2005/06/30
朝日カルチャーセンター 脳と音楽 7月1日開講
朝日カルチャーセンター講座
脳と心を考える ー脳と音楽ー
講座の内容: 音楽は、人間の心に直接訴えかける、すぐれた性質を持っています。音楽の美しさは人の心を癒し、忘れがたい体験を与えてくれます。このような音楽体験の基礎となっている脳の働きは、どのようなものなのでしょうか? クラシックからロック、ジャズまで、さまざまなジャンルの音楽のもたらす歓びの本質は、何に由来するのでしょうか? 本講座では、最新の脳科学の知見を参照しつつ、音楽と人間の心の深いかかわりあいについて考えていきます。最終回には、作曲家の三枝成彰さんをお迎えし、音楽と脳の不思議な関係について対談いたします。(茂木記)
期間・曜日・時間: 7/1、 15、 29、 9/2、 16
金 18:30〜20:30
http://www.acc-web.co.jp/sinjyuku/0507koza/A0301.html
6月 30, 2005 at 07:28 午前 | Permalink
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(予告)東京芸術大学 美術解剖学 渋谷慶一郎
東京芸術大学 美術解剖学授業
渋谷慶一郎(作曲家)
「現代の音楽 〜100年の視線〜」
2005年7月7日(木)
午後3時35分〜午後5時
東京芸術大学 上野校地 美術学部 中央棟
第3講義室(2F)
ATAKを主宰する、作曲家の渋谷慶一郎さんを
お迎えし、現代の音楽について、100年スケールの
視点から語っていただきます。
渋谷さんは芸大作曲家出身。一つの音を作るのに
一週間こもり続ける、現在の音楽界における
カリスマです。
http://atak.jp
(美術解剖学の履修生でない方もどうぞご参加
ください)
お問い合わせは、茂木健一郎
kenmogi@qualia-manifesto.comまで。
6月 30, 2005 at 07:22 午前 | Permalink
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東京芸術大学 美術解剖学 本日休講
本日(2005.6.30)の東京芸術大学 美術解剖学は休講
とさせていただきます。
6月 30, 2005 at 07:21 午前 | Permalink
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アタマの筋トレ
PHP総合研究所の秋山憲雄さんと
お会いする。
リーガロイヤルホテル。
この時期の大隈庭園はしっとりと。
早稲田の授業は、後半インタラクティヴ
にした。
教室の後ろの方に座っている人たちが、
どれくらい理解しているか、
それをチェックしたかったのである。
TAの田中さんにお願いして、マイクを
回す。
みんな、最初はとまどうが、それなりに
英語を話す。
先週、aha! championになった政経学部の
Yu Taniguchi君のとなりを見たら、
意外な人が座っていた。
朝日カルチャーセンターによくきていた、
中島穰くんである。
なんで彼がここにいる?
そもそも、中国に行ったのではなかったのか。
何でだ?
と?が渦巻いた。
あとで聞いたら、彼らはICU高校の同級生
なのだそうである。
そう言われて見れば、何か通じるものがある。
世の中恐るべし。時にはベイズ推計も役に
立つか。
授業が終わった後、質問が沢山きて、
次のアポイントメントに遅れそうになった。
やむなく、タクシーで渋谷のNHKに
移動。
NTT出版の牧野彰久さんも
途中まで同行。
NHKラジオ第一「ラジオ夕刊」の収録。
二十分あまり「脳と創造性」について話した。
放送は、7月1日(金)の午後6時〜7時の
間の時間帯の予定。
http://www.nhk.or.jp/radiodir/shou/yukan/yu.html
7月9日放送予定だった「世界一受けたい授業」
は、7月16日に変更になったとの連絡。
次のアポイントメントまで時間が
あったので、しばらく公園で仕事をした後、
歩きながら考えた。
考えている時間が一番楽しい。
ぶつぶつ言いながら、東京タワーの下のエリアを
一時間ほど歩く。
しばらく考えて、初めて明らかになって
くることもある。
考える筋肉。
筋トレは欠かせない。
愛宕グリーンヒルズで、ソニーのQUALIAビジネス・
センターの青木崇さん、加藤文さん、
経営コンサルタントの波頭亮さんと会食。
波頭さんは、マッキンゼーの最後のジェネラル・
コンサルタントだったわけだけれども、
びしっと断言するその言葉が心地よい。
科学的には断言するのを逡巡する場面でも、
断言することで何かが動いていく。
考える筋肉。
断言する筋肉。
いろいろな筋肉がある。
筋トレというのは、別に身体だけのことではない。
保坂和志の『小説の自由』(新潮社)が
送られてきた。
6月 30, 2005 at 07:15 午前 | Permalink
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2005/06/29
Introduction to psychology. Lecture 9
a href="http://www.waseda.jp/sils/">早稲田大学国際教養学部
2005.6.29. 13:00〜14:30
7号館419教室
Introduction to psychology. Lecture 9.
Mid-term reflection
In this lecture, we look back on what we've been covering, while introducing some new materials.
6月 29, 2005 at 10:44 午前 | Permalink
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文脈蛙
帰りの全日空の中で、朝日新聞をもらったら、
文芸時評で島田雅彦が『脳のなかの文学』
を取り上げていてくれていた。
http://www.qualia-manifesto.com/asahishimbun20050627small.jpg
使われている写真が、いつ撮られたものか、
とんと見当がつかなかったが、
服や髪型からすると、どうやら
AERAの撮影の時に横でとったスナップ写真らしい。
島田雅彦はよく旅をしているので、
今この瞬間に地球上のどこにいるか
判らないが、
そっちの方に向かって感謝。
日本は30度だというので、飛行機の中で
Tシャツになった。
メールをダウンロードして、
仕事の多さに呆然としながら成田エクスプレス
で東京へ。
大手町の読売新聞社まで歩く。
やや遅れて、読書委員会へ。
小泉今日子さんの隣の席。
小泉さんは、ちらちらとうれしそうに
ある小説を読んでいた。
読書委員会の打ちあげが長年行われて
いた四谷三丁目の「英」が今日で閉店
というので、
角田光代さんや、松山巌さんなども
いらっしゃる。
川村二郎さんの前に座って、
たまたま笙野頼子さんの話に。
成熟/未成熟ということの意味について
考える。
川村さんは、その作品が好きかどうか
ということは別として、
笙野頼子/大江健三郎的な
うねるような知性を評価すると。
川上弘美さんが、「私は決して成熟している
というわけではありません」と言った。
皆さんの宴はこれからたけなわだったが、
私は、いろいろやらなくてはならない
こともあり、
一足先に帰ることに。
帰路つらつら思った。
全ての営みは、それがどのような文脈の中で
受容され、評価されるかを見極めなければ
ならない。
そうでないと文脈の中の蛙になる。
文脈蛙は、自分の活動が置かれている文脈を
見極めた上で、文脈の壁を壊すような
「知的な粗暴」を目指す。
これしかない。
文脈蛙の命がけの跳躍の中に人生があるのだ。
6月 29, 2005 at 07:48 午前 | Permalink
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2005/06/27
たまには主語を変えてみよう
ヨミウリ・ウィークリー
2005年7月10日号
(2005年6月27日発売)
茂木健一郎 脳の中の人生 第59回
たまには主語を変えてみよう
一部引用
ところで、日本人は、「日本は特殊な国である」という説をしばしば唱える。確かに、日本は、外国からも、変わった国であると見られることが多い。いろいろな局面で、日本は特別だから、と言っていれば、何となく話が済んでしまうようなところがある。
しかし、単に「日本人は特殊である」と言っていても、物事は進まないようにも思う。「日本人は」という主語を立ててしまうと、それ以上の議論が止まってしまうのである。日本人自身にとっても、日本人以外の人にとっても、それ以上問題を考えるとっかかりがない。議論しようとしても、「君も日本人だから判るだろう」とか、「日本人じゃないと判らないよ」と言われてしまえば、それでお終いである。
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。
http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/
6月 27, 2005 at 10:47 午後 | Permalink
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バランス
いろいろ仕事があるので、
私だけ一足先に午後空港近くのホテルに
移動。
食事もルームサービスで取って、
あとはひたすら机に向かっていた。
変な時間に眠るので、変な睡眠サイクルに
なる。
夕食に食べたビーフサンドウィッチの
味が心に染みた。
Samuel Adamsを飲みながら、
Steve Harveyというコメディアンがホストしている
Big Time
という番組を見る。
1万ドルの賞金を目指して、応募してきた
人たちがいろいろな「チャレンジ」をする。
入れ墨だらけの女が、刃物の上に寝て
お腹の上のブロックを割らせ、
香港から来た男が、お腹のターゲット・マークに
向かって花火を20連発発射させた。
優勝したのは、女の人を三人腕や腰に
捕まらせながら縄跳びをした巨大な黒人で、
「自己記録」の13回をあっさりやぶって
20回飛んでいた。
Neural Correlates of Consciousness
(NCC)は使い勝手の
いい政治的概念だと書いたが、
ASSC開催と時を同じくして、
奇しくも、Journal of Consciousness Studiesの
メーリングリストでは、なぜNCCがダメなのか
について、熱い議論が行われている。
たとえば、因果的必然性(causal necessity)
が説明できないとダメなんじゃないか、などと
議論されている。
心情的には、こっちの方がよく判る。
しかし、そういう議論はASSCには出てこない。
科学も、テレビ番組も、あるコミュニティの
中で何かが幅広く流通して行く時に
立ち現れる姿は、おそらく似通ってくる。
このあたりのバランスは難しいところで、
深く入り込んで行った世界から、
コンセンサスをもって流通していくものたち
への幅広いスペクトラムを引き受けないと
話が進まないのは何でも同じことだろう。
腰回りがあまり幅広くなるのは困るが、
精神性においてはものすごく入り込んだ極と、
コンセンサス流通までの全スペクトラムを
引き受けられるようになるのが良い。
ゲーテもシェークスピアもおそらくそのような
道を通ったのだろう。
日本には火曜の夕刻に着く。
6月 27, 2005 at 09:55 午後 | Permalink
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政治的概念
会議のいいところは、
情報を手に入れる、というよりは
いろいろものを考えることである。
Susan Greenfieldや、Christof Kochの
話を聞きながら、
これからしばらくの心脳問題の研究の
方向性がはっきりと判った。
Neural correlate(ある意識の表象内容に
ついて、どのような脳活動がそれを引き起こすか)
は、たとえ、直接それだけでは
意識が生み出される第一原因自体には
迫れないとしても、
とりあえずは「できる」ことである。
fMRIや、電気生理などの実験を積み重ねて
いけば、今後、neural correlateは
少なくとも10年はactiveな研究テーマに
なるだろう。
その一方で、neural correlateだけでは
意識の根本原因には解明できない。
そこでどうするか。ここが一工夫
いるところである。
私たちのグループの発表7件も
無事終わる。
カリフォルニア工科大学の明るい
キャンパスの中を歩いていたら、
色々なことがキレイに整理されて
いった。
名前は判らないが、紫の花が
