They are not living a full life requiring one.
In the modern world, in order to have a full life, you need to adapt a good language policy. Since English is the de facto standard, it is easy to have one for native English speakers. They even don't need to have one. I am not a native English speaker, so I will not touch upon non-policies.
What is happening in Japan is a domestication of discourse. The Japanese "patriots" can say what they say in the media, because they are saying it in Japanese. Some of their claims would be unsustainable if expressed in a more international language, as the English. It is like boasting in a family gathering, "the house of the Mogi (that's my family name) is great!" The family members will listen to you, but nobody else.
I am not saying that everyone should speak English. It is something subtler.
7月 10, 2005 at 07:24 午前 | Permalink
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活字が頭に染みこんでいく快楽。
土曜日
仕事をぜんぶ投げ出して、
ひたすら活字を読んでいた。
まずよんだのは、牧村健一郎さんの
『新聞記者 夏目漱石』(平凡社新書)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582852777/250-6843450-5097069
漱石が東京帝国大学教授を目前にして
朝日新聞社に入社したことは、
当時センセーションを呼んだわけだけれども、
この本は「社員」としての漱石の生活を
リアルに描いていて秀逸。
「苦悩する文豪」というつくられたイメージ
ではとらえきれない、漱石の生活の苦労
が見えてくる。
その小説世界自体が、当時の社会情勢に取材した
一種のジャーナリズム的側面を持っていた。
もちろん、そのような性格付けさえ超えて
しまうところが漱石の偉大である。
続いて、文藝春秋 臨時増刊 「昭和と私」
を読む。
http://www.bunshun.co.jp/mag/extra/showa/index.htm
私が生まれたのは昭和37年。戦争終結から
17年。今年は平成17年。昭和が終わってから
17年。
二つの17を比べると、時代の変化というのは
気付かないうちにすでに取り返しのつかない
ことになっているなと思う。
二つの特別鼎談が秀逸。
成熟した知性が繰り出す丁々発止は
気持がよい。
活字がアタマに染みこんでいく快楽。
思えば、最近、ゆっくりと読書する暇さえ
なかった。
本が売れないというが、私にはよく判らない。
面白い本をソファに寝ころがって読む
独特の快楽(ところてんのようにつるんと
冷たく、しかし芯は熱く私のアタマの中に
入っていくもの)に代わるものは他にないのだけれども。
出版業は本当は快楽産業なんだと思う。
さて、仕事をします。ごめんなさい。
7月 10, 2005 at 06:59 午前 | Permalink
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2005/07/09
何か別物
ロンドンのテロのようなニュースに接すると、
「あなたの人格およびすべての他人の人格のうちにある
人間性を、常に同時に目的として取り扱い、決して単に
手段としてのみ取り扱わないように行為せよ」
というカントの格率を思い出す。
テロというのは、つまり人間の生命を
政治的プロパガンダという目的のために
使って反省しない行為のことだろう。
諸君、カントを読み給え。
渋谷で打ち合わせしたあと、
東京電力のTEPCOセミナーへ。
脳と心のミステリー 〜最新脳科学の挑戦
ということで、90分話して、30分質疑応答。
大変スルドイ質問が沢山出て、
楽しかった。
恵比寿のsite ebisuで開催されている
志村信裕さんの
「染まりゆくウツロヒ」展を見に行く。
芸大の授業コミュニティーの
イッコさんの初キュレーションでもある。
http://shimuranobuhiro.sub.jp/
http://www.site-ebisu.com/
16分ほどの映像作品。
細かいところまで気を配ってつくりこまれ
ていて、完成度は大変高かった。
