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2005/04/18

英字紙の効用

しばらく前から強まった
 英字新聞を読みたい、という願望は
精神のバランスをとるためだったのかも
しれない。
 宅配にしようと思ったが、すでに
2紙とっていて、さらにとると
郵便受けがあふれるので断念。
 時々キオスクで買うことにしている。

 世間の人は、朝日と産経では対照的
だと思っているのかもしれないし、
 読売、毎日、日経、・・・・と選択することが
一つのpolitical statement だと思っているのかも
しれないが、
 実は日本語の言論圏の中で流通している
思想はおどろくほど似通っている。
 翻訳などの装置があると言え、
やはり日本語で流通している概念や暗黙の
前提は
 ある程度閉じたスペースの中でインキュベーション
されているわけで、
 世界から見れば、
 朝日も産経も似たようなものである。。

 そこに、英字新聞を読む意味があるわけで、
いま世を騒がせている中国の反日デモの
問題でも、
 そもそも報道のスタンスが違う。
 日本語の中に埋もれていると
気づかされないことが沢山ある。

 一番好きなのはHerald Tribuneなのだが、
日曜は売っていないので、大阪でJapan Timesを
買った。
 日本のサブカルが特集されていて、
そのスタンスが、魅惑されつつも、
ちょっとコバカにしているというか、
奇妙な昆虫を見ている感じというか、
 別にJapan Timesの責任ではないけど、
やはりあまり面白くない。

 英語圏のメインストリームが日本という
国をどう見ているかなど先刻承知だが、
 日本語の中に埋もれているとそういうことも
忘れてしまう。
 くそ、ばかやろうと
そういえば今までの人生の中で何十回と思った
なあ、と思い出すだけでも効用がある。

 中国語ができれば中国語の新聞でも読みたい
とおもう。
 バベルの塔で分裂してしまった
世界の中で、
 必死になって普遍を求めるキモチが
尊いと思うことには変わりがない。

 だから、気が遠くなるほどの多様性を
超えて普遍を模索している
バチカンはなんだかんだ言っても
偉いと思う。
 「国」にこだわっていては、
普遍性を見失う。
 だから、 
 くそ、ばかやろうというキモチは
Japan Timesを読み終わって3分も経てば
霧消霧散してしまって、
 党派性を人生の基礎にしようなどとは思わない。

 ずいぶんなやつらだな、と思う
相手との交渉の中に、いかに
共有できる普遍性を見出していくか
という試みこそ尊いと思う。

4月 18, 2005 at 04:50 午前 |

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