木にたくさんついていて、
その蜜をなめたら少しビター
で甘かった。
それにしても、ASSCは、
うまく運営されていて、politicalには、
脳科学、認知科学のメインストリームと
きわめて親和性の高い場所にある。
それは、参加者の顔ぶれを見ていても
判る。
Christof Kochらの功績が大きい。
Scientific Study of Consciousnessが
respectableなものであるという
ことを確立する上では、
neural correlateという概念は
使い勝手があったのだろう。
学生たちは、下條さんの研究室を
見学させてもらうことに。
私はあと一日で帰る。
いろいろ仕事があるためである。
もう少し長くいたかった。
仕事を整理して行こうと思う。
6月 27, 2005 at 12:00 午前 | Permalink
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2005/06/26
討議 創造する脳 港 千尋+茂木健一郎
現代思想 2005年7月号
特集=イメージ発生の科学
討議 創造する脳 港 千尋+茂木健一郎
http://www.seidosha.co.jp/siso/200507/
6月 26, 2005 at 12:09 午前 | Permalink
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ヒーロー・アインシュタイン
カリフォルニアに来ると、気分が明るくなる。
Los Angelsから、Super Shuttleという乗り合いの
車でPasadenaへ。
カリフォルニア工科大学の方に
歩いて行ったら、
明るい芝生の風景にすでに気分が良く
なりはじめていた。
張キさんはすでに前日に到着していて、
田谷文彦率いる学生組は
私のいるSheratonホテルから少し離れた
Saga motor hotelに入る。
合流して、
まずはブックショップに。
数年前、ここに来たとき、アインシュタインが
ロックスターのような顔をしているTシャツを
買って、それがお気に入りなので、
今回も何か買おうと思ったのである。
しかし、哀しいことに、どうもうまい
Tシャツがなかった。
アインシュタインのTシャツは幾つか
あるのだけれども、デザインが今ひとつ
決め手に欠ける。
それにしても、ここではアインシュタインはやはり
掛け値なしのヒーローである。
やったこともそうだが、
人間性にもカリスマがあるのだろう。
ポスターも、10種類くらい売っている。
アインシュタインを科学の絶対基準に置いて
おく、というセンスは好きだ。
中途半端な科学には騙されなくなる。
すべからく、ヒーロー・アインシュタインを
座右に置くべし。
Stanislas Dehaeneの
Opening addressを聴く。
今のところ、実務的に議論できるのは
neural correlateだけである。
しかし、アインシュタインは遠い。
夕食はOld PasadenaにあるMargarita Jonesという
レストランで。
マルガリータを頼んだら、
しきりに、「一緒にワカモリはどうか」
と聴く。
何のことだか判らなかったが、
アボカドを刻んで他の野菜と混ぜた、
ディップのようなものだった。
「ワカモリ」の綴りは不明。
レストランの中を見渡していると、
何とまあ、アメリカというのはいろいろな
人たちがいるところだろう、と唖然とする。
こんな中、誰にでも通用する何かの価値を
見出そうとする努力は、それなりの普遍に
至るだろう。
モードが変わるのはキモチがいい。
一つのモードを脱ぎ捨て、別のモードを
着る。
モードというのは、服のことだけでは
ないのである。
6月 26, 2005 at 12:05 午前 | Permalink
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2005/06/24
光文社 BRIO 島田雅彦 茂木健一郎 対談
光文社 BRIO
2005年8月号
2005年6月24日(金)発売
■ 対談新連載「一途な人」 島田雅彦 第1回 脳科学者 茂木健一郎さん
http://www.kobunsha.com/CGI/magazine/hyoji.cgi?sw=index&id=006
6月 24, 2005 at 09:51 午前 | Permalink
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渡辺真也 東京芸術大学 美術解剖学 授業
Lecture Records
渡辺真也 東京芸術大学 美術解剖学 授業
「国民国家から見るクオリアとアート」
2005年6月23日 東京芸術大学 美術学部 第三講義室
音声ファイル (mp3、49.4MB、108分)
http://www.qualia.csl.sony.co.jp/person/kenmogi/geidai2005/watanabegeidai20050623.MP3
6月 24, 2005 at 07:50 午前 | Permalink
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具体的かつ空白であり
聖心女子大学の授業は、
田谷文彦に神経経済学の話をしてもらった。
田谷は、机にちょこんと座って、
クールな感じでaltruismや
fairnessの概念を解説していた。
ランチタイムに、広尾のChez Mortierで
NTT出版の牧野彰久さん、今井章博さんと
お会いする。
今井さんはなかなかの豪腕と見た。
これは心しなければなるまい。
東京芸術大学の授業は、
渡辺真也さん。
大変活発な議論となった。
終了後、久しぶりに上野公園での飲み会。
この時間が一番幸せである。
いろいろなことを喋りながら、
空を見上げ、そこに飛び交うコウモリを
見つけた。
空白ということについて再び考える。
思春期に抱く夢の甘美さは、
間違いなく人生が未だ真っ白である
ということに起因している。
白いままだと、次第に焦燥してくるし、
人はやがて何かを始めなければならない。
始めてみると、そこには、人生が
空白だった頃にあった甘美な夢はなくなる。
もともと、その夢はゼロが無限大に通じる
という算術に基づいて作られたものだったからだ。
難しいのは、何か具体的なことをやりながら、
空白を確保し続けることである。
そんなことを考えながら毎日生きているが、
自分がどこに辿り着くのか、わかりはしない。
このところ、いろいろな人に、茂木さんは
飲み会の時に
穏やかになった、おとなしくなった
と言われているが、
それはちょっと違う。
空白からの爆発の持つ元気さとは
違う、具体と空白のカップリングこそに
関心があるだけの話だ。
今日から来週の火曜まで、ASSC 9に参加
するためカリフォルニア工科大学。
少しモードチェンジをしてくることに
しよう。
6月 24, 2005 at 07:36 午前 | Permalink
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2005/06/23
(本日)東京芸術大学 美術解剖学
東京芸術大学 美術解剖学授業
渡辺真也(「もう一つの万博 - ネーション・ステートの彼方へ」キュレーター)
http://spikyart.org/anotherexpo/index.htm
2005年6月23日(木)
午後3時35分〜午後5時
東京芸術大学 上野校地 美術学部 中央棟
第3講義室(2F)
「国民国家から見るクオリアとアート」
ヨーロッパが生んだ近代は、植民地主義と世界大戦を生み出したが、そこには国民国
家の成立という大きな契機があった。そこにおける芸術は、果たしてどんな役割を果
たしたのだろうか?
バッハとプロテスタンティズムの関係から資本主義の発生を、ベートーベンとナポレ
オン戦争から国民国家の成立、さらには2つの世界大戦からヨーロッパの東西分裂、
その後のユーゴ解体に至る民族紛争等において、芸術が果たした役割について述べ
る。
ニューリージョナリズムやEU憲法批准問題、さらには憲法第九条改正や「帝国」の問
題が叫ばれる今、芸術はラディカルであり続けることはできるのか?国民国家におけ
る内外問題、他者論に迫る。
http://www.geidai.ac.jp/campus/ueno_campus.html
(美術解剖学の履修生でない方もどうぞご参加
ください)
お問い合わせは、茂木健一郎
kenmogi@qualia-manifesto.comまで。
6月 23, 2005 at 09:47 午前 | Permalink
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東京大学講義 心脳問題
Lecture Records
茂木健一郎
東京大学教養学部 広域科学科 認知オムニバス講義
『心脳問題』
2005.6.22. 駒場キャンパス15号館 104号室
音声ファイル(mp3, 50.3MB, 110分)
http://www.qualia.csl.sony.co.jp/person/kenmogi/lectures/kenmogikomaba20050622.mp3
6月 23, 2005 at 09:45 午前 | Permalink
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ぼくはがんばります
早稲田大学国際教養学部の授業は、
研究所の同僚の張キさんに
Visual Systemの講義をしていただいた。
張さんは中国出身なので、教室で、
中国の出身者がいるか、と聞くと、
3人の学生が手を挙げた。
張さんの講義は、大学院レベルで、
ちょっと難しかったが、
とても熱心に、ポイントを衝いた
質問をしてくる学生がいる。
授業が終わった後で聞いたら、
スイスの寄宿舎学校で学んだ後
早稲田に入学したとのこと。
super excellentな感じである。
彼女のような学生は、宝物だろう。
いつも質問して、返ってくる
答えが楽しい、HedinやRoyを含め、
国際教養の学生たちにも慣れ親しんできた。
しかし、授業も後半戦である。
授業が始まる前、「aha! pictures」
で信じられないほど良いパフォーマンスを
見せてくれた政治経済学部のYu Taniguchi君に、
aha! championの賞品として、『脳と創造性』
をプレゼントした。
急いで駒場に移動、池上高志がやっている
広域科学、認知オムニバスの授業。
パワポなし、板書のみ。
久しぶりに、心脳問題の核心について
思ったことを言えたので、楽しかった。
学生からも、いろいろ鋭い
質問が。
池上研の佐藤君とか、川戸研の中島君とか。
Picsy/ 池上研の鈴木健とも久しぶりに話す。
一番伝えたかったのは、neural correlate
という概念をもっと真剣に考えよう、
ということである。
渋谷慶一郎/マリア夫妻も来て、
みんなで渋谷のBYGへ。
芸大の藤本徹、植田工や、
電通の佐々木厚さんも来た。
池上研のやつらとか、中島とか、
イキのいいやつらと喋って面白かった。
BYGに集っている、駒場のやつらとか、
東工大のやつらとか、芸大のやつらとか、
チャンプルーなやつらとかを見ながら、
ああ、これがオレの人生を取り囲んで
くれているヒトタチなのだなあ、
と思った。
ぼくはがんばります。
6月 23, 2005 at 09:42 午前 | Permalink
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2005/06/22
脳と仮想 4刷
6月 22, 2005 at 08:12 午前 | Permalink
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東京大学 駒場キャンパス 授業(本日)
システム科学特別講義 2
茂木健一郎 「心脳問題」
今日は、
せっかくの母校での授業だし、池上高志もいるし、
パワーポイントなんか使わないで、心脳問題につい
ての原理的考察をします。
2005年6月22日
15:30〜18:00 (早稲田の授業が終わってから行くので、
通常の開始時間より遅くなっています)
東京大学駒場キャンパス
15号館104号室
http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/map02_01_j.html
6月 22, 2005 at 08:04 午前 | Permalink
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Introduction to psychology. Lecture 8
早稲田大学国際教養学部
2005.6.22. 13:00〜14:30
7号館419教室
Introduction to psychology. Lecture 8.
