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2005/05/01

社会的哺乳類であること

先日、早稲田の国際教養学部での
授業の時に、 
 人間はなぜ「心の理論」を発達させたのか
という話になって、
 それはきっと人間が哺乳類であることと
関係があるだろう、と言った。

 生物には、「他者」を強烈に必要とする
局面がいくつかある。
 まず絶対なのは、有性生殖のパートナー
探しである。
 哺乳類には、さらに、誕生後しばらくは
「保護者」に育ててもらわないと生きてはいけない
という事情が加わる。

 いつもはミルクをくれる母親が、
たまにミルクをくれない。
 その時、はじめて、他者が自分の延長や
道具ではなく、まさに独自の心を持った
「他者」なのだ、ということに気付く。
 そこから「心の理論」が始まる。

 人間には、さらに、社会的生存ということが
ある。
 自然環境との戦いにはほぼ勝ってしまったので、
「ひょっとしたら生きていけないかもしれない」
という恐怖は、多くは社会的文脈で起こる。
 「心の理論」が切実なものになるはずである。

 先日、清原が500号ホームランを打ち、
「敵地」の広島のファンからも満場の祝福を
受けているのを見て、
 さぞや本人もうれしかったろう、いいシーン
だなと思った。
 一歩引いて考えてみれば、あれも社会的哺乳類
ならではである。
 自分の生存に他者を切実に必要としない
生物だったら、
 他人が拍手しようが拒絶しようが、
きょとんとしているだけだろう。

 人から褒められたい、喝采されたい、
という承認欲求が強すぎて、むき出しになっている
人はつらいものであるが、 
 それもミルクをくれと泣く新生児と
同じことかと思うと、
 なんだか切なくなってくる。

 ギリシャ神話では、世界から見捨てられた
主人公たちは、
 ゼウスがあわれんで空の星座に
してくれるわけだが、 
 そのような承認の形而上学も実は
その起源において乳臭いものだと
思うと、そこに現れている
真実が味わい深い。

5月 1, 2005 at 06:28 午前 |

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