志村さんと話した。滝だというが、私には、
滝でも、オーロラでも、今まで知っている
何かでもない、何か別物だという気がした。
揺れるカーテンのように見える時もあるが、
それも過ぎ去っていく。
志村さんは「何か別物」を創ったのだろう。
色を抑制的に使っていて、新しい色が
現れる時は、はっとする鮮烈な効果がある。
見ているうちに時間の経過が判らなくなった。
筑摩書房の増田健史から「「脳」は整理する」
というタイトルの脅しのメール。
NTT出版の牧野さんからも脅しのメール。
ここで再び、「他人を手段ではなく、
目的として・・・」という
カントの格率を思い出して
みよう、
などと言っても逃げられるはずがない。
ここは一つ、「何か別物」を考え出さなければ
なるまい。
何か別物の週末です。
7月 9, 2005 at 09:24 午前 | Permalink
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2005/07/08
あすへの話題 脳ブームが映すもの
あすへの話題 脳ブームが映すもの
茂木健一郎
脳に対する一般の関心が高まっている。この「脳ブーム」の背景には、最近の社会情勢の変化があると私は考える。
コンピュータやインターネットなど、人間を取り囲む情報環境は激変した。それに伴って、社会の中で要求される能力も変化している。
従来の能力観、知性観が役に立たなくなってきているのである。そんな時代の流れの中で、自分の脳を、どのように使ったら良いのか判らない。そのような漠然とした不安が、人々の脳への関心を高めている。
産業革命以降、事務処理を正確にこなすことのできるホワイトカラーが評価されてきた。しかし、定型的なデータ処理ならば、今やコンピュータが迅速にやってくれる。いつの世でも、稀少な財がマーケットで評価される。コンピュータにはまねの出来ない人間の能力が求められる。すなわち、他者とコミュニケーションする能力と、新しいものを生み出す創造性である。
現在は、単純な計算や読み書きの能力を鍛えるドリルへの関心が高い。確かに、脳の基礎体力を育むトレーニングとしては役立つ。しかし、それだけでは人間の脳の潜在的能力は引き出せない。正解の決まった問題を素早くこなすのは、コンピュータが得意なことである。入社試験で、「そうか、君はドリルが素早くできるのか」と言って喜ぶ会社はないはずである。
コミュニケーション能力も創造性も、一日にして促成栽培できる能力ではない。まさに、人間としての総合力が問われる。脳への関心は、人間への関心につながらなければならない。人間を知ってこそ、脳ブームも生きるのである。
(日本経済新聞2005年7月7日夕刊掲載)
7月 8, 2005 at 09:51 午前 | Permalink
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渋谷慶一郎 東京芸術大学講義
7月 8, 2005 at 09:45 午前 | Permalink
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島田雅彦 聖心女子大学講義
7月 8, 2005 at 09:41 午前 | Permalink
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ふり返れば、あれが七夕だった
午前中、聖心女子大学の臨床心理学特講には、
作家の島田雅彦さんにご出講いただいた。
最近出版された新潮社の「おことば」
を見てもわかるように、島田雅彦さんが、
皇族の方々になみなみならぬ関心を抱き、
皇后さまが学ばれた聖心の地を一度訪れたい
と思われていることは周知の事実だった。
それでは、とお招きしたのである。
念願を果たさんと目をキラキラと輝かせた
マサヒコさんを、私は正門にお迎えした。
マサヒコさんは、古代ギリシャの神話の
話から説き起こし、歴史とは何か、文学とは
何か、
聖心女子大学の乙女たちに熱く語って
いったのだった。
授業を終え、聖心のキャンパスを歩く
マサヒコさんは、おもむろにサングラスを
取り出し、満足そうに周囲をきょろきょろと
見渡した。
サングラスには、視線が隠されるという
利点がある。
有志で、有栖川記念公園でランチ。
マサヒコを囲んで、滝の周囲で懇談。
流水でスズメが遊んでいる。
涼しそうだった。
マサヒコの目元も涼しい。
日比谷線で上野に移動。
東京芸術大学美術解剖学の授業には、
渋谷慶一郎さんにご出講いただいた。
渋谷さん人気か、教室は空前の大入り。
授業後の上野公園での飲み会も、
記憶にないほどの大人数。
40名はいたのではないか。
考えてみれば、特別な夕べである。
木の葉の間の空の色を見ていると、
いかにも七夕という感じがする。
池上高志と、久しぶりにゆっくり話した。
渋谷慶一郎とマリアが笑い、
森瑠衣がちょこんと座り、
富田舞が猫族になった。
鈴木健が砂場に座り、
マリンバ奏者が婉然と微笑み、
P植田が上野駅への送迎自転車シャトルを
運行した。
あの空間のしつらいと、時間の流れ自体が
七夕だった気がする。
ふりかえれば、あれが七夕だった。
そんな時間が時々あってくれれば良い。
芸大の授業も、前期は来週で終わりである。
7月 8, 2005 at 08:00 午前 | Permalink
