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2005/04/23

他者を癒しのよすがとして。

朝日カルチャーセンターで取り上げたのは、
仏像の問題である。

 国宝の早来迎もそうだが、なぜ、私たちは
人間の姿をしたものに、「癒し」のよすがを
求めるのか。
 他者の心とは、つまりは、もっとも
不可視で不確実なものであり、
 それを一度経由した形で初めて
「癒し」が成り立つというのは、
不可思議でおそらくは大切なことであろう。

 興福寺の「無著」や、中宮寺の「菩薩半跏像」、
広隆寺の「弥勒菩薩半跏思惟像」・・・・
 その表情から、考えていることは容易に読み取れず、
モナ・リザの微笑みと同型の曖昧さがある。 
 その曖昧さに、私たちは惹きつけられる。

 Baron-Cohenのtheory of mindの論文(1985)
を取り上げ、
 「神々の黄昏」のブリュンヒルデの自己犠牲と
「東京物語」を見た。

 ちくま書房の増田健史が来て、PHPエディター
ズグループの石井高弘と「編集つーのはつまり
どんな営みであるか」というバトルをしていた。
 その横で、私は涼しい顔をしてビールを
飲んでいた。 
 とにかく忙しい一週間だったのである。
 ビールくらい飲んでも、バチは当たらないだろう。
 
 いろいろなことが詰まっていて、
一週間のスタートだった月曜日は、そのいろいろな
ことの山の向こうの、遙か昔だったような
気がする。
 これでは、一年が飛ぶように過ぎていく
はずである。
 
 そういえば、しばらく前のNatureに、
「なぜ大人になると月日が早く過ぎるのか?」
というような記憶に関する本の書評が出ていた
ような気がする。
 後でチェックして見ようかしらん。

 時間は早く過ぎていくが、とにかく
大切なこと/難しいこと/愛すべきこと/
真理に通じること/だけを見つめて
いれば良いのだと思う今日このごろである。

4月 23, 2005 at 06:55 午前 |

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コメント

モナ・リザの魅力は...
お花畑で明るく微笑むチャーミングな妖精の
魅力とは、質がまったく違いますよね。
荒野で曖昧な微笑を投げかけるモナ・リザに
私たちが感じるのは、 "荒野"の苦しみへの
共感の優しさのようなものではないかと思い
ます。

かつて安達祐実がテレビドラマの中で
「同情するなら金をくれ」という名せりふを
残しました。
苦しくて辛い状況にいる人にとって、同情
など何の役にも立ちません。
安全で居心地の良い立場にいる人間から
「かわいそうにねえ」などと同情されても、
たぶん疎ましく感じるだけでしょう。
「同情」と「共感」は違います。モナ・リザの
ように、相手と同じ"荒野"にわが身をおいて、
その体験や感情を共有できるかどうかを考え
ると、共感するというのは簡単なことではない
と思います。

投稿: bakabonpapa | 2005/04/23 14:22:20

ご参考まで。
ググったら、こんなページがありました。
http://homepage2.nifty.com/osiete/s699.htm

「時間は体の大きさの1/4乗に比例する」
という説。
はは、はじめて知りました。
----
あと、お風呂のちょうど良い熱さが
上がるというのもありますね、歳とともに?
あ、これは時間ほど一般的な認識現象では
ないのでしょうか? あ、あたしだけ~? :-)

投稿: Kimball | 2005/04/23 7:24:26

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