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2005/05/02

チョコレート巡礼

茂木健一郎 「おいしさの恵み」
第2回  チョコレート巡礼

http://web-en.com/column/0505/main2.cfm

5月 2, 2005 at 03:56 午後 |

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コメント

何でも余裕や安らぎを持つことは悪いことではないかな?
最初、この話題には触れないようにしようと思ったが、あまりにも不公平なので、書くことにした。
私は、家が札幌駅の近くにあったので、学区の帰りなど、子供の頃、時々札幌駅の近くで遊んでいた。
鉄道にも興味があった。
見送り券?といわれる券を買って、ホームに入り、列車の写真を取ったり、運転手に運転席の写真を取ってもらったりしていた。
遊びに田舎から来た親戚の見送りにも良くホームに行った。
私は、そこらへんの人よりは、鉄道に興味があり、関係していた方だと思う。
高見運転手も夢を持って運転手になったそうだ。
ぽっぽやだったに違いない。
ぽっぽやに悪い人はいないと思っている。
受験などで間違った乗車にのってしまった時に、止まらない駅に止まってくれたりする。
学校や会社に遅れないように、電車の接続で乗り遅れないように、乗る人の為に時間を守って運転しようとする。
毎日の始まりや締めくくりを支えている。
規則どおりにやっていれば、そのままできるというものではない。
命を預かる仕事でもある、優しさを持っていなければ、毎日できる仕事ではない。
規則やシステムだけでは絶対できないのが現実なのである。
ATSを付ければいいという話しではない。
文学につながる部分がある。
人間の気持ちを無しにして、絶対に成り立ちはしない。
私達誰もが、文学に接することに時間をさくのも理由があるということだろう。
彼、一人をスケープゴートにしても、なんの解決にもならない。
絶対に、文学から感じるクオリアには、私達が全く知らない、
私達の規則やシステムでは歯がたたない結果を導き出せる理由が絶対にある。
クオリアには、絶対に時間をかけて作りこまれたヒストリーがあるはずだ。
なんのストーリーも無いなんて、確率的に絶対ありえない。
最初からできているなんて、そんな都合のいい話しがある訳ない。残念だがね。

メディアでも、言われているように、社会全体でこれに似たきな臭い問題がある。
ここ一連のJALの問題にしても、最近の空港管制問題にしても、
余裕が無いのが目に見えて感じる。
規則に縛られ、今までにあった人間味が殺されている。
目には見えないかもしれないが、一番大事な部分が人間味なのかもしれないのに。

この問題は、私達の問題だ。
社会全体での、私達一人一人の余裕の無さが、望まずも集まってしまったものだ。
より一層の利便性を要求しているのは、悲しくも私達だ。
また、JR西日本の従業員の年齢構成も酷いものだ。
これも現在の社会を反映している。
彼だけを、せめても何も解決しないのはクオリアから明らかだ。

残念だが、クオリアを無視して、物事は成り立たない。
私達が感じるクオリアは表面的には誰も表せられない。
そのもの自体には実体がないからです。
それにつながるエピソードを象徴しているに過ぎないからです。
なんだ、脳の十八番じゃないか。

投稿: バターロール | 2005/05/02 21:06:04

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