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2005/07/07
メールサーバー不具合
昨夜の午後8時過ぎから、私の
使用しているメールサーバー
(bekkoame hosting)の不具合により、
メールが送受信できない状態になっています。
現在のところ、復旧しておりません。
ご迷惑をおかけいたしますが、
よろしくお願いいたします。
7月 7, 2005 at 06:43 午前 | Permalink
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思考の補助線 第2回 「曖昧さ」の芸術
筑摩書房
月刊ちくま 2005年7月号 (第412号)
[思考の補助線]2 「曖昧さ」の芸術 茂木健一郎 p.52〜55
一部引用
世界を因果的に見れば、そこには曖昧なものは一つもない。その曖昧さのない自然のプロセスを通して生み出された私たちの思考も、また、この世界にある精緻さの顕れでなければならないはずである。
それにもかかわらず、私たちは、確かに、曖昧な自然言語の用法があるように感じる。もし、自然言語が、厳密な因果的進行が支配する世界の中に「曖昧」な要素を持ち込むということを可能にしているのだとすれば、それ自体が一つの奇跡だと言うしかない。
この奇跡をもたらしている事情を突き詰めていけば、物質である脳にいかに私たちの心が宿るかという心脳問題に論理的に行き着くことは言うまでもない。
そして、この、私たちの心の存在がもたらす奇跡は、単なる「厳密さの喪失」という問題では片づけられない、仮想空間の豊饒をもたらしているのである。
全文は「ちくま」で。
http://www.chikumashobo.co.jp/web/mokuji.html
7月 7, 2005 at 06:39 午前 | Permalink
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(本日)東京芸術大学 美術解剖学 渋谷慶一郎
東京芸術大学 美術解剖学授業
渋谷慶一郎(作曲家)
「現代の音楽 〜100年の視線〜」
2005年7月7日(木)
午後3時35分〜午後5時
東京芸術大学 上野校地 美術学部 中央棟
第3講義室(2F)
http://www.geidai.ac.jp/campus/ueno_campus.html
ATAKを主宰する、作曲家の渋谷慶一郎さんを
お迎えし、現代の音楽について、100年スケールの
視点から語っていただきます。
渋谷さんは芸大作曲科出身。一つの音を作るのに
一週間こもり続ける、現在の音楽界における
カリスマです。
http://atak.jp
(美術解剖学の履修生でない方もどうぞご参加
ください)
お問い合わせは、茂木健一郎
kenmogi@qualia-manifesto.comまで。
7月 7, 2005 at 06:32 午前 | Permalink
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時間泥棒さん、さようなら。
理想と現実のギャップをもたらすものは、
何よりも「時間」の欠乏だなあ。
ここのところ、そんなことを思う。
もし時間が無限にあったら、
やりたいことがあるのだが。
日々の時間の流れの中で、
そのことができずに
私という身体は人生というすべり台を
落ちていく。
早稲田の授業も、あと僅か。
TAの田中さんに、ハンド・マイクを
持って教室を回っていただくように
なってから、
私は時折地の声で喋るようになった。
なにしろ二百人の大教室なので、
オペラ歌手の詠唱のごとく、
終わるとへとへとになる。
とくに忙しくて昼食を食べられなかった
時はこたえる。
NTT出版の牧野彰久さんが、
いつも来ている。
もちろん、授業を聞く、という意味合いも
あるのだろうけども、
それと同時に原稿のプレッシャーをかける
ためである。
「S先生からは一章分いただきました」
と横を歩きながらささやく。
空きっ腹に、ささやきが染みこんでいく。
研究所のゼミは、修士1年がはじめて
論文紹介をした。
ヘライ、ホシノの両名である。
大久保さんは体調を崩して欠席。
二人とも、みんなの突っ込みを受けつつ
何とかこなしていた。
ゼミ修了後、五反田の「あさり」
で懇談。
このような時間は大切で、
それぞれの学生が抱えている
問題点が明らかになったりする。
なんとかみんなが学位を無事とって、
卒業し、就職できるようにしなければ
ならない。
七夕の願いはそれにしよう。
自分のことと言えば、とにかく、
魂の仕事をする時間が欲しい。
私の一番の敵は時間泥棒だ。
結局、密度と集中を上げるしかない。
昼食くらいとらなくても
何だと言うんだ。
時間泥棒さん、さようなら。
ぼくは、自分が本当にやりたいことが
やりたいです。
7月 7, 2005 at 06:26 午前 | Permalink
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2005/07/06
Introduction to psychology. Lecture 10
早稲田大学国際教養学部
2005.7.6. 13:00〜14:30
7号館419教室
Introduction to psychology. Lecture 10.
