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2005/05/03

憲法と理想

 今日は憲法記念日で、新聞にたくさん
記事や意見広告が出ている。

 私の憲法に関する見解は、ヨミウリウィークリー
の連載(http://www.qualia.csl.sony.co.jp/person/kenmogi/yomiuriweekly/brainconstitutionsmall.jpg)でも書いたし、
先日の「広告批評」アンケート(
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2005/02/post_18.html)で
回答したのと、基本的に変わっていない。

 しかし、最近、あることを思うようになったので、
そのことを書きたい。

 私は自分ではいわゆる「愛国心」を持っている
と思う。
 何回も書いているが、伊勢神宮は大変好きだし、
本居宣長のやったことは文化勲章100個分くらいの
価値があると思う。
 その上で、現代の世に愛国心を説く人たちが
なんだかうさんくさく思えていた。
 その違和感の本質がどこにあるのか、
先日ふとわかった。

 それはつまり、現代の世の中において、
「愛国心」は果たして理想たり得るのかという
点にある。
 誰だって、自分のことや、自分の仲間は
大切にしたい。
 自分の家族や友人の幸福を願うのは
当然のことだろう。

 しかし、それは「理想」たり得るのか。
「私の理想は、私の仲間が繁栄して大成功する
ことです」という人がいたら、鼻白むだけだろう。
 だったら、愛国心もほどほどにしておくが
良い。
 日本人の愛国心の発露の結果が、中国や
韓国など、隣人にとっては不快や不幸を
意味するとしたら、
 きっとそれは「理想」とは違う。

 私は自分の人生において「理想」に殉じよう
と思っているから
 (「クオリア」問題の追及は、その一つの
軸であるけれども)、「愛国心」が理想
ではないとわかっている以上、「愛国無罪」などとは
唱えはしない。

 私の学生の関根崇泰などは、中国の反日運動に
かなり反発を感じていたようだが、
 私は関根にやさしく言ってあげたい。
 「君の言いたいことは判った。でも、それが
君の理想なのか。君は、中国に対する反発
をもとに生きていけば、それで満足なの?」
と聞いてみたい。
 
 理想としては、中国や韓国の人たちと仲良く
するのがいいに決まっている。
 自分と異質で、違和感を感じる他者ほど、
大切にすべきだ。
 その他者という鏡で、自分のことがよく
わかるんだから、感謝さえすべきだろう。

 養老孟司さんは、時々、「日本列島に住んでいる
人たちは、中国のやり方がいやになって逃げてきた
んだ」と言う。
 そうなんだろうと私も思うが、
だからこそその異質な中国の人たちを大切にすべきだ
と思う。

 憲法9条は、きっと一つの理想だったのであって、
国際政治のリアリティとか、普通の国家論とか、
そういうものとは関係がなかったのだろう。
 それだけ日本人は戦争にうんざりしていたはずだ。
 東京が大空襲を受けて、原爆を二発も落とされて、
うんざりしなければ不思議である。
 もちろん、自分たちがやったことに対する
反省もあったに違いない。

 だから、9条は、あの頃の理想であったことは
間違いない。
 理想として読めば、今でも立派である。

 私は上に引用した見解にもあるように、
憲法の「条文」の改正にはあまり関心がないし、
条文にこだわるのはできそこないの人工知能の
ようなものだと思っているが、
 9条が理想であることは、覇権国家アメリカも、
現実主義者のイギリスも、認めざるを
得ないんじゃないかと思う。
 もし日本が本気でその理想を唱えたら、
国際社会で随分尊敬されるんじゃないか。

 先日、芸大の授業で学生が現代美術を批判した
時に、内藤礼さんが「私はうつくしいもの、
それもかけねなしにうつくしいものを作ろうと
している」と言ったのはとても立派だった。

 現実は、言われなくても重々承知している。
だからこそ、美と真実を大切にしたい。
 憲法記念日に思うことはそんなことである。

5月 3, 2005 at 06:10 午前 |

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コメント

あれだけのマイナスの行動をしなければ、
真実にたどり着けないものなのか?
この憲法は、あの当時は、違った思惑で作られたもの。
それが、最高の真実だったとは。
そして、今私達は、その真実に驚いている。
理想的な物だったのた。
当たり前の、私達が行き着こうとしていた物。
それが、偶然に作られていた。
あんな、犠牲を払わないと、大人になれないのか?
まだ、押し付けられているだけで、理解していないがね。

投稿: バターロール | 2005/05/03 9:59:25

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