The Visual System
(guest lecture by Dr. Zhang Qi)
In this lecture, we review some basic aspects of the visual system of the brain.
6月 22, 2005 at 07:51 午前 | Permalink
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ゴクアク人ぽん
土井利忠さんと、30分懇談。
最近の脳科学、認知科学の問題や、
イギリスでペンローズに会って来た
ことについて。
6月24日からカリフォルニア工科大学
であるASSC9では、私たちのグループから
7件の発表があるけれども、
その内容チェック。
ゆっくりと話を聞きながら、
内容を理解し、可能ならば
新しいアイデアを得ようとする。
柳川透は、とても優秀なのだけども、
自分の研究が何を言っているのか、
そのことをクリアかつクールに
stateするということをなかなかやらない。
研究所の近くのチェゴヤで昼食を
食べながら、「教育的指導」。
柳川くん、一緒にがんばりましょう。
ewomanの佐々木かをりさんと対談。
ソニー広報同席。
素敵な時間。
win-win対談として掲載される予定。
夜、代官山のSuperstarsでの
打ちあげに参加。
写真集が出来たので、そのお祝いである。
http://www.superstars.jp
Text by Ken Mogi
Sound by Keiichiro Shibuya
Photography by Hirohisa Nakano
Superstarsのwebから、購入できるようです。
佐藤民生さんが、もののけ姫を歌った。
渋谷慶一郎がゴクアク人であることが
判明。
池上高志や、郡司ペギオ幸夫らとの
悪友サークルに加盟を批准する。
ここのところの出来事をふり返りながら、
つらつら考える。
プリンシプルとしては、ポジティヴな
ことに身を捧げる明るい人でいたい。
しかし、人間には必ずダークサイドがある。
それは、ふにょふにょとまとめて
ぽんと出してしまうのがいいのではないか。
ケラケラ笑う、というのは一つの処方箋である。
悪意というものは、自分の中に
ため込むと、毒になってまわる。
どうも毒っぽい人は苦手だ。
明るい人は、
悪意を、小さなキャラクターにまとめて、
ぽんと自分から押し出してしまえるような気がする。
だから良質の笑いというのは時に毒を
含むのか。
あれは、身体の中からサヨナラして出てきた
ダークサイドの名残だったのだ。
ゴクアク人は、毒がぽんと外に転がり出す
ことで、
良質のゴクアク人たり得る。
6月 22, 2005 at 07:47 午前 | Permalink
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2005/06/21
(予告)東京芸術大学 美術解剖学
東京芸術大学 美術解剖学授業
渡辺真也(「もう一つの万博 - ネーション・ステートの彼方へ」キュレーター)
http://spikyart.org/anotherexpo/index.htm
2005年6月23日(木)
午後3時35分〜午後5時
東京芸術大学 上野校地 美術学部 中央棟
第3講義室(2F)
「国民国家から見るクオリアとアート」
ヨーロッパが生んだ近代は、植民地主義と世界大戦を生み出したが、そこには国民国
家の成立という大きな契機があった。そこにおける芸術は、果たしてどんな役割を果
たしたのだろうか?
バッハとプロテスタンティズムの関係から資本主義の発生を、ベートーベンとナポレ
オン戦争から国民国家の成立、さらには2つの世界大戦からヨーロッパの東西分裂、
その後のユーゴ解体に至る民族紛争等において、芸術が果たした役割について述べ
る。
ニューリージョナリズムやEU憲法批准問題、さらには憲法第九条改正や「帝国」の問
題が叫ばれる今、芸術はラディカルであり続けることはできるのか?国民国家におけ
る内外問題、他者論に迫る。
http://www.geidai.ac.jp/campus/ueno_campus.html
(美術解剖学の履修生でない方もどうぞご参加
ください)
お問い合わせは、茂木健一郎
kenmogi@qualia-manifesto.comまで。
6月 21, 2005 at 11:13 午後 | Permalink
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「ひらめき」には時間がかかる
ヨミウリ・ウィークリー
2005年7月3日号
(2005年6月20日発売)
茂木健一郎 脳の中の人生 第58回
「ひらめき」には時間がかかる
一部引用
考えてみれば、創造性とは、まさにいつ訪れるのかわからない「ひらめき」である。
2+5はいくつか? というような問題では、脳の中で決まったやり方が確立していて、それを実行するだけである。このような場合には、解答時間も予想できるし、制限時間付きのテストにすることもできる。
その一方で、本当に新しいことが「ひらめく」ためには、脳の中の様々な要素がサイコロの目がそろうようにぴたりと符合しなければならない。その符合がいつ訪れるのか予想が付かない以上、制限時間を設けることもできない。
数学者は、同じ問題を10年、20年と考え続けるという。「ひらめく」のに、それだけの長い時間がかかることもある。「ひらめき」を強制することはできない。制限時間なしのスローなプロセスを大切にして、初めて創造性は育まれるのである。
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。
http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/
6月 21, 2005 at 08:54 午前 | Permalink
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神戸経由東京
のと穴水まで、赤木明登さんに送って
いただき、
和倉温泉でサンダーバードに乗り換え、
新大阪から新幹線で新神戸へ。
車窓からの景色はちらちらとだけ見る。
ずっと仕事をしていた。
兵庫県農業会館で、兵庫県保険医協会の
お医者さん方約200名を前に
お話する。
広川恵一先生と、高山忠徳さんに再会する。
終了後、清水映二先生もご一緒して、
食事に行くことに。
その前に、タクシーを止めて、
「ビーナス・ブリッジ」に行くという。
レインボウ・ブリッジのような
ところかと思っていたら、
山の中だった。
くるくると回る歩道橋があって、
そこにカップルの名前を書いた
鍵がびっしりと付けられている。
幸せになるのだそうである。
眼下には神戸が一望できる。
晴れれば和歌山まで見えるらしい。
そこから、三ノ宮に向かってひたすら
降りた。
辿り着いたのは、広川先生の行きつけの
バリ料理屋だった。
ガムランが流れる中、全てがうまい。
医療の現状についての広川先生と
清水先生の熱い議論を聴きながら、
ナシゴレンを堪能。
BINTANGビールは久しぶりに飲んだ。
明けて東京に向かう。
研究所でミーティング。
そこから、三菱総研に向かう。
三菱総研ビルの中に日経サイエンスの編集部も
あるので、
何回か来たことがある。
しかし総研そのものは初めてだった。
研究会で話す。
帰路、さすがにほっと一息。
忙しいのはありがたいことなのだろう。
6月 21, 2005 at 08:37 午前 | Permalink
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東京から一時間
羽田空港で、フード・ジャーナリストの平松洋子さん、
小学館「和樂」編集部の渡辺倫明さんと待ち合わせ。
能登空港で、写真家の森善之さん、輪島塗りの
塗師(ぬし)の赤木明登さんと合流する。
まずは木地師の工場を見にいった。
木から、お椀などの形を挽く。
ここで目に入った「豆カンナ」にすっかり
魅せられた。
手のひらにすっぽりと入るような大きさの、
様々な形のカンナが並んでいる。

木の素材、曲率、部位などで細かく
使い分けるのだと言う。
職人というのは、自分で道具を作る人の
ことを言うのです、と赤木さんは言った。
なるほど、科学でも、オリジナルな仕事を
している実験室には手作りの装置がある。
続いて、もう一つの木地師の工場に
伺う。
椀を挽く。
挽く音がとぎれると、ハワイアンの音楽が
かすかに流れてくる。
その頃合いが、遠くから聞こえる波の音のようで、
ここに文学があったと思った。
工場の外の道路に、おばあちゃんが三人
座っている。
「この前来た時にも、まったく同じところに
座っていたんですよ!」と平松さん。
そういえば、坂道を通り抜ける風が涼しい。

古道具屋で合鹿椀を見た。
普通の椀よりも、やや形が上に延びていて、
質実で剛健な印象がある。
江戸時代のものは人気が出ていて、
初出しで10万、地元の骨董屋で30万、
東京に行くと100万の値段が付くという。

平松さんオススメの宿、「さか本」へ。
山中にあり、山の端から見え隠れする
月が清かである。
明日早い電車に乗らなくてはならないので、
食事を終えた後、
私だけ赤木さんのお宅に泊めていただく。
赤木さんの家は、多くの雑誌の取材で
知られているが、
森と小川に囲まれた素敵な
塗りの工房である。
単音で鳴く不思議な鳥がいる。
あれは何かと尋ねたら、
ヌエ(トラツグミ)だという。
とても、不吉な鳥とは思えない。
私にはむしろ綺麗なフルートの
音のように聞こえた。
見たもの、聞いたもの、感じたものは
数え切れない。
それが、東京から飛行機でたった一時間である。
6月 21, 2005 at 08:06 午前 | Permalink
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2005/06/18
輪島
小学館「和樂」の取材で、
今日、明日と輪島へ。
エッジの電波届かないかもしれず。
ネット日曜午後まで接続できないかもしれません。
6月 18, 2005 at 07:57 午前 | Permalink
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Being real and genuine.