Body Image
In this lecture, we take a look at how the body image is generated in the brain, with topics from developmental psychology and robotics.
7月 6, 2005 at 07:25 午前 | Permalink
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スローフード
Webマガジン en 連載
茂木健一郎 「おいしさの恵み」
第4回 スローフード
http://web-en.com/
7月 6, 2005 at 07:23 午前 | Permalink
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欲望する脳 第三回
集英社 青春と読書 2005年7月号(6月20日発売)
茂木健一郎 連載 欲望する脳 第三回
意識ある存在にとっての倫理
一部引用
主観的な体験など幻想であり、科学が進んでいけばいつかは消えてしまうものだという消去主義の考え方には、多くの人が割り切れない思いを抱く。自分が感じ、やることには確かにある特定の機能があるのだろう。しかし、そのことをもって、私の人生という体験が全て説明できてしまうのではない、私は断じて生存し、子孫を残すための機能の塊などではない、という直観を、私たちの一人一人が持っている。
全文は「青春と読書」で
http://seidoku.shueisha.co.jp/seishun.html
7月 6, 2005 at 07:20 午前 | Permalink
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予定調和でいくはずがないのである。
夕刻、
NHKの有吉伸人さんと打ち合わせ。
神楽坂のカフェSaryo。
緑茶が甘くておいしかった。
そこから歩いて新潮社へ。
イギリスに一緒にいった北本壮さん
と一緒に、菅野健児さんが撮った
滞在中の写真を見る。
ほんの一ヶ月半前のことなのに、
すでに懐かしい。
会議室に、今月号の『新潮』が
置いてあり、保坂和志と福田和也の
対談が掲載されているので、
思わず手が延びる。
この組み合わせは凄い。絶対に
見逃せない。
予定調和で行くはずがないのである。
新潮新書編集長の三重 博一 さんも
いらして、
そろりそろりと神楽坂の傾斜を
降りて行く。
『考える人』の打ちあげ。
北本さん、菅野さん、三重さん、
金さんの新潮社軍団と、
インタビューが掲載されている内藤礼さん、
内藤さんにインタビューした門崎敬一さん、
後から『考える人』編集長の松家さんも
加わって、
大打ちあげになった。
『考える人』今号の売れ行き、出だしは
大変好調とのこと。
何はともあれ良かった。
雨が降っている。
郵政は僅差の可決。
動乱の予感。
予定調和で行くはずがないのである。
青年の「青」は、動乱の「青」か。
梅雨空でも、雲の上は青空のはずだ。
それがつまり、人生を積み重ねても
くたびれないことにつながるのだろう。
7月 6, 2005 at 07:11 午前 | Permalink
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2005/07/05
考える人 「心と脳をおさらいする」
新潮社 考える人 2005年夏号
2005年7月4日発売
特集
「心と脳」をおさらいする
何が見えますか?
