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2005/04/25

団まりなさんの家での田植え

承前。

 田植えをした。
 大場旦と並んで、苗を土中に差した。

 苗は、びっしりと密生したマットのような
形になっており、 
 それを適当な大きさにちぎって、まずは
田んぼのあちこちに投げておく。

 それから、適宜の間隔で苗を植えていく。
 これが、案外難しかったが、
 難しさは想像していたのと違う点にあった。

 まず第一に、田んぼの土の底というのは
均一ではない。
 かたいところもあれば、やわらかいところも
ある。
 かたいところで十分深く差さないと、
しばらく立って苗がふわっと浮いてきて
しまう。
 やわらかいところは、差しすぎて、
苗が濁った水に隠れて見えなくなる。

 自分の歩いた後の土面がぼこぼこの穴だらけ
になるというのも盲点だった。
 後ろずさりしながら植えていくと、
ぼこぼこになったところに植えるところに
なる。 
 うまく土が残っているところを探り当てて、
しかし、苗の配列の規則性をあまり壊さない
ように植えなければならない。

 ならば、前進しながら植えればいいでは
ないかということになるけれど、そうなると
苗を植えた後のエリアをうまく歩いていかなくては
ならないことになる。
 これはこれで難しい。
 
 だから、田植えは体重の軽い人の方が向いている
のだろう。
 田植え風景というと、女の人を連想するのは
そのためか。 

田植えをする大場旦(NHK出版、左側)
と茂木健一郎(右側)

 団さんの田んぼは、端の方がちょっと
他のところと違っていて、沼地のような底に
なっており、
 そこが格段に難しかった。
 植えても手応えがなく、ずぶずぶもぐって行く。
それでも、苗が余り気味だったので、
 なんとか植え終わった。

 田んぼも自然なのだから、
いろいろ予想外のことがある。
 それは下手なシミュレーションではとても
扱えないような複雑系である。 
 農業にたずさわる人が謙虚になるのは当然だ。

 田植えを終えた水田のさわやかな
希望に満ちた風景の味わいを知る。
 自分が植えればなおさらである。

 帰りの「さざなみ」で、大場旦とビールを
飲みながら
 よしなしごとを話し合った。
 考えてみると、大場旦とのつきあいも5年になる。
 今年は一冊予定しているので、時満ちれば
またもや
 怒濤の追い込みを覚悟しなければならない。

 田植えのようにひょいひょいと行きたい。
 収穫するには、植え付けなければならない。
 人生の一粒万倍日はきっと来る。

4月 25, 2005 at 06:51 午前 |

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