芸大の授業の後、車屋にいるとき、
突然Carl Rogersのことを思い出した。
それで、アサカルの最後は、Rogersを
やろうと思った。
五反田駅前で増田健史と会う。
「脳」整理法のゲラを受け取る。
フレッシュネスバーガーで打ち合わせ。
健史は何だかドライヴがかかっていた。
化学同人の津留貴彰さん。
京都にある出版社で、東京化学同人とは
違うそうである。
ソニー4号館の食堂で、出井伸之会長に
偶然お目にかかる。
出井さんはローマ人のようだと何時も
思う。
ゼミ。
東工大の院志望の、清一人さんが見学に来た。
さて、Carl Rogersである。
Rogersが提案したのは、Client centered therapy,
learningで、「エンカウンターグループ」
という運動を起こしたことでも知られる。
さらに教育や学習にも概念を適用して、
人々が、自分が感じていることをリアルに、
そして純正につかみ、伝えることの重要性を
強調した。
私がなぜRogersを知っているかというと、
学生時代、エンカウンターグループに
二度参加したことがあるからだ。
東大の学生相談所主催で、10人くらい
のグループが、一日16時間くらい、5日間
話し合う、大変濃い経験だった。
それまでもその後も、あの時のような
相互作用と気付きというものに出会ったことは
ないように思う。
ずっとRogersのことを忘れていたのだが、
なぜか車屋で思い出した。
思い出すと、ニートだ引きこもりだと
ラベルを付けて片づける現代の臨床心理の
fadが、茶番のように見えてきた。
ラベルを付けて、何か面白いのか。
Rogersはもっと、人間が変化する可能性を
信じていた。
単なる分類学は、インテリの堕落だろう。
何らかの役割を演じるのではなく、
リアルなパーソンであり続けることは難しい。
しかし、本物はきっとそのような姿をしている。
artificialな場所に落ち込んでしまっては、
真理にも美にも到達できない。
Carl Rogersをみんなで読みながら考えた。
Being real and genuine.
いいアサカルだった。
6月 18, 2005 at 06:22 午前 | Permalink
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2005/06/17
(本日)脳と癒し 第5回
6月 17, 2005 at 07:51 午前 | Permalink
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佐伯剛 東京芸術大学 特別講義
Lecture Records
佐伯剛(「風の旅人」編集長) 美術解剖学 特別講義
2005年6月16日
東京芸術大学 美術学部 中央棟 第三講義室
89 minutes. MP3 file. 40.8 MB
http://www.qualia.csl.sony.co.jp/person/kenmogi/geidai2005/saekigeidai20050616.MP3
6月 17, 2005 at 07:46 午前 | Permalink
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空白
聖心女子大の授業を終えた後、
新橋へ。
第一ホテルで、
内閣官房の藤和彦さん、
組織活性化研究所の高根定信さんと
お会いする。
東京芸術大学の美術解剖学の授業。
『風の旅人』の編集長、佐伯剛さんが
いらして下さった。
大学をドロップアウトして二年間の海外放浪、マーケティング業界での経験、ユーラ
シア旅行社の上場までの軌跡、そうしたプロセスの上に必然的に行われた雑誌の創刊
まで、
熱きパトスを鋼のロゴスに詰めて
理路整然とお話くださった。
何かをやろう!
と思っている芸大生たちに、勇気が
与えられたのではないか。
質疑応答の時間になり、
布施英利さんが、若者が世に出るためには、
雪だるまの「芯」を手に入れなければならない、
という「雪だるま理論」を提案。
いったん「芯」が出来れば、ごろごろ
転がして、あとは勝手に大きくなる。
まさにそうかもしれない。
『風の旅人』は16号からリニューアル
すると言うこと。
佐伯さんが見せて下さった
ネバダの核実験跡は分類不可能な美しさに
満ちていた。
佐伯さんを囲んで、みんなで根津の
車屋で飲んでいた時、
最近かつてなかったほどの幸せを
感じた。
それは、つまり、「空白」ということ。
若者よ、君たちの人生は「空白」かもしれない。
しかし、だからこそ夢も、希望も、大きく
なるんだよ。
「空白」あってこその青春の夢。
何歳になっても、どんな立場になっても、
「空白」さえあれば、人は、何の確固として
手がかりもなく、ただ儚い未来を夢見ていた
ティーンエージャーであり続けることが
できるのだ。
6月 17, 2005 at 07:40 午前 | Permalink
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2005/06/16
聖心女子大学、臨床心理学特講
聖心女子大学、臨床心理学特講
Lecture 7
本日の聖心女子大学、臨床心理学特講は、
予定通り行います。
6月 16, 2005 at 08:09 午前 | Permalink
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(本日)東京芸術大学 美術解剖学 佐伯剛
東京芸術大学 美術解剖学授業
佐伯剛(「風の旅人」編集長)
「展望と創作と呼応〜編集という再構成〜」
2005年6月16日(木)
午後3時35分〜午後5時
東京芸術大学 上野校地 美術学部 中央棟
第3講義室(2F)
http://www.geidai.ac.jp/campus/ueno_campus.html
圧倒的な美と迫力に満ちた写真のセレクションと、
良質のテクストの組み合わせで、創刊時、センセーション
を巻き起こし、次第に増えつつある
熱狂的なファンを持つ雑誌
「風の旅人」編集長の佐伯剛さんをお迎えし、
雑誌の創刊、編集、そしてヴィジョンについて
語っていただきます。
http://www.eurasia.co.jp/syuppan/wind/
(美術解剖学の履修生でない方もどうぞご参加
ください)
お問い合わせは、茂木健一郎
kenmogi@qualia-manifesto.comまで。
6月 16, 2005 at 07:13 午前 | Permalink
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プリンシプル
毎日さまざまなことの奔流に小突かれ、流される
中で、
時折、ふと、プリンシプルということに
ついて考える。
迷った時は、自分のプリンシプルに戻って
判断しようと努める。
そのように自分の人生の軌道を
修正しながら、なんとか生きている。
NHKの有吉伸人さん、細田美和子さん、
小池耕自さんと再び打ち合わせ。
「理想」について語り合う。
何かが始まるのか。
早稲田大学国際教養学部の授業。
one-shot learningについて。
子どもについてのブレインストーミング。
リーガロイヤルホテルから見える雨の
大隈庭園は美しい。
小田急センチュリー相模大野で、
第六回相模原精神医療研究会。
精神科医の方々を前に話をする。
懇親会で遺伝子と統合失調症の
関係などについて教えていただいた。
主催者側の用意してくださった
タクシーで、東名を帰ったら、案外早かった。
妙に目が冴えていて、仕事を一本
仕上げた。
しかし、最後はやはりうつらうつらしていて、
ちょっと通り過ぎた。
人生の迷い道。
プリンシプルは闇の中に光る灯台の
ようなものとして。
そういえば、アインシュタインがなりたかった
職業は、灯台守だった。
6月 16, 2005 at 07:09 午前 | Permalink
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2005/06/15
Introduction to psychology. Lecture 7
早稲田大学国際教養学部
2005.6.15. 13:00〜14:30
7号館419教室
Introduction to psychology. Lecture 7.
One-shot learning
We examine how the brain's adaptations to uncertainties encountered in life lead to one-shot learning and creativity.
6月 15, 2005 at 07:28 午前 | Permalink
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初秋
朝、メールの返事をしていたら、
でかけるギリギリになった。
数えたら、35も送信している。
これは大変だと思いつつ、
ITのおかげで複数の文脈を引き受けられる
ようになったことを実感。
ランチタイム、文藝春秋、文學界の
山下奈緒子さん、出版局の山田憲和さん。
「脳のなかの文学」の単行本化について。
ノートを開き、あるいは歩きながら、
相互作用同時性とメタ認知の関係について
考える。とりわけ「同時性チェーンの切断」
についてのアイデア。
考えることは楽しい。わくわくしてくる。
日本経済新聞 文化部の宮川匡司さん。
「あすへの話題」の打ち合わせ。
夕刻、読売新聞読書委員会。
初めて参加させていただいた。
文化部の待田晋哉さんと読売新聞
正面玄関で待ち合わせる。
読書委員の
町田康さん、川上弘美さん、小泉今日子さん、
中野不二男さん、苅部直さん、吉田直哉さん、三浦篤さん、
渡部 潤一さんなどとお話する。
一冊書評を書かせていただくことに。
パレスホテル、四谷三丁目の「英」
での懇談会にも出席。
「英」にて。
となりで、川上さんと三浦さんが
年齢の話をしていた。
文化部の鵜飼哲夫さんが、
年をとると、子供のぎこちなさをもう一度
繰り返すことになると言われた。
そんなことを聞いていると、
世は初夏でありながら、
なんだかひんやりと初秋の気配がする。
秋もまたよし。しかし日は赤々と照って、
やるべき仕事は沢山ある。
わら山の横でお茶を飲み終わったら
さっそく出かけよう。
6月 15, 2005 at 07:25 午前 | Permalink
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2005/06/14
ほっと一息。
朝一番、神田の学士会館で港千尋さんと
お話する。
鈴木英果さんの企画で、青土社『現代思想』
の対談。
6月下旬発売の7月号に掲載予定なり。
港さんとの話はいつも面白い。
特に今回は、「創造性」と「イメージ」について、
かなり深いところまで行けたのではないかと
思う。
終了後、ほっと一息でハヤシライスを
食べる。
港さんは何しろフレンチだから、昼から
キルケニーを飲む。
私も「仕方がなく」キルケニーを飲む。
うまい。
仕事のあとのキルケニー。
学士会館のキルケニー。
港流、フレンチスタイルは素晴らしい。
議論も意気投合、今度また是非公開で
やりましょう、と言うことに。
仕事にかかる前に、玉英堂書店に寄る。
以前、どうしても欲しくなった漱石の
子供の絵
を買ってしまった店である。
最近働き過ぎだったので、
「自分へのご褒美」として、柳田国男の
絵はがきを買う。
どうやら、柳田国男が成城の自宅前で
佇んでいる写真のようだ。
「南方先生」という文字が見える。
熊楠のことか。
現代とは違う時間の流れの気配に、
ほっと一息。
いくつか火急の仕事を済ませ、
夕刻、渋谷のラ・ラ・ル・スタジオへ。
Tokyo FMのSuntory Sunday Waiting Bar
の収録。
ソニー広報の上原さんも同席。
その後、NHKへ。
サラリーマンNEO
http://www.nhk.or.jp/neo/
を製作している吉田照幸さんに、
イギリスのコメディのうち、「ドキュメンタリー」
タッチのPeople like usと、The Officeを
上演しながらその特徴を説明する。
他にLittle Britainも。
番組製作局(番組開発)のお仲間の
小池耕自さん、それに先日お会いした
有吉伸人さん、細田美和子さんも同席。
さすがプロは目の付け所が鋭く、
しきりにカメラワークの特徴を指摘される。
大変勉強になった。
上演会終了後、小池さん、有吉さん、細田さんと
懇談。
有吉さんが、ドキュメンタリー魂とは何かを
披瀝くださり、
小池さんは沖縄の島の話を熱く語り、
細田さんは「プロフェッショナル・仕事の流儀」
の取材で出会った興味深い話を教えてくださった。
打ち解けて何だかほっとした。