私たちの心は美しい
茂木健一郎
茂木健一郎氏への「10の質問」。
「心と脳」をおさらいするための
21のキーワード
山本貴光 吉川浩満
茂木健一郎
ケンブリッジ、オックスフォード巡礼
写真・菅野健児
インタビュー
ホラス・バーロー
ニコラス・ハンフリー
ロジャー・ペンローズ
佐藤雅彦インタビュー
脳とタスク・アニメーション
心とは? 意識とは? 「わたし」とは?
保坂和志 内藤礼 鶴見和子
脳と心の数理
甘利俊一
「心と脳」を知るためのジャンル別ブックガイド
山本貴光 吉川浩満
http://www.shinchosha.co.jp/kangaeruhito/mokuji.html
7月 5, 2005 at 07:47 午前 | Permalink
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幻の白夜
朝、入試事務のために、東京工業大学すずかけ台
キャンパスへ。
事務終了後、三宅美博さんと
しばらく議論する。
修士一年の星野英一と箆伊智充をさそって昼食に
行こうとしたら、博士3年の柳川透が前を
横切った。
4人で駅前のてんぷら屋「てんてん」へ。
すずかけ台に来た時はここに行くのが
楽しみである。
私は天丼だったが、
学生たちは上天ぷら定食を食べた。
星野は、エビの尻尾が好物らしい。
他人のものまでもらって食べていた。
星野は、そろそろ修論のテーマを決めた
らしい。
いろいろ詰めていくべきところはあると
思うが、
これから一暴れして欲しい。
夜、新宿の小田急マンハッタンヒルズ14F
の「なだ万賓館」で会食。
ソニーの原岡和生さん、福嶋修さん、
ヴァイオリニストの佐藤まどかさん。
原岡さんが佐藤さんのファンで、
いろいろ御世話をしている由。
原岡さんの依頼で、先日の佐藤さんの
コンサートに私は小文を書いた。
_____
出会ったことを忘れずに何時までも覚えていることがある。心の奥深くに印象が刻み込まれ、月日が経つとともに色あせるどころか、ますます輝きを増してくるのだ。
演奏会は、そのような一回性の体験に出会えるチャンスを与えてくれる。ペーター・シュライヤーが素晴らしい歌唱の後、舞台から引っ込む時に見せた笑顔。ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで、『メサイア』を指揮していたメニューヒンが、遅れてきた観客が席につくまで、指揮棒を上げたまま待っていたその姿。何時まで経っても忘れられない。そして、心の宝になる。
人生でたった一回だけしか出会わないかもしれない印象のことを、最新の脳科学では「クオリア」という。佐藤まどかさんは今夜のシベリウスにどんなクオリアを託してくれるのだろう。目を閉じた時、そこに浮かぶ風景は何だろうか。最後の音が消える時、舞台の上に残された美しい残像は、きっと私たちの心の中の掛け替えのない印象へと変わるはずだ。
_____
アメリカから帰国してすぐに読売新聞の
読書委員会に向かった日なので、
残念ながらコンサートには行けなかった。
原岡さんはシベリウスも好きで、
何回かフィンランドに行っているそうである。
本物の白夜は経験したことがない。
原岡さんの面白い話しを聞きながら、
ずっとそのことを考えていた。
梅雨空の東京で、幻の白夜を想ふ。
7月 5, 2005 at 07:42 午前 | Permalink
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2005/07/04
ニートなんて、もったいない!
ヨミウリ・ウィークリー
2005年7月17日号
(2005年7月4日発売)
茂木健一郎 脳の中の人生 第60回
ニートなんて、もったいない!
