« Introduction to psychology. Lecture 6 | トップページ | 東京芸術大学 美術解剖学  »

2005/06/02

やっているのか、やらされているのか。

 早稲田の授業日。
 例によって、リーガロイヤルホテル
で何件かミーティング。
 
 ティーラウンジーの大窓から見る
大隈庭園の風景にもすっかり慣れた。
 この季節は緑が目に深く染みてくる。
 わたる風そのものを感じることは
できないけれども、
 心が動き出す感じがある。

 東京大学総務部渉外グループの
小野寺達也さんには、
 東大がいかに変わろうとしているか、
という話を伺った。
 Fund raisingを本格的にやり、
卒業生ネットワークや、benefactor's networkを
充実させていくとのこと。
 大学も法人化して、自由度が増したようである。

 あるミーティングで、「自律性と
他律性の違いは何か」という話をした。
 自分から進んでやっているのか、それとも
やらされているのか。
 その違いはどこで生じるか?

 つまり、組織において、「やっている」
のではなく、「やらされている」と感じている
人たちが増えて来ているのが
問題である、というような状況が
あるというのである。

 脳の働きから見れば、「やっている」と
「やらされている」の間の差は紙一重である。
 神経機構から言えば、純粋な自由意志が
あるのかどうかも疑わしい。
 行動のきっかけは無意識に起こり、
それを意識が追認し、必要に応じて
veto(拒否権発動)する。
 それでも、「やらされている」
ことが「やっている」と感じることができることに
よって、
 連動して起こる脳のプロセスが変わってきて、
結果としてパフォーマンスが向上するかもしれない。

 ここで、million dollars questionは、
「やらされている」を「やっている」に変換する、
マジック・ワードは何か、ということである。
 
 人間の認知プロセスは精妙に出来ていて、
確かにマジック・ワードというものはある。
 たった一つの言葉で、文脈が変化し、
風景が変わって見える。
 「ニート」や「ひきこもり」といった
言葉が発明され、状況にぴったりとはまる
ことで、
 現実が変化する。

 人間関係が、たった一言で変質
するのは誰でも経験していることだろう。

 Say that magic word, please.

 全国の家庭で、学校で、職場で、
この瞬間も
マジック・ワードたちが手ぐすねを引いて
登場を待っているに違いない。

6月 2, 2005 at 06:20 午前 |

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: やっているのか、やらされているのか。:

コメント

この記事へのコメントは終了しました。