ほっと一息がいくつかあって、
少しゴムが緩んだ。
ゴム鉄砲をセットする時には少し緩まなければ
ならぬ。
6月 14, 2005 at 08:54 午前 | Permalink
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2005/06/13
観察
ごく普通の日常を、ゆったりと
楽しむことが最高の贅沢だと思うのが
今日この頃。
二時間ほど、近くの公園をぶらぶら
歩く。
近頃絶えてなかった贅沢。
俄然興味を持ってしまったのは
「綿虫」。
たくさんふわふわ飛んでいる。
ロウ成分で出来た綿毛のついた
アブラムシの仲間。
鳥などに捕食されないためだろうか、
「自分から意志をもって」飛んでいる
というよりは、
風に吹かれてゆらりゆらり、
ランダムに飛んでいる
かのように「見せかけて」いる。
ところが、葉っぱや枝などに
「着地」する寸前になると、
突然、決然とした意志をもって、
すっと直線的に動いてとまってしまうのだ。
石垣の上をアリが探索の網目をつくっている
様子や、
テントウムシが葉っぱの上を這っているところ、
ヨコバイがスッ、スッ、とすばやく枝の迷宮を
横飛びしている時間の流れなど、
見ていると考えることが沢山あって
飽きない。
心を虚しうして観察することで、
どれだけ広い世界が見えてくることだろう。
電車の中の人間の行動も同じで、
自分が火星からの生態学者だと思って
観察していると、そこには随分いろいろな
現象がある。
どんなに忙しくても、心をタブラ・ラサに
して何かをじっくり観察する時間は確保したいと
思う。
びわが大好きで、今朝食べたのもおいしかったなあ
と思って歩いていたら、民家の庭先にびわの木が
あった。
冷蔵庫の中で冷えているびわと、やや薄ぼんやりとした
印象で目の前にたわわに実っているそれは、しかし、
何だか全く別物のように思えた。
6月 13, 2005 at 05:20 午前 | Permalink
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2005/06/12
「養老さんが生きにくい国」
ヨミウリ・ウィークリー
2005年6月26日号
(2005年6月13日発売)
茂木健一郎 脳の中の人生 第57回
「養老さんが生きにくい国」
一部引用
しばらく前に養老孟司さんとご一緒したシンポジウムで、養老さんがしきりに「個」の確立の必要性を唱えていらしたのが、今頃になって気になっている。
養老さんのお考えでは、日本人には「個」が確立していないと言う。だから、養老さんにとって、日本の社会は決して住みやすい社会ではなかった。むしろ、アメリカかオーストラリアにでも住んでいた方が、よほど気が楽だったろう、というのである。
養老さん独特の、ひんやりと肝に響くロジックの痛快さも相まってその時もお話は大変印象に残ったのだけれども、最近になって、ますます「個」というものが重要な意義を持つような気がして、時々、日本人にとっての「個」の確立ということの意義について考えてみる。
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。
http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/
6月 12, 2005 at 09:24 午前 | Permalink
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空間把握
午後3時過ぎ、日本テレビ。
「世界一受けたい授業」の収録。
空間把握が大切である。
堺正章さんと上田晋也さんが左にいて、
カンペがそのさらに左に出て、
「生徒たち」が前にいて、
映像は私の左後ろ奥あたりにある。
そのような配置を掴んでからは、
伝えたいことが言えるようになった。
「生徒」は、アンジャッシュの児嶋一哉さん、
と渡部建さん、いとうせいこうさん、井上和香さん、
櫻井淳子さん、間寛平さん、久本雅美さん、ヒロミさん、安田美沙子さん。
間さんのぶっとんだ発想と、
久本さんの絶妙な芸に感心した。
安田さんが、むずかしい問題を見事当てた。
現場は、精密機械のような様々な配慮で
成り立っている。
そこには、学ぶべき宝物がたくさん埋まっている。
放送は7月9日の予定だそうである。
新潮社の北本壮さんと、収録後、
新橋で飲む。
『考える人』の心脳問題特集の
作業も一段落ついて、
ほっと一息。
久しぶりにビールがおいしかった。
北本さんと、ゆっくりいろいろな
ことを話すことができて、
2ヶ月ぶりくらいの休息を
得たような気がした。
白洲信哉さんが水なすのうまい店の
情報を送ってくれた。
そうだ、通信販売という手があったのである。
その気になれば、都会にいて清流の中に足を
浸すことはきっと可能なのである。
6月 12, 2005 at 08:57 午前 | Permalink
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2005/06/11
水なす
さすがに疲れていたのか、
目が覚めても、珍しくすぐには起きあがらずに
しばらくぼうとしていたら、
何となく水なすの浅漬けが食べたくなった。
その水なすが、何かに似ていると
思ってはっとしたが、
もう今は思い出せない。
大水青だったかもしれない。
オープンハウスは無事終わった。
最終日、一般公開。
午前10時から午後1時まで、
午後3時から午後6時までの
二部制だったはずなのだが、
午後1時から午後3時がプレス取材
時間となったので、休憩時間がなくなった。
ずーっと説明していた。
今回、久しぶりにfirst authrで実験
の論文(つまり、自分でデータを取り、
解析するということ)をパネルで説明したが、
なんだか楽しかった。
one-shot learning.
背景にあるのは、創造性と偶有性。
この内容については、とりあえず
European Conference for Visual Perception
で発表する予定。
説明すること自体は楽しいし、
いろいろ意見も伺えて有意義なのだが、
何しろ8時間ぶっつづけとなると
さすがに呆然とした。
レセプションへの移行時間を使って、
新潮社の北本壮さんに急ぎの
仕事を送る。
rope walkingである。
同じエリアで、高安秀樹さんが
経済物理学を、北野宏明さんがSystems Biologyを
説明していた。
この、学園祭のような楽しい雰囲気とも、
二年間おさらばである。
所眞理雄所長、北野宏明さん、高安秀樹さん、
暦本純一さん、それに
CSL ParisのLuc Steels、Francois Pachetを
交えて、食事をしながらオープンハウスをふり返った。
みんな戦友という感じである。
その後、研究室のみんなが打ちあげをしている
遠野物語に寄って、乾杯した。
みなさん、お疲れさま。
ただ黙って、エッセンシャルなことを
コツコツやって行きましょう。
そして、水なすを食べたいと思う。
6月 11, 2005 at 08:52 午前 | Permalink
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2005/06/10
Gainer Man of the month
6月 10, 2005 at 07:09 午前 | Permalink
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(予告)東京芸術大学 美術解剖学 佐伯剛
東京芸術大学 美術解剖学授業
佐伯剛(「風の旅人」編集長)
「展望と創作と呼応〜編集という再構成〜」
2005年6月16日(木)
午後3時35分〜午後5時
東京芸術大学 上野校地 美術学部 中央棟
第3講義室(2F)
圧倒的な美と迫力に満ちた写真のセレクションと、
良質のテクストの組み合わせで、創刊時、センセーション
を巻き起こし、次第に増えつつある
熱狂的なファンを持つ雑誌
「風の旅人」編集長の佐伯剛さんをお迎えし、
雑誌の創刊、編集、そしてヴィジョンについて
語っていただきます。
http://www.eurasia.co.jp/syuppan/wind/
(美術解剖学の履修生でない方もどうぞご参加
ください)
お問い合わせは、茂木健一郎
kenmogi@qualia-manifesto.comまで。
6月 10, 2005 at 07:04 午前 | Permalink
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親方
オープンハウスは、ソニー社内の内覧日。
午前、午後とそれぞれ3時間ずつ、
パネルの前に立って
説明し続けた。
時間の流れというのは不思議なもので、
忙しいが充実感がある活き活きとした
躍動の中で、あっという間に矢が飛んでいく。
学生たちも、それぞれのパネルの前で
懸命に説明し続けていた。
明けて今日、ご招待した一般の
方々の見学があり、オープンハウスは終わり。
6時からはレセプションがある。
しばらく前、研究所のソファで休んで
いたら、
関根崇泰(東工大茂木研究室、
博士2年)が、「親方みたいだ」
と言った。
ふざけやがって、と思ったが、
かものはし(関根のあだ名)のこと、
人間界のことは判らないのだろうと
放っておいた。
そのあと、どこかで、「親方」
という笑える看板を見た。
どこで見たのだろう、かものはしに
言ってやろう、と思ったが
思い出せない。
オープンハウスに向かう五反田駅の
ホームで思い出した。目の前にある。
「親方」の看板は、五反田駅の
ホームから見える場所にあったのである。

さっそく撮影。かものはしにも見せた。
親方でも何でもいいから、関根くん、
論文早く書いてください。
私が白シャツを着ていると、「親方」という
気がする。
それでも、初夏は、さわやかなので、「白」
を着るのが好きだ。
6月 10, 2005 at 06:52 午前 | Permalink
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2005/06/09
弐拾鯨図
シンポジウムの最後にあったパネル・
ディスカッションの時、なにしろ喋るのが
平均で6分の1なので、手が空いていた。
それで、Black n Redノートに
鯨を書き始めた。
パネル・ディスカッションが終わる頃には、
鯨の数が二十になった
あとで、茂木さんが何か書いているのは
見えたけど、
手の動きから、どうも文字ではないと
思っていた、と言われた。
しかし、人の話を全て聞き、
ちゃんと議論していたことは、シンポジウム会場に
いらした方がご存じの通り。
弐拾鯨図。2005年6月8日謹製。

larger file
http://www.qualia-manifesto.com/20whalessmall.jpg
6月 9, 2005 at 07:40 午前 | Permalink
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一陣の風
ソニーコンピュータサイエンス研究所の
オープン・ハウス、第一日目の
シンポジウムは、盛況のうちに終わりました。
いらしていただいた方、ありがとうございました。
主催者側の一人として御礼申し上げます。
シンポジウムの始まる前、10号館の
上でランチを取りながら打ち合わせをした。
下條信輔さんとお会いするのは久しぶり。
地球シミュレータセンターの佐藤哲也所長
とは二度目。
私は、クオリアの解明を究極のミッション
として、このような脳の「システム」
の研究を進めています、というイントロダクションの
後、
偶有性とクオリアの話をした。
いかに認知的安定性と動的適応性を
両立させるか。
具体的な研究データとしては、神経経済学と
one-shot learningを出した。
下條さんは、徹底的に主観的体験の科学的
基礎付けの話。
受付などをしていた学生たちが
聞けたかどうか、それが心配だった。
終了後、研究所で明日からの公開のための
パネルをつくっていると、
下條さんと佐藤さんが来た。
学生の何人かは、下條さんに研究を
説明してコメントをもらっていた。
私が大学院生の頃のことを考えてみると、
下條さんのように判っている人に話を
聞いてもらうというのは何にも替えがたい
経験のはずである。
連日の作業で疲労もあるけれど、
一陣のさわやかな風が吹いた気がした。
シンポジウムには銅谷賢治さんや、
渋谷慶一郎さん、マリアさんが来ていた。
パネルに目途をつけて、
あさりでの学生たちの打ちあげと、
渋谷さんたちと電通の佐々木厚さんの
飲んでいるところに一瞬だけ参加した。
しかし、仕事山積なので私は一足先に
失礼である。
新宿駅でやたらと青い人たちが
