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2005/04/09

ネットワーク思考の可能性とその限界

茂木健一郎
「ネットワーク思考の可能性とその限界」

理戦 80号 特集: ヒトの進化論

http://www.jissensha.co.jp/risen/risen.htm

一部引用

 どんなネットワークも、その起源においては無根拠に決まっている。それでも、ネットワークは、一度つくられてしまえば強固なものとなる。その「外」は確かにあるが、「外」を問うことは、強靱な無根拠性の前に多くの場合無益に終わる。ネットワークに対する批判が、ネットワークを強化してしまうのである。
 自然言語の恣意性については多くの人が自覚的だろう。自分の母国語以外にそれこそ無数の言語が世界には実際に存在するからである。危険なのは、一見その外がないかに見える、しかしその起源において無根拠なネットワークが世界を覆う時である。そのような時、多くの人がそのネットワークに無自覚かつお気楽に依存してしまう。(中略)それは、過去何回も繰り返されてきたことであり、これからも何回も繰り返されるであろう、ネットワーク思考に内在する暴力性である(中略)。
 既存のネットワークを前提に議論することは、一種の無限運動である。物理主義の枠内でも、ネオ・ダーウィニズムの枠内でも、思索の無限運動を続けることはできる。多くの人はそれで満足するのだろう。(中略)ネットワークの中で無限運動を続けることで足りると考える人間は、そうしていれば良い。世界はいろいろな志向性を持つ人間を許容するくらい広いはずである。

4月 9, 2005 at 09:54 午前 |

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