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2005/05/06

闘病

「闘病」というのはうまく言ったもので、
まさに、本人にとってはもちろん、周囲の
人間にとっても一つの戦いである。

 母が入院して二日目。
 医者に情報をいろいろ聞くのは当然だけれども、
本屋に走ったり、インターネットで
検索したりする。
 A型肝炎だと聞けば、関連の事項を調べる。
 二日目の説明で、どうやら肝炎よりも
胆石の可能性が高いということになった。

 肝臓から十二指腸に胆汁を運ぶ総胆管
に胆石が詰まった「総胆管結石」である
可能性が、胆管が膨張している
などのCTなどの所見から一番
あるということで、
 内視鏡的胆道ドレナージ(ERBD)を
行うことを提案された。

 胃カメラのように、内視鏡を飲まなくては
行けないので、本人はいやがったが、
仕方がない。
 約1時間かかるという、その処置を
お願いした。

 ところが、胆管、膵管の出口である
乳頭部から、うまく管が挿入できず、
また造影剤を入れても、膵管の方にだけ
入って胆管の方に回らず、
 当初の目的を達することができなかった。

 総胆管結石は、合併症さえ起こさなければ
それほど心配することはないようだが、
 いざ、胆管の中の胆石を除去する
方策というと、
 これがなかなか難しいようで、
炎症が治まると自然に取れることが
あるとも言うけれど、
 まだまだ安心できない。

 本人が苦しい、というのは
もちろんだけれども、
 闘病の切なさ、というのは別の
所にもあって、
 例えば治療で行う処置(内視鏡的胆道ドレナージ)
が別の苦痛を与える、というのもそうであるし、
 総胆道結石の確定診断を与えると期待
されるMRCPが連休中はできない、
と医者に言われたのも切なさのもとである。

 胆石さえ外れれば、案外早く退院できるか
もしれないし、とにかく快癒を祈るしかない。

 祈りというのは、無力さの自覚だとすれば、
祈ることを知っている人の方が、
知らない人よりマシだ。

 ちっぽけな石が管に詰まっただけで
これだけの苦しみ、騒ぎになるのだから、
人間というシステムは実に繊細に出来ている。
 我々の意識など無力だ。
 脳なんて、結局、内臓に養われて
普段はいい気になっているだけなんだろう。
 そして、内臓は内臓で、微生物や
食物連鎖に養われている。

 その無力な意識を駆使して、病室や待合い室で
少しずつ仕事をした。
 すっかり予定が狂ってしまったけれども、
世の中の予定など知ったことじゃない。
 しかし、それだと迷惑を被る人もいるので、
なるべく迷惑をかけないようには努力はしている。

5月 6, 2005 at 04:33 午前 |

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