多いのではてなと思ったら、
国立競技場が近いのだった。
日本代表、ドイツおめでとう。
6月 9, 2005 at 06:45 午前 | Permalink
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2005/06/08
光のある方へ
「危機の5月」を終えても、
ここのところのスケジュールは異常である。
あまりにもいろいろなことがありすぎて、
ついにはいただいたメールに返事が
できないという状況になった。
返事が来ないな、と思っている方々へ
必ず返事をしますので、しばらくお待ちください。
呆然としながら帰る電車の中、
小林秀雄の中村光夫との対談を久しぶりに
聞いていて、
小林が、「私はねえ、つまらないと
思ったものには、その瞬間に興味を失って
しまうのですよ。自分が愛するものだけに
向き合っているだけで、それで精一杯だから」
という趣旨のことを言っている箇所に
再び出会った。
この世のカオスの海の中から浮上する
プリンシプルがあるとすれば、これしか
ないだろう。
愛するもののことを感じ、考え、
それに基づいて何かをつくっているだけでも、
一生など簡単に終わってしまう。
世の中にはbusy bodyがいて、
自分が愛しても、良く知ってもいない
ことに口を出して大切な人生の時間を
棒に振るけれども、
それは本当にもったいないことだ。
それぞれの人が、自分の愛すること
だけにかかわっていれば良いのではないか。
busy bodyの生き方の稜線は、次第に
崩れていく。
愛することだけに捧げていれば、
その人の姿は次第に美しくなっていく。
午前中、ゲームについてのブレスト。
その後、夏にお台場のメディアージュでやる
『ソニーコンピュータサイエンス研究所展』の
打ち合わせ。
日本テレビの取材、撮影。
オープンハウス・シンポジウムのリハーサル
パリから、Luc Steels、Atau Tanaka、
Olivier Coenenたちが来た。
ポスターの内容の最終チェック。
そのような一日の最後に、小林の至言に辿り着いた。
自分の愛するものたちからは、光が
きっと出ている。
その光の方に向かって歩めば、カオスの中でも
おそらく人生を誤らない。
6月 8, 2005 at 04:25 午前 | Permalink
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2005/06/07
『脳のなかの文学』最終回
文學界 2005年7月号(2005年6月7日発売)
茂木健一郎 「脳のなかの文学」最終回
言葉の宇宙は私の人生にどう関わるのか
一部引用
人間であるということは、実に奇怪な事態である。私たちは、一人一人が得体の知れない巨大な現象の塊だ。細胞の中を見れば、そこにはミトコンドリアを始め、進化の過程で様々なものが入り込み、共生してきた確かな痕跡がある。若い女の黒髪も、顕微鏡で拡大すれば奇怪なかさかさの筒であり、心をとろけさせるその微笑みは、筋肉細胞の中の繊維同士の滑り込みによって引き起こされている。
この奇怪な世界の真相の上に、私たちは美や真実という形而上学を滑り込ませる。即物的に見れば、この世界にはやわ肌、えくぼ、あこがれ、憎しみ、正多面体、無限数列、絶望、愛、後悔といったものたちが入り込む余地は全くない。しかし、私たちの意識は、これら彼岸のものたちの助けなしに、この世界を一瞬たりともとらえることができない。
世界の奇怪さの中に顕れている胸をかきむしられそうな美しさを前にして、ある者はそれを数理的に理解しようとする。別の者たちは、言葉の宇宙に自らの狂気を託す。生の実相のカオスとの対照においては、まるできれいに整列した結晶のようにも見える紙の上の文字列に、生まれては消えていく自らの生の実感を写像しようとする。
その過程で、私たちは、決して頼りない生の現場から逃れることができない。原稿用紙に向かいながら鼻毛をむしりとって並べ、ジャムを舐め、鰻が食いたいと思う。そんな中で、生み出された作品はそれが良質のものであるほど、それを生み出した生活の猥雑を離れた形而上学性を帯びている。バッハの『コーヒーカンタータ』のように生活の猥雑がそのまま天上の音楽になる場合もあるし、猥雑がその痕跡を一切とどめないこともある。
「はじめに言葉ありき」と、世界で最も有名な書籍は記した。現代の激変する情報環境の中で、言葉の宇宙は、私たちの生活とどのように関わり、私たちの精神を豊かにして行くのだろうか。
「人間になりつつある一種の動物」にとって、柔らかな有限の生と、結晶的形而上の世界の両方にまたがって生き続けることは、やっかいなことである。しかし、そのやっかいさを引き受けることでしか、言葉の宇宙の私たちにとってのリアリティは保てない。科学が明らかにしてきた統計的真実も、文学が扱ってきた生の個別性も、皆、私たちが生活者であり、同時に生活を超えた普遍者でもあるという事情の中に根差している。
そのような真実を直視する時に、人々はこの地上における猥雑な生も、普遍の世界への死者送りを通して構築される言葉の宇宙も、その両者を心から愛して生きるための糧を得ることができるようになるのである。
(了)
http://www.bunshun.co.jp/mag/bungakukai/index.htm
6月 7, 2005 at 07:26 午前 | Permalink
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時の流れが目に見えること
静岡の磐田に仕事で行った。
駅前に善導寺の大楠がある。
ジュビロ磐田のスタジアムのすぐそばに、
ヤマハ発動機の本社があった。
仕事を終え、東海道線に乗って金谷駅に
向かう。
以前から伺おうと思っていた、河村隆夫
さんのお宅を拝見するためである。
河村さんの家は、代々御林守をつとめられた
家系で、隆夫さんが15代目。
クオリアや文学など共通の関心事が
あるので、以前から親しくさせていただいている。
河村宅は、金谷の市街から
車で10分ほど走った山間にある。
途中で、突然時間の肌理が変わった。
このあたりの山は、河村さんの所有で、
自分の山の稜線を見ながら時を過ごすという
贅沢が河村さんのものである。
昔からの家とは別に、洋風の家があり、
普段はそちらに住まわれている。
それで、代々の家の維持が大変だ、
というのが河村さんの悩みなのである。
もう半年草刈りしていないんですよ、
と河村さんが見せてくれた屋敷の風情は、
しかし素晴らしいものだった。
母屋の前には、スギゴケの美しい
緑の絨毯がある。
時が経て熟した気配は至るところにあり、
石垣からも、大木の枝からも、
着生直物の落ち着いた緑が飛び出していて、
それを見ているだけで心がなごんだ。
裏手の池には、モリアオガエルが
産卵し、
蔵の下にはハチの巣があり、
ハチたちが出入りしていた。
「子供の頃から、ここに巣があったんですよ」
と河村さん。
かくも長い歳月、同じ場所に巣がつくられ続ける
ことの不思議。
裏手の山にある河村家代々の墓に参る。
大きな山桜が墓を守るように立っていて、
まるで本居宣長だと思った。
新しい家屋の方で、河村さんが発見した
「冑佛」を拝見する。
昔の戦国武将が、冑の中に潜ませて戦場に
赴いたであろう小さな仏像。
「あの頃の人は、切実に生きていたんでしょうね」
と河村さんは言った。
静岡まで送っていただいた。
山を下りると、もうさっきまでとは
時間の流れが違っていた。
静岡駅前の料理屋で、河村さんと
いろいろなことを話した。
文化行政の問題点。
時間の流れが目に見える希有な空間を、
どうやって守っていけばいいのか。
そこには意志とともに何らかのノウハウが
必要なのではないか。
河村家が市指定文化財の維持者として受け取る
補助金は、ずっと年間1万円だったそうである。
(河村さんのブログに何点か写真を載せて
いただいています)
http://www.community-platform.jp/cell15/index.php
6月 7, 2005 at 07:17 午前 | Permalink
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研究所公開
今週は、ソニーコンピュータサイエンス
研究所の研究室公開
(招待者だけへの公開なので、その点
ご了承ください)
そのため、先週末からさまざまな作業が
続いてみて、
大変な状況である。
私の研究室の学生たちも、
ずいぶんいろいろな仕事をしてくださっている。
阪大大学院で博士号を取って
今年研究所に入った田谷文彦さんが
助けてくれている。
みんな、
今週を何とか乗り切りましょう。
6月 7, 2005 at 07:17 午前 | Permalink
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2005/06/06
「自分にとって」と「世界にとって」
人間は、どうしても自分というものを
基準にものを考えがちである。
意識体験は、自分の脳の神経細胞によって
引き起こされるのだから、
とりあえずは自分の中で閉じている。
その体験の切実さに寄り添うことは
人生の要諦だと思うが、
同時に、「世界」から見ると自分の
体験はどうなのか、と相対化することも
必要だと思う。
アインシュタインは、「ある人の価値は、
彼が自分自身からどれくらい解放されているか
によって決まる」という言葉を残している。
これはいわゆる倫理に言及したものと
解釈することもできるが、
より一般に、科学的思考、
さらには生きる上での哲学的態度を
表したものでもある。
何かをする時、それが自分にとって
初めてだというのは、確かにうれしいこと
である。
しかし、それが同時に人類にとって
初めて、ということはあまりない。
人類にとって、世界にとって
どうなのかという視点がないと、
いろいろ失敗する。
文学を書きたい、という人は
相変わらず多い。
小説を書くということが、
自分にとって初めて、というのは
確かに自分にとっては意味があるだろう。
しかし、世界にとって意味があるかは
判らない。
グランド・キャニオンに初めて
行くと、感動する。
それは自分にとっての初めてであって、
その体験は同時に過去の何千万人という訪問者の
中の一つに過ぎない。
人生の大切な
教訓の一つは、
「自分にとって」の切実さを引き受ける
ことも大切だけど、
同時に、「世界にとって」という視点を
持つべきだ、ということである。
その方がうまくいく。
プロになれる。
同時に、それは、厳しくも寂しい
世界観の中に自分を置くことを意味する。
そうやって、人間は楽園を追われるのである。
漱石の則天去私がこのような問題と
無関係だったとは私には思えない。
6月 6, 2005 at 03:48 午前 | Permalink
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2005/06/05
東京人 明治神宮の光の川
東京人 2005年7月号 6月3日発売
随筆
明治神宮の光の川 文・茂木健一郎/
一部引用
北参道に「光の川」が出来るということに気が付いたのは、ある夏のことである。その日、私は原宿から青山に抜けて、服を買おうとしていた。鳥居を抜け、ふと気付くと、北参道の玉砂利の上に光の川が出来ていた。ちょうど太陽が南中する時分で、差し込む太陽の光が参道の中央だけ両側の木々に遮られずに、白い砂利の上にうねうねくねくねと続いていた。
こんなところに光の川がある! 少し子供っぽいなと思いながら、私はその流れの中をどんどん歩いていった。そのうちに、神宮の森がとぎれて、私は光の海に出た。
神宮の森に源流を持つ光の川があり、それが流れ込む海の中に原宿や青山は浮かんでいる。あの日以来、そんなイメージができた。
全文は「東京人」でお読み下さい。
http://www.toshishuppan.co.jp/tj_new_0507.html
6月 5, 2005 at 03:20 午後 | Permalink
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クオリアとリアリティ
Lecture Records
茂木健一郎 「クオリアとリアリティ」
千葉県精神科医療センター開設20 周年記念学術集会
2005 年6 月4 日
音声ファイル MP3、12.8MB、28分
http://www.qualia.csl.sony.co.jp/person/kenmogi/lectures/qualiareality20050604.MP3
6月 5, 2005 at 11:48 午前 | Permalink
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「青色」「赤色」どちらが強い?
