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2005/06/29

文脈蛙

 帰りの全日空の中で、朝日新聞をもらったら、
文芸時評で島田雅彦が『脳のなかの文学』
を取り上げていてくれていた。

http://www.qualia-manifesto.com/asahishimbun20050627small.jpg

 使われている写真が、いつ撮られたものか、
とんと見当がつかなかったが、
 服や髪型からすると、どうやら
AERAの撮影の時に横でとったスナップ写真らしい。

 島田雅彦はよく旅をしているので、
今この瞬間に地球上のどこにいるか
判らないが、
 そっちの方に向かって感謝。

 日本は30度だというので、飛行機の中で
Tシャツになった。
 メールをダウンロードして、
仕事の多さに呆然としながら成田エクスプレス
で東京へ。
 
 大手町の読売新聞社まで歩く。
 やや遅れて、読書委員会へ。
 小泉今日子さんの隣の席。
 小泉さんは、ちらちらとうれしそうに
ある小説を読んでいた。
 
 読書委員会の打ちあげが長年行われて
いた四谷三丁目の「英」が今日で閉店
というので、
 角田光代さんや、松山巌さんなども
いらっしゃる。

 川村二郎さんの前に座って、
たまたま笙野頼子さんの話に。
 成熟/未成熟ということの意味について
考える。
 川村さんは、その作品が好きかどうか
ということは別として、
 笙野頼子/大江健三郎的な
うねるような知性を評価すると。

 川上弘美さんが、「私は決して成熟している
というわけではありません」と言った。

 皆さんの宴はこれからたけなわだったが、
私は、いろいろやらなくてはならない
こともあり、
 一足先に帰ることに。
 
 帰路つらつら思った。
 全ての営みは、それがどのような文脈の中で
受容され、評価されるかを見極めなければ
ならない。
 そうでないと文脈の中の蛙になる。

 文脈蛙は、自分の活動が置かれている文脈を
見極めた上で、文脈の壁を壊すような
「知的な粗暴」を目指す。 
 これしかない。 

 文脈蛙の命がけの跳躍の中に人生があるのだ。

6月 29, 2005 at 07:48 午前 |

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