一部引用
学校に行かず、就職もせず、求職活動や職業トレーニングもしない「ニート」と呼ばれる若者たちが問題になっている。
それぞれいろいろな事情があるだろうけれども、もし「自分のやりたいことが見つからない」ということが積極的に動かない理由だとしたら、もったいないことだと思う。とにかく行動してみることから、全ては始まるからである。
人生の目的は何か、と熱い議論をするのも良い。しかし、目的が見つからないからといって何もしないのは良くない。そもそも、脳の働きから見れば、目的が最初にあって行動が生まれるのではない。目的とは、往々にして、とった行動に対して脳が後から付ける合理化の理屈のようなものだからである。
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。
http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/
7月 4, 2005 at 06:30 午前 | Permalink
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少しやさしい気持になって
小池博史さんが主宰するPappa TARAHUMARAの
「三人姉妹」の公演を中野に見に行った。
原作はもちろんチェーホフだが、小池流の
アレンジがしてある。
というよりは、そもそも、小池さんの
作品に、言語化できるような「意味」を
介してアプローチすべきではない。
公演は素晴らしかった。
三人の女が、1時間踊り続ける。
色彩の流れといい、その意味といい、
エンタティンメント性といい、
人気が出る要素が揃っていて、
実際、小池さんも手応えを感じている
ようだった。
しかし、だからと言って、小池さんが
popularityを無条件で喜んでいる
とも思えない。
popularityの背後には、何やら
恐ろしいものがいつも潜んでいる。
それが小池さんの理想を後押しするか
どうかはわからない。
小池さんを見るたびに、ああ、この人は
基本的に私と同じようなところで苦闘している
人なんだなあ、と思う。
つまりそれは、引き受ける文脈の問題である。
こればっかりは、そう簡単には伝わらない
と思う。
今度、ゆっくり小池さんと話したい。
早朝、コンビニに買い物に行った。
朝の雨の中を歩くのは好きだ。
やわらかく、暖かいものに世界が包まれて、
自分も少しだけやさしい気持になれる気がする。
カエルが見渡す限り蓮の葉の上で休んでいる。
そんな湖面の真ん中に座って
まどろんでいるところを想像してみる。
7月 4, 2005 at 06:16 午前 | Permalink
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2005/07/03
火山島鯨 (volcano whale)
先日(6月30日)の東京財団の研究会の
時に思わずノートに書いてしまった
『火山島鯨』 (volcano whale)
今の気分を表している。鯨のごとく
ゆったりと泳ぎ、そして噴火するのだ!

larger file (1.3MB)
http://www.qualia-manifesto.com/volcanowhale2.JPG
7月 3, 2005 at 12:05 午後 | Permalink
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QUALIA二周年
ソニーのQUALIAが発表されてから
二周年。
その記念イベントが銀座のソニービル内の
ソミドホールであった。
私と、QUALIA 004などに使われている
SXRDを開発した橋本俊一さんが
それぞれ30分ずつお話して、
その後会場の方々との質疑応答になった。
来場していただいたのは、QUALIAオーナーを
中心に、ソニーと普段からゆかりが深い方々。
大変密度の濃い時間だったと思う。
QUALIAも、二年が経ち、ラインアップが
充実して、次第にくっきりと輪郭が見えて
来た。
新しいカテゴリーが誕生しつつ
あるのではないかと思う。
近々、私自身三つ目のQUALIAを購入することに
なりそうだ。
イベント終了後、橋本さん、築澤さん、
小笠原さんと地鶏屋で懇談する。
橋本さんに熊本工場の話を聞いた。
水が綺麗なシリコンアイランドに
技術的卓越がある。
近い将来、熊本のクリーンルームを
訪問したい。
帰り際に寄った有楽町の書店で、
養老孟司さんの「私の脳は、なぜ虫が好きか? 」を
見つけて購入。
帰りながら読んで、目が覚めても寝ころがりながら
読み続けて、一気に読了した。
虫の話は好きである。私は蝶だったが、
養老さんは甲虫。
それでも、子供の頃に見た虫の印象が
強烈に残っている、という体験は共通である。
男の幸福の理想像の中に、なぜか知らないが
少年時代がくっきりと位置している。
