もうそうなっている。
竹島の問題だが、
あれは、領土をもった国家という制度に内在する
脆弱性のようなもので、
放っておくしかないのではないか。
どっちが正しいとかそういう問題ではなくて、
人工的に境界を区切る、というアルゴリズムに
不可避のアーティファクトだと思って
いればそれでいいように思う。
養老孟司さんと一緒の仕事で、
いろいろお話することができた。
まずは品川プリンスでNHKの高尾正克さんと
三人で。
お昼のバイキングに大勢の人が
並んでいてびっくりする。
その後は、養老さんと合同研修会の
仕事。
私は創造性について話す。
最近、aha! 体験についていろいろ
考えたり、
実験をしたりして、
この特異な認知プロセスについての
理解が随分立体的になってきたことを
感じる。
養老さんは「バカの壁」以前からもちろん
お忙しかったが、「壁」以降は本当に
もみくちゃの状態で、その様子を見ていると
いろいろ考えさせられる。
その言葉の多くが強く印象に
残るものであることは相変わらずで、
aha!の一発学習と同じような
形で脳に刻み込まれる。
夜の懇談会の後で、「これからカンヅメなのだ」
と養老先生は帰っていかれた。
帰宅。
身体は疲れていたが、何となくもう少し
酔ってみたくなって、
ビールを買いにいった。
一人歩く夜の道で、
「オレが死んだあとの世界はどうなっている
だろう」とふと考えた。
親しい友人や家族はオレのことをどう思い出し、
世間の人々はどんな感じで、この世界を
見続けるだろう。
その時、若い女が早足で向こうからやってきて、
その後から、千鳥足のサラリーマンがきた。
それで、なんだ、世界はもうそうなって
いるじゃないか、と思った。
オレの死んだ後の世界はもうここにある。
あの二人にとって、世界がどう見えているか、
そんなことオレは知らん。
親しい友人や家族にとって世界がどう見えて
いるかだって、
本当は知らん。
だったら、世界はもうそうなってしまって
いるじゃないか。
養老先生とは、今月もう一回会う。
4月 8, 2005 at 06:44 午前 | Permalink
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