具体的かつ空白であり
聖心女子大学の授業は、
田谷文彦に神経経済学の話をしてもらった。
田谷は、机にちょこんと座って、
クールな感じでaltruismや
fairnessの概念を解説していた。
ランチタイムに、広尾のChez Mortierで
NTT出版の牧野彰久さん、今井章博さんと
お会いする。
今井さんはなかなかの豪腕と見た。
これは心しなければなるまい。
東京芸術大学の授業は、
渡辺真也さん。
大変活発な議論となった。
終了後、久しぶりに上野公園での飲み会。
この時間が一番幸せである。
いろいろなことを喋りながら、
空を見上げ、そこに飛び交うコウモリを
見つけた。
空白ということについて再び考える。
思春期に抱く夢の甘美さは、
間違いなく人生が未だ真っ白である
ということに起因している。
白いままだと、次第に焦燥してくるし、
人はやがて何かを始めなければならない。
始めてみると、そこには、人生が
空白だった頃にあった甘美な夢はなくなる。
もともと、その夢はゼロが無限大に通じる
という算術に基づいて作られたものだったからだ。
難しいのは、何か具体的なことをやりながら、
空白を確保し続けることである。
そんなことを考えながら毎日生きているが、
自分がどこに辿り着くのか、わかりはしない。
このところ、いろいろな人に、茂木さんは
飲み会の時に
穏やかになった、おとなしくなった
と言われているが、
それはちょっと違う。
空白からの爆発の持つ元気さとは
違う、具体と空白のカップリングこそに
関心があるだけの話だ。
今日から来週の火曜まで、ASSC 9に参加
するためカリフォルニア工科大学。
少しモードチェンジをしてくることに
しよう。
6月 24, 2005 at 07:36 午前 | Permalink
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