世間のことなど何も知らず、
ただ虫を追いかけていた。
あの濃密な時間に相当する幸福が
大人になってからあるか。
時々、それは幻のように立ち現れる
ような気がするし、
そういう生き方をしなければならないのだと
思う。
何歳のジジイになっても少年の心を
失わない人生は上等である。
7月 3, 2005 at 09:19 午前 | Permalink
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2005/07/02
走る。カマキリ。
雨の中を久しぶりにまとまった時間走った。
身体が疲れたが、それが心地よかった。
どうも、時間に追われ過ぎていたようだ。
追われるのではなく、追うのでなければいけない。
朝日カルチャーセンターに、テレビマンユニオンの
花野剛一さんが来ていた。
久しぶりだったので、いろいろ話す。
メディアのこと、人生のこと。
幻冬舎の大島加奈子さんと田谷文彦
も加わって、
深夜の人生談義。
カマキリは、生まれたばかりの
小さな時は、
やはり、アブラムシを食べているらしい。
アブラムシのあの小さなこりこりを
腹一杯食べて、ぐんぐん大きくなる
カマキリのことを
想像していたら、自分が初夏のど真ん中に
いるような気がした。
7月 2, 2005 at 09:58 午前 | Permalink
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2005/07/01
NHK ラジオ第一 ラジオ夕刊
7月 1, 2005 at 07:55 午前 | Permalink
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朝日カルチャーセンター 脳と音楽
本日
朝日カルチャーセンター講座
脳と心を考える ー脳と音楽ー
第一回
18:30〜20:30 東京新宿
朝日カルチャーセンター
http://www.acc-web.co.jp/sinjyuku/0507koza/A0301.html
7月 1, 2005 at 07:48 午前 | Permalink
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理想と逸脱
聖心女子大学の授業は、身体性について。
授業も、あと2回を残すだけで、
その後試験である。
早稲田も一週遅れで授業修了、試験となる。
学生たちも、夏休みを心待ちにしている
ことだろう。
東京財団の研究会。
バンダイキャラクター研究所所長の
相原博之 さんが話す。
船曳建夫さんが遅れてやって来て、
議論が面白くなってきた。
清谷信一さんは相変わらずの飛ばしぶりで、
野崎裕司さんが
ちらちらと会場全体を見渡しているのも
面白い。
オブザーバーとして参加している
人が、盛んに発言され、
私も率直な意見を申し上げていたのだが、
後で、それが東京財団会長の日下公人さんだと
知り、
思わずアタマを抱えた。
そうならそうと、言っておいてください。
しかし、それがかえって良かったと船曳さんや
野崎さんは言う。
近くのイタリアレストランで議論の続きをする。
船曳さんは『蝶々夫人』を見るのだと
途中で退席。
議論が激サイティングになったのはそれから
だった。
おとなしくなった、などと言われる
私であるが、それはあくまでもTPOを
わきまえているだけで、
やる気になればまだまだストロングスタイルの
口バトルはできるのだ。
東京財団の星野晶子さんや、
スキンヘッドの怪童、南條昌康さんも加わり、
かなり面白かった。
日本という国が過渡期を迎えていることは、
様々な気配でわかる。
大いに議論して、実際的であり、
そして理想が何なのか見失わないようにしましょう。
書き忘れていたが、
アメリカからの全日空の中でMillion dollar baby
を見た。
私には、世間が言うほど良い映画だとは思えなかった。
ハリウッド映画の悪いところ、すなわち、
本来様々な逸脱や微妙なニュアンスをはらんでいる
はずの人間性が、単純なストーリーラインに
奉仕するという
致命的欠点がまた現れている。
こういう映画で感動する人がいるというのは
それ自体が恐ろしい。
それだけ、世界が機能主義的になっている
ということか。
私はそれほど単純に世の中を見ることができない。
いずれにせよ、アカデミー賞など全く信用できない
ということを再び確認。
小津の映画がいいのは、かならず逸脱が
あることである。
キアロスタミにもある。
本来、それが人生というものではないのか。
ハリウッド製の
ブロックバスター映画ばかり見ていると、
自分の人生の中にも必ずある大切な逸脱に
気付かなくなってしまんじゃないかと思う。
7月 1, 2005 at 07:44 午前 | Permalink
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