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2005/04/10

モーツァルトと長嶋茂雄の作り方

ヨミウリ・ウィークリー
2005年4月24日号
(2005年4月11日発売)
茂木健一郎  脳の中の人生 第49回

モーツァルトと長嶋茂雄の作り方

一部引用

 モーツァルトといえば、天才の代名詞である。その一方で、モーツァルトは、多くの謎に包まれた人でもある。
 何よりも不思議なことの一つが、作品と本人の間にあるギャップである。映画『アマデウス』ではいささかオーバーに描かれていたが、あれは事実に近いらしい。なぜあんなにも美しい、完璧な作品を創る人が、こんなにも下品で、おふざけで、いい加減な男なのか。同時代の人にとっても、「作品と本人の間のギャップ」は大いなる謎だったらしく、とまどいと疑問符に満ちた証言が多く残されている。
 作品を見て、こんな人だろうと思っていたら、実は違っていた。そんな意外性に、私たちはしばしば出会う。そこには、魂の錬金術がある。赤いものから赤い作品が出てくるのならば、不思議はない。赤いものから青いものが出てくるからこそ、人は心を動かされる、大いなる宇宙の神秘を感じるのだ。
 元巨人軍監督の長島茂雄さんの人気の秘密も、あまりにも見事なプレイと、本人の言動のギャップの間にあるのだろう。なぜ、あれほど緻密かつ大胆で、天才的な野球をしていた人が、天真爛漫な発言を繰り返すのか。そのネガとポジのコントラストの見事さから、私たちは目が離せなくなってしまうのだ。
 モーツァルトと長島茂雄氏の問題を突き詰めていくと、そこには、脳という臓器の限りない神秘が立ち現れてくる。

全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

4月 10, 2005 at 06:59 午前 |

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