ヨミウリ・ウィークリー
2005年6月19日号
(2005年6月6日発売)
茂木健一郎 脳の中の人生 第56回
青色」「赤色」どちらが強い?
一部引用
アテネ・オリンピックでは、ボクシング、テンコンドー、レスリングのグレコローマンスタイル、フリースタイルの4種目において、競技者はランダムに赤または青のユニフォームを着て対戦した。これらの対戦結果を解析した結果、赤のユニフォームを着た選手が、青のユニフォームを着けた選手に比べて勝率が統計的に見て有意に高かったのである。
もし、ユニフォームの色が競技に何の影響も及ぼさないのならば、それが赤でも青でも勝率は同じはずである。赤の方が勝率が有意に高かったということは、色が選手の競技に実際に何らかの変化をもたらしたことが示唆される。
この結果は、科学的に見てどのように解釈できるだろうか?
色は、生物の個体の間のコミュニケーションにおいて、重要なシグナルになっている。様々な生物において、赤は、オスの相手に対する優位性を示す色であり、男性ホルモンの一種であるテストステロンのレベルの高さも表すことが知られている。
人間においては、怒りは血流を増し、皮膚を赤くする。その一方で、恐怖を感じると、逆に皮膚の色は青くなる。このため、「赤」は、対決的な状況において、相手に対する優位を表すシグナルになっている可能性があるのである。
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。
http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/
6月 5, 2005 at 09:55 午前 | Permalink
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「こく」のある学び
精神科の先生方は、
独特の「こく」のある世界観を持っている。
お話するたびに、そのことを思う。
「にじかい」を幕張プリンスの「ごじゅっかい」
をやった。
夜景がきれいなバーの全国2位に選ばれた
そうである。
眼下に千葉マリンスタジアムが見える。
私は、計見一雄さんをはじめとする
10人くらいの精神科医に囲まれ、
そのインターナルなトークを聞くという
類い希な学習機会を味わっていた。
シンポジウムは、佐々木正人さん、
池田清彦さんと久しぶりに会って
お話することができて楽しかった。
佐々木さんの環境心理学は、
源流を遡っていくとダーウィンに辿り着く。
新生児が周囲に様々な環境を発見してい
くところを、アーカイヴにするという
お仕事も、
すなわち、虚心で自然を観察するという
自然科学の精神そのものなのではないか。
「動物の運動(の多様性)は、ほとんど記述されて
いないんですよ」という佐々木さんの
発言が印象的であった。
池田さんの話は、相変わらず面白かった。
具体的なエピソードの中に様々な
旨味が詰まっている。
懇親会でいくつか良いインスピレーションの
種を得た。
まずは、精神状態が普段と違うものに
なってしまうということ自体よりも、
そのことによって「パニック」に陥って
しまうことの方が問題だということ。
違った状態になっても、そんなもんだと
うまく「パッチ」を当てて生きていけば
それで良い、というフィロソフィー。
また、精神病の発病は、人生の節目節目で
ある特定の認知的「解釈」を積み上げていく
ことで起こるのではないかという考え方。
つまり、人は、過去の「ソフトウェア」の
履歴の上にさらに積み重ねを行うわけであって、
その「ソフトウェア」が累積的に
ある方向にカーヴを描いていってしまい、
その結果ある時break downが起こる
ということ。
あらゆる時間が学習の時間である。
最近しみじみそのことを思う。
脳の快楽の文化が人間をつくって
いくとすれば、
学ぶという快楽はその中でも最も
滋味の深いものだと思う。
そして、学びのメカニズムと
創造のメカニズムは実は多くを共有している
はずなのだ。
6月 5, 2005 at 09:51 午前 | Permalink
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2005/06/04
千葉県精神科医療センター開設20 周年記念学術集会(本日)
千葉県精神科医療センター開設20 周年記念学術集会
日時:平成17 年6 月4 日(土)
13:00〜17:40
会場:障害者職業総合センター
千葉県千葉市美浜区若葉3−1−3
内容:千葉県精神科医療センター開設20 周年記念学術集会
第1 部20 周年報告会13:00〜13:50
第2部第5 回幕張ブレイン&マインド14:00〜17:40
シンポジウム「現実(リアリティ)とは」
座長伊豫雅臣(千葉大学教授)
シンポジスト
茂木健一郎(ソニーコンピューターサイエンス研究所・クオリア理論)
佐々木正人(東京大学教授・アフォーダンス理論)
計見一雄(千葉県精神科医療センター)
コメンテーター
木田元(哲学者)
池田清彦(早稲田大学教授)
司会浅野誠(千葉県精神科医療センター)
第3部レセプション(懇親会) 幕張プリンスホテル18:30〜20:30
参加費:第1 部・第2 部参加費2000円
レセプション(懇親会)参加費6000円
詳しい開催案内(pdf)
http://www.cswchiba.com/study050510.pdf
障害者職業総合センター(地図)
http://www.jeed.or.jp/jeed/location/nivr_map.html
6月 4, 2005 at 09:00 午前 | Permalink
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南直哉×茂木健一郎対談
Lecture Records
南直哉×茂木健一郎 対談
2005年6月3日 朝日カルチャーセンターセンター
(東京、新宿)
音声ファイル(mp3, 118.1MB, 130分)
(高音質で録音したため、いつもより
file sizeが大きくなっています)
http://www.qualia.csl.sony.co.jp/person/kenmogi/lectures/jikisai20050603.MP3
6月 4, 2005 at 08:59 午前 | Permalink
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南直哉さんとの対談
研究所公開が来週にあり、
そのプレゼンテーションのチェックがあった。
張さん、田谷くん、須藤さん、小俣くん、柳川くん、
恩蔵さん、田辺さん、関根くんが、がんばって
ポスターを作った。
ご苦労さま。
夜、朝日カルチャーセンターにて、
南直哉さんとの対談。
以前新潮社の『考える人』の対談で
お会いした。
対談があまりにも面白かったので、
二号に分けて掲載された。
南さんはその後青森県の恐山に
移って、
普段はそこにいらっしゃる。
恐山が「人々の思いが形になった」
霊場であるということから始まって、
宗教の本質に踏み込んでいく
スリリングな話となった。
仏教は、苦というものがなくなるなどとは
考えない。
苦はなくならず、それでも生きていく
方法を教える。
どのような行為をとるかが、その人
を規定する。
仏陀のごとく行為すればその人は
仏陀になる。
だから仏教者は所作を大切にする。
仏教にせよ、キリスト教にせよ、
宗教は、その本質に反人間的なものを
含んでいる。
そこから人間性への回帰の運動もあり、
そのせめぎ合いが緊張感をもたらす。
などなど。
こういうことについて、南さんと
ゆったり話す機会が持てたことは
幸いだった。
またぜひ対話したい。
その後、南さんを交えて
懇話。
12時までおつきあい下さった。
南さん、ありがとうございました。
明けて今朝、小俣くんと、須藤さんの
論文がInterspeechに通ったという
メールを受け取る。
最後はかなりがんばって書いたので、
嬉しいニュース。
今年の採択率は62%だったとのこと。
二人とも通って、良かった。
特に小俣くんは博士号を取るための
必須の条件だった。
良かった。
6月 4, 2005 at 08:45 午前 | Permalink
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御林守河村家を守る会
静岡県島田市指定文化財「河村家住宅」の
当主、河村隆夫さんが、
「御林守河村家を守る会」
を立ち上げられました。
河村さんとは、御著書「蒼天のクオリア」
の序文を私が書かせていただくなど、親しくさせていただいています。
河村さんのお宅は、日本の美しい佇まいの原風景の
を呈していて、
文化財として守っていくにふさわしいものと
考えます。
ご関心のある方は、河村さんの下記URLをごらんください。
http://www.community-platform.jp/cell15/index.php
6月 4, 2005 at 08:39 午前 | Permalink
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2005/06/03
思考の補助線 第1回 世界をその中心で統べるもの
筑摩書房
月刊ちくま 2005年6月号 (第411号)
[思考の補助線]1・世界をその中心で統べるもの―茂木健一郎 p.28〜30
一部引用
1983年、浅田彰の『構造と力』がベストセラーになったことで火がついた「ニュー・アカデミズム」のブームは、私たち自然科学や数理科学を専攻していた人間にとっては、確かに、対岸の火事に過ぎなかった。しかし、それは同時に奇妙に神経を苛立たせる光景であった。何よりも恐ろしいことは、浅田氏をはじめとする思想家たち本人の意図を超えて「ニューアカ」的なスタンスが、知の基盤の腐食、フィロソーフとしての生き方の変質に力を貸してしまっているように思えたことだった。
(中略)
自然科学者としての卓越性の基準と、思想家としてのそれは違う。これが、今日に至るまで私を悩ませている問題の根にある認識である。伝統的な意味での自然科学の中にとどまり、思想家たちが直面している真摯な問題群に目を向けず、科学としての卓越性を追求している限り、恐らく悩みは少ない。一方、自然科学における厳密さや普遍性を、社会構成主義やエクリチュールの相対主義の枠組みで片づけ、それ以上反省しない思想家にも悩みは少ない。
純粋培養の自然科学者にも、思想家にも、恐らくは世界全体を引き受けることなどできない。人が人として生きるということの困難さの核心、この世界を成り立たせている根本原理の神秘、ゲーテの『ファウスト』に言う、「この世をその中心において統べているもの」を把握するためには、自然科学の卓越でも、思想の卓越でも足らない。両者の間に、思考の補助線を引かなければ、全体の構図は見えて来ないのである。
小林秀雄が講演の中で現代の知識人を揶揄して使った言葉、「悩みも悟りもしないやつら」にならないためにも、一見両立させようがないように見えるものの間を結び、そこに気付かなかった風景を見たい。何時間かけて考えても解けなかった幾何学の問題が、たった一本の補助線を引くだけで見通しがつき、一挙に解決に向かうように、何らかの新しい視点を得る努力をしてみたい。そのような思いを胸に抱いて、この連載を始める。
