Horace Barlowとの議論
Horace Barlowの家にいって、議論した。
真っ先に
Daisy Barlow(犬!)がお出迎えしてくれて、
ドアを開けたMirandaが、上にいるわよ、と言った。
MirandaはHoraceの妻で、University of Cambridge
でTechnology transferの仕事をしている。
MirandaとHoraceは、Mirandaが本を編集して
いる時に知り合った。
Horaceの家には、Wedgwoodのfamily treeが
ある。
中心から周辺にむかって放射状に延びている。
この円形の書き方は、typicalなのかと
Horaceに聞いたら、
そうではないだろう、と言った。
Horaceは、Wedgwood家と、Charles
Darwinの両方につながっている。
Horaceとの議論で一番面白かったのは、
statistical learningについてである。
人間の学習については、一回だけの体験で
学習が成立する、one-shot learningが
あるが、
Horaceに言わせれば、このN=1の場合も
statistical learningである。
いや、N=1から学習しなければならない
時こそ、もっともsophisticatedな
statistical learningが必要なのである。
Horaceは学生の時にFischerの統計学の本を
読んで感銘を受けたが、Fisherの本ほど、
人々の反応が極端に二分されるものは
ないと言う。
脳がやっていることが、statistical learning
であるという証拠は過去数十年の間に
徐々に蓄積してきた、というのが
Horaceの立場で、
そのことは、例えば言語の起源にも
関連しているだろう、と言った。
洞察に基づく、認知的なone-shot learningは人間に
だけ見られるように思われるけれども、
例えば蜂に刺されてそれ以来蜂を避ける
というようなone-shot learningは、広く動物に
見られる。
この二つのプロセスの間にどのような関係
/transferが起こったのか、大変興味深い
ところである。
Horaceは、意識の起源について、それは
基本的に他者とアイデアを共有できる
ということのためにあるのだろう、と言った。
無意識のプロセスの方が占める割合が
大きいが、それはfor internal consumption
onlyなのであって、
意識されたものだけが、言語を
通して相手にexplicitに伝えられる。
そのことが重要なのだろう、と言った。
Horaceの志向は、統計的なもの、
そして進化論的なものである。
Horaceのお母さんは、祖父である
Charles Darwinの進化論について大変
熱狂的な関心を持っていて、それが子供の
時のHoraceに影響を与えたのだろうと言う。
私自身は、統計的、進化論的議論と
一見相容れないように見える
qualiaに象徴されるphenomenal aspects
of consciousnessを巡る問題が、
実はcompatibleであると可能性が
最近見えて来ているように思う。
おそらくそのあたりにbreakthroughが
あるだろう。
その意味でも、
Horaceとの議論は楽しく、尽きなかったが、
残念ながら時間が来てお別れすることと
なった。
Horaceは8月のECVP(European Conference
for Visual Perception)に来るというので、
その時に再会できれば、と思う。
新潮社の北本壮さん、菅野健児さんは
まだcollegeの撮影が少しあったので、
GrantchesterのThe Orchardでお茶を
飲みながら、Roger PenroseのThe Road
to Realityを読む。
合流して、The Red Lionで遅めの昼食を
取り、そこからWimpole Hallを経由して
A1、M25,M40のルートでOxfordに
移動した。
北本さんがLe petit blancに電話したら、
9:15からしか取れないというので、
仕事をしながら待つ。
モダンなデザインで、料理も素晴らしかった。
タイトなスケジュールなので、イギリスに
来てからものすごく長い時間が経っている
ような気もするが、そうでもない。
母は状態が落ち着いていてしかし石が
まだあり、その内視鏡手術は月曜になった。
5月 15, 2005 at 03:27 午後 | Permalink
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