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2005/04/19

金剛石のような知性

地球シミュレータセンターの佐藤哲也所長が
いらして、いろいろ議論させていただいた。
 
大変楽しかった。プラズマ物理のご専門
で、質問やコメントが大変鋭い。

やはり本物の知性というものはいいもの
である。

夜は、電通の石山さんのアレンジで
一橋大学の阿久津聡先生と議論。
ポスト・ブランドについていろいろ
模索する。

私には、ある時期、反知性主義の傾向が
あった。
今は回帰して、金剛石的なゆるがない
知性へと向かいたいと思っているが、
一時期はそうではなかった。

もっとも、反知性主義といってもいろいろ
ある。
イギリスの労働者たちの反知性主義とも
違うし、
民放のバラエティのそれとももちろん違う。
私の場合、強いて言えば、ワグナーの
オペラの主人公たちのような反知性主義
だった。
 このあたり、話せば長くなる。

 今は、知性でいい、と思っている。
ただ、知性にはパラドックスがある、
という感じは依然としてある。

何年か前に、朝日新聞の日曜版が「ホタルの木」
を特集した。
インドネシアなどのジャングルに、ホタルが
何十万匹と集まる木がある。
そのことを書いた記事が出た翌週か翌々週の
誌面に、
元日本軍の兵士からの手紙が掲載された。

戦争中、自分たちの見た光る木が何だったのか、
数十年不思議に思っていたが、
記事でようやく判ったというのである。

私はこの一連の流れを掛け値なしに美しい
話だと思い、
映画にすればいいんじゃないかと
思ったのだが、
このエピソードには知性のパラドックスが顕れている
ようにも感じた。

ホタルの木だと判ってしまう前に、
あの光る木は何だったのだろうと不可思議に
思っていた、
その心もまた大切だと思うからである。

月が岩の塊だと判ってしまって見上げるのと、
何も判らずにただ見上げているのと、
そのどちらが良いかと言えば、実は判らない
のだと思う。
荘子の混沌の話ではないが、
結局、知性が進むにつれてトレードオフが
起きて、
トータルのエラン・ヴィタールは何も変わらないの
かもしれないと思う。

知性を金剛石のごとく磨くと同時に、
それで判ってしまったと思わないで、
何も判らない、という不思議な感覚を
持ち続けること。
これを忘れてしまうと、単なるこざかしさに
なってしまう。

虚数のiをめぐるオペレーションが判ったり、
ガウス平面での表記が判ったからと言って、
虚数の不思議さがなくなってしまうわけではない。
月を、それがニュートンの法則で運動する
岩であると片づけてしまうのではなく、
何も知らない幼子のような心で見上げるがごとく、
虚数iや、自分の心臓の鼓動や、水の冷たさに、
原初的な不可思議さを感じていたい。

そのようなことができると判って、初めて
私は金剛石のような知性を目指している自分を
受け入れることができたのだった。

4月 19, 2005 at 06:34 午前 |

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コメント

私は、脳は、不可思議であり続けて欲しいと思います。これからもずっと。

もし全てが解明されてしまったら、自分の中の繊細な感性や、正しいと信じて止まないことや、自分が今頑張って取り組んでいることなど全ての心理過程に、合理的な説明がつけられてしまいます。

もし世の中がそうなった時、人類は皆、自分達が何のために生きているのか、分からなくなってしまうのではないかと思うのです。

人類は皆、ドーパミンやセロトニンやエンドルフィンの脳内分泌に動機づけられたロボットなのでしょうか?もしそうだったら、全ての価値は、それらの分泌量に置き換えて論じれば済んでしまう。こんな空しい事があるでしょうか?

全ての行動や思考過程が、全て脳の神経伝達の過程に還元されるだろうことは分かります。

でも、それが複雑で解明出来ないからこそ、今の人類が、自分はロボットではないと信じていられるんではないでしょうか。

僕は今、知性が怖く感じます。

茂木さんのクオリア理論が、この恐怖を乗り越えるきっかけになってくれることを、常々祈っています。

投稿: | 2005/04/19 13:24:31

私は、脳は、不可思議であり続けて欲しいと思います。これからもずっと。

もし全てが解明されてしまったら、自分の中の繊細な感性や、正しいと信じて止まないことや、自分が今頑張って取り組んでいることなど全ての心理過程に、合理的な説明がつけられてしまいます。

もし世の中がそうなった時、人類は皆、自分達が何のために生きているのか、分からなくなってしまうのではないかと思うのです。

人類は皆、ドーパミンやセロトニンやエンドルフィンの脳内分泌に動機づけられたロボットなのでしょうか?もしそうだったら、全ての価値は、それらの分泌量に置き換えて論じれば済んでしまう。こんな空しい事があるでしょうか?

全ての行動や思考過程が、全て脳の神経伝達の過程に還元されるだろうことは分かります。

でも、それが複雑で解明出来ないからこそ、今の人類が、自分はロボットではないと信じていられるんではないでしょうか。

僕は今、知性が怖く感じます。

茂木さんのクオリア理論が、この恐怖を乗り越えるきっかけになってくれることを、常々祈っています。

投稿: | 2005/04/19 13:24:06

知性の本質は反知性である。

投稿: | 2005/04/19 12:54:32

宇宙の果てに旗を立てたとしても
宇宙のナゾはわからないまま
偉くもないし
立派でもない
信じているのは胸のドキドキ

「答」でもない
「ホント」でもない
わかってるのは
胸のドキドキ


ハイロウズの歌詞です。
すてきです。

(ハイロウズの歌詞より)

投稿: | 2005/04/19 11:49:23

宇宙の果てに旗を立てたとしても
宇宙のナゾはわからないまま
偉くもないし
立派でもない
信じているのは胸のドキドキ

「答」でもない
「ホント」でもない
わかってるのは
胸のドキドキ


ハイロウズの歌詞です。
すてきです。

(ハイロウズの歌詞より)

投稿: | 2005/04/19 11:49:23

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