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2005/04/05

花見のメインステージ

関根崇泰、花見実行委員長(本職は、
東京工業大学大学院博士課程2年)の活躍により、
 生まれて初めて上野公園の桜の下という
「花見のメインステージ」で
花見をすることができた。

 電通から佐々木厚さんと後藤さん、
芸大から植田工、蓮沼昌宏、津口在五も
駆けつけ、
 さらには、修士一年に入った星野英一くんも
久しぶりに顔を出して、
 とてもにぎやかで楽しい花見だった。 

 午後8時にぼんぼりの灯りが消え、
広小路に移動してこちらも久しぶりの
カラオケ。
 自分が歌ったり、他人が歌ったり
するのを見ているうちに思ったこと。
 ビートルズにはノーベル文学賞を、
尾崎豊には芥川賞をあげるべきではないか。
 Nowegian woodsの歌詞は完璧な短編小説
であるし、
 「十五の夜」には青春のやり切れない
一瞬がとらえられている。

 さかのぼって、研究所に向かう
 電車に乗っている時、ふと思った。
私たちは、一日の経験というものはその日に
起こったことで出来ていると思っているが、
実はそうではない。
 まず、明瞭に過去を思い出している
時がある。
 それから、過去にも未来にも属さない、
抽象概念について考えている時がある。

 現在と向き合っている時にも、
その時に動員している概念ツールたちは、
過去に属している。
 その過去は、必ずしも自分の人生
に属するものだけとは限らない。
 他人の経験が文化を通して「私」
に漂流する場合もあるし、
 さらには、三木成夫の言う
生命記憶もある。

 過去という巨人の肩に乗って、
私は魂をふるわせながら「現在」に
向き合っている。

 上野公園で、談笑しながらふと
桜を見上げた時、視覚の中を
よぎるのは必ずしも現在に属する
クオリアだけではなく、
 過去に積み重ねてきた無数の
体験の地層の照り返しなのだ。

 それにしても、よく歌い、よく飲んだ。
星野くんや、田谷文彦くんと何回も
握手したような気がするし、
 英語の歌を即興で日本語にして
歌うとか、
そういうこともまたやってしまった
ような気がする。
 花見らしくて良かった。
 関根くんやみんな、ありがとう。
 今年度も一年がんばりましょう。

4月 5, 2005 at 07:43 午前 |

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