科学と思想の間に補助線を引くこと。それは、心脳問題について考えることとも無縁であるはずがない。バブル以降の浮ついた日本の気分にケリをつけ、返す刀で自分にとって最も切実な問題である心脳問題の解決に近づくための思考のヴィスタ(景観)を模索したいと思う。
全文は「ちくま」で。
http://www.chikumashobo.co.jp/web/mokuji.html
6月 3, 2005 at 08:13 午前 | Permalink
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東京芸術大学 美術解剖学
6月 3, 2005 at 06:48 午前 | Permalink
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欠乏と飽食
Webマガジン en 連載
茂木健一郎 「おいしさの恵み」
第3回 欠乏と飽食
http://web-en.com/
6月 3, 2005 at 06:25 午前 | Permalink
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脳と癒し 第4回 南直哉さんとの対談
6月 3, 2005 at 06:20 午前 | Permalink
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友あり。とてもいいもの。
聖心の授業も、
香粧品学会の講演も、
芸大の授業も、
ぜ〜んぶ楽しかった。
しかし、何だか夜にはヒロウコンパイ
してしまった。
それで、ふと思いついて神戸の郡司ペギオ
幸夫に久しぶりに電話した。
コール1 神戸大学
(学生)「はい」
(茂木)「もしもし、あの、郡司さんいらっしゃいますか?」
(学生)「郡司さんは、今日はもう帰られました」
(茂木)「どれくらい前に帰られましたか?」
(学生)「ちょっと待ってください・・・・・・・1時間くらい前です」
(茂木)「そうですか」
(学生)「それでは・・・」
(茂木)「ありがとうございました」
コール2 郡司自宅
(茂木、声色を変えて)「もしもし。郡司さん? オレだけど」
(郡司)「はい・・・どなたでしょうか?」
(茂木、普通の声で)「おれだよ、おれ」
(郡司)「なんだよ、おまえかあ、びっくりしたよ。○○かと思った」
(茂木)「最近、どうなんだよ。」
(郡司)「エストニアから○○っていうのが来ていて、昨日帰ったところ。なんだかしらねえけど、自分一人で生物システム論っていうのを考えて、勝手にやっているやつ。すげー面白かった。それで、そいつ、困ったやつで、ビザとるのにこんな書類がいるって、毎日のようにメールしてくるんだよ。それで、オレ、何回もエストニア大使館に国際電話して大変だったよ」
(茂木)「お前にそんな実務的なことが出来たんだな〜(笑)最近東京には来ないのか?」
(郡司)「行ったよ、この前、5月1日に。オープン・バイオロジーとか何とかいうやつ」
(茂木)「ところでさ、早稲田の相澤さんが編集している本、どうなったか知ってる?」
(郡司)「ああ、あれ、もうとっくに原稿送っちゃったよ。」
(茂木)「いや、まだ原稿書いていなくて、どうなったのかな、と思って」
(郡司)「(笑)お前、あれ、ずっと前じゃん」
(茂木)「うん。最近、相澤さんとは話した?」
(郡司)「いやあ、この2−3ヶ月話していない。」
(茂木)「そうかあ、会いたいなあ」
(郡司)「研究会でも何でもいいから、呼んでくれればいつでもいくのに。オレは閑だから」
(茂木)「そうかあ。じゃあ、なんかやるかあ」
(郡司)「うん、やろうやろう」
(茂木)「おお、じゃあな」
(郡司)「じゃあなあ」
たった5分くらいの会話だったが、イヤされた。
やっぱり友というものはいいものである。
社会的文脈の中での人間関係はいろいろ気を遣う。
まったく遠慮のない「友」は何ものにも
替えがたい。
池上高志とか、塩谷賢とか、竹内薫とか。
よっしゃ、一つがんばって仕事を続けることに
しよう。
6月 3, 2005 at 06:15 午前 | Permalink
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2005/06/02
日本香粧品学会第30回学術大会
日本香粧品学会第30回学術大会
ヤクルトホール
東京都港区東新橋1-1-19
2005年6月2日13時15分〜14時15分
特別講演1
茂木健一郎
「心と脳が交錯する質感(クオリア)」
http://www.dermatol.or.jp/member/kanren/kokunai.html#050602_02
6月 2, 2005 at 06:54 午前 | Permalink
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聖心女子大学、臨床心理学特講
Lecture 6
本日の聖心女子大学、臨床心理学特講は、
予定通り行います。
6月 2, 2005 at 06:44 午前 | Permalink
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東京芸術大学 美術解剖学
東京芸術大学 美術解剖学
Lecture 4
「タフ ラブ」(tough love)
2005年6月2日(木)
午後3時35分〜午後5時
東京芸術大学 上野校地 美術学部 中央棟
第3講義室(2F)
6月 2, 2005 at 06:43 午前 | Permalink
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やっているのか、やらされているのか。
早稲田の授業日。
例によって、リーガロイヤルホテル
で何件かミーティング。
ティーラウンジーの大窓から見る
大隈庭園の風景にもすっかり慣れた。
この季節は緑が目に深く染みてくる。
わたる風そのものを感じることは
できないけれども、
心が動き出す感じがある。
東京大学総務部渉外グループの
小野寺達也さんには、
東大がいかに変わろうとしているか、
という話を伺った。
Fund raisingを本格的にやり、
卒業生ネットワークや、benefactor's networkを
充実させていくとのこと。
大学も法人化して、自由度が増したようである。
あるミーティングで、「自律性と
他律性の違いは何か」という話をした。
自分から進んでやっているのか、それとも
やらされているのか。
その違いはどこで生じるか?
つまり、組織において、「やっている」
のではなく、「やらされている」と感じている
人たちが増えて来ているのが
問題である、というような状況が
あるというのである。
脳の働きから見れば、「やっている」と
「やらされている」の間の差は紙一重である。
神経機構から言えば、純粋な自由意志が
あるのかどうかも疑わしい。
行動のきっかけは無意識に起こり、
それを意識が追認し、必要に応じて
veto(拒否権発動)する。
それでも、「やらされている」
ことが「やっている」と感じることができることに
よって、
連動して起こる脳のプロセスが変わってきて、
結果としてパフォーマンスが向上するかもしれない。
ここで、million dollars questionは、
「やらされている」を「やっている」に変換する、
マジック・ワードは何か、ということである。
人間の認知プロセスは精妙に出来ていて、
確かにマジック・ワードというものはある。
たった一つの言葉で、文脈が変化し、
風景が変わって見える。
「ニート」や「ひきこもり」といった
言葉が発明され、状況にぴったりとはまる
ことで、
現実が変化する。
人間関係が、たった一言で変質
するのは誰でも経験していることだろう。
Say that magic word, please.
全国の家庭で、学校で、職場で、
この瞬間も
マジック・ワードたちが手ぐすねを引いて
登場を待っているに違いない。
6月 2, 2005 at 06:20 午前 | Permalink
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2005/06/01
Introduction to psychology. Lecture 6
早稲田大学国際教養学部
2005.6.1. 13:00〜14:30
7号館419教室
Introduction to psychology. Lecture 6.
How to deal with uncertainty (2)
We continue our investigations into the brain's mechanism of dealing with uncertainty.
6月 1, 2005 at 09:35 午前 | Permalink
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皇帝ペンギン
午前中、日経BPの取材。
午後、博報堂の『広告』の対談。
土井徳秋編集長がいらっしゃる。
打ち合わせ一件、その間、柳川透や関根崇泰
と議論する。
夜、
幻冬舎の大島加奈子さんのアレンジで、
映画『皇帝ペンギン』の試写会に行った。
六本木にあるGAGAの試写室。
http://www.gaga.ne.jp/emperor-penguin/
私が皇帝ペンギンの生態に興味を持ったのは、
1993年にイギリスに短期滞在した時に
下宿のフランス人のおばあさんと見た
BBCのLife in the freezer
がきっかけである。
余りにも過酷で美しいライフ・ストーリーに、
放送している間目が釘付けになっていた。
おもしろさが一定のしきい値を超えると、
そこで提示されたことが全て詳細に思い出される
ようになる。
mirror testを考案したGallupの講演もそうだったし、
About faceを書いたJonathan Coleの話もそうだった。
あの時、皇帝ペンギンの想像を絶する
生活スタイルに、私はすっかり魅せられてしまった。
今回、『皇帝ペンギン』を撮ったフランスチームの
アプローチは、BBCのDavid Attenboroughの
アプローチとは大分違う。
映像はとてもファンタスティックで、
皇帝ペンギンの生態についての私の知識の
ギャップを随分埋めることができた。
大島さんがアレンジして下さった
理由は、幻冬舎から「さいしょのペンギン」
についての本を出す予定があるからである。
とっとと仕上げて『皇帝ペンギン』と
ペンギンつながりでプロモーションしましょう、
と大島さん。
全くもってその通りである。
六本木の街を歩いている時に、
すばらしいインスピレーションが沸いて、
私は思わず立ち止まってノートにメモをした。
万が一にも、
忘れてしまっては困ることもあるのである。
6月 1, 2005 at 06:49 午前 | Permalink
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