「養老さんが生きにくい国」
ヨミウリ・ウィークリー
2005年6月26日号
(2005年6月13日発売)
茂木健一郎 脳の中の人生 第57回
「養老さんが生きにくい国」
一部引用
しばらく前に養老孟司さんとご一緒したシンポジウムで、養老さんがしきりに「個」の確立の必要性を唱えていらしたのが、今頃になって気になっている。
養老さんのお考えでは、日本人には「個」が確立していないと言う。だから、養老さんにとって、日本の社会は決して住みやすい社会ではなかった。むしろ、アメリカかオーストラリアにでも住んでいた方が、よほど気が楽だったろう、というのである。
養老さん独特の、ひんやりと肝に響くロジックの痛快さも相まってその時もお話は大変印象に残ったのだけれども、最近になって、ますます「個」というものが重要な意義を持つような気がして、時々、日本人にとっての「個」の確立ということの意義について考えてみる。
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。
6月 12, 2005 at 09:24 午前 | Permalink
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コメント
養老先生が「個」だなんて、なにかストレートな意味ではないしますが、どうなんでしょう。
まだ読んでいないので、なんともですが、日本は多細胞生物的で、その中の生き死には、運を天に任せてというところがあるというのは、僕の浅はかな考えですが、情報化とともに、自分のことは自分で管理する個の時代になって、日本的なやり方は立ち行かなくなっているのでしょうか。
個の確立・・・興味深いですね。
漱石もこれで悩んだのでしたっけ?
投稿: 倉本 | 2005/06/18 12:32:32
↑〈「個」の確立についてはともかく〉と申しますのは・・・・・・まあともかく(笑)
投稿: きい | 2005/06/16 13:50:19
宋文洲氏の『もっと怒れ! 日本のビジネスマン やっぱり変だよ日本の会社』を読み、養老先生が「オフィスの論理」について書いていた事などあらためて思い出しました。「個」の確立についてはともかく、養老先生が生きにくい国というのは全くと納得。
投稿: きい | 2005/06/16 13:35:20
社会性を身につけるという名目で、自分が持っている独自の感性などがどんどん脅かされているように思えてならない今日この頃です。
「個」の確立は自分にとっても命題ではありますが、「個」しか持たない人間は、生きていけないし、むしろ何も出来ないのではないかとも考えます。
投稿: cosmos | 2005/06/12 22:42:56