« 味覚は成長する | トップページ | 幸島の恵み »

2005/04/02

小さきものたちにこそ、地上は支えられ

ギャラリー小柳
東京都中央区銀座1-7-5

内藤礼 『地上はどんなところだったか』
(4月1日より開催中)
解説文(会場で配られています)

小さきものたちにこそ、地上は支えられ

茂木健一郎

 大きなものに力が宿るのは、当然のことである。小さなものに力が宿るのを目にする時、私たちはそこに現出している不可思議なパラドックスに心を動かされる。手のひらに載るような小さきものたちの表情の中に、大世界をも成り立たせているこの宇宙の原初的な秘密が顕れているという事実に不意打ちされるのだ。
 内藤礼の作品を前に佇むことは、変容していく自分の体験と向かいあうことである。小さきものの密やかな力が、やがて微かな光となり、私たちの魂を満たして行く。「あちら側」から小さきものたちが放っていると思っていた光が、実は「こちら側」から、すなわち自分自身の魂から発せられていたことに気づく。その美しい自己認識の瞬間が、内藤礼の作品のもたらす祝福である。その時私たちは、この愛に満ちた芸術家の生み出す小世界が、魂を、そして世界全体をさえ映し出す鏡であったことを知るのだ。
 私たちが今目にしている小さなものたちの力は、生命誕生の記憶そのものに結びついている。私たちの命は、最初は目に見えないほど微かな胎動としてこの世にもたらされたのであった。内藤礼が土をこね、魂を乗せる舟を形作り(「舟送り」)、白い紙に無数の穴を穿ち、風景を変容させるこの上なく繊細なスクリーンを生み出す時(「地上はどんなところだったか」)、そこに込められた祈りの内容をもちろん私たちは知らない。しかし、アトリエのドアが開き、その成果が世に向かって差し出される時、私たちは全ての命が最初は微かな気配のようなものとしてこの世に生み出されるものであったことを、確かな感謝をもって思い出すことができる。そして、いつの間にか、自分という存在が、母が幼子に向けるような無償の愛に包まれ、肯定されていることに気づくのである。
 大人になってしまった私たちは、日常の中で、大きなものたちに囲まれ、時には心をギスギスと荒立てて生きている。グローバライゼーションの奔流の中で、巨大な力にばかり目を奪われるのが現代人の生活である。しかし、この世界を成り立たせている根源的な作用とは、本来、小さく、やさしいものではなかったか。清少納言はかつて「なにもなにも、ちひさきものはみなうつくし」と書いた。それは単なる感傷ではなく、世界認識であったはずである。小さくてうつくしきものこそが、すべての生きとし生けるもののふるえであり、光であることを内藤礼は思い出させてくれる。だからこそ、その作品世界は小さくてうつくしいだけでなく、すぐれて現代的な意義を持つのである。
 10年以上取り組んできたというドローイングのシリーズ、「ナーメンロス/リヒト」に捉えられた、意識されるぎりぎりのあわいの中に見えてくる風景を前にした時、私たちは感謝をもって私たちがすむこの世界が本来どんな場所だったかを思い出す。
 地上は、実に、生命にあふれた場所であった。それは至るところにあって、私たちを包んでいる。カーテンから差す日の光のそばに、机の上のちっぽけな文具のまわりに、あの人のセーターのほつれの内に、ふと胸をよぎる予感の中に、私たちの/世界の生命はある。目を見張るほど巨大な物質や大文字で書かれた観念ばかりが飛び交う現代において、一つの奇跡のように現出した精神の日だまりがここにある。
 芸術が私たちの/世界の内側に秘められた生命の可能性への気づきをもたらしてくれるものであったとすれば、私たちは今もっとも小さく、そしてうつくしい芸術を目の前にしている。内藤礼の作品は、「地上はどんなところだったか」を私たちに改めて思い出させてくれる。小さなものたちこそが、この地上を支えているという真実をそっと耳打ちして教えてくれるのである。

4月 2, 2005 at 06:32 午前 |

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/55852/3529249

この記事へのトラックバック一覧です: 小さきものたちにこそ、地上は支えられ:

» 内藤礼"地上はどんなところだったか"@ギャラリー小柳 トラックバック Perfect Stranger
行って参りました、ギャラリー小柳。東京メトロ有楽町線銀座一丁目駅、7番出口を出てすぐ左側に小柳ビルが見えるのですが、実は裏側に入り口があるのでそこからコの字型に... [続きを読む]

受信: 2005/04/02 23:07:53

» 「地上はどんなところだったか」内藤礼 トラックバック 生活環境研究室
「地上はどんなところだったか」内藤礼 2005.04.01 - 05.14 at gallery KOYANAGI 東京都中央区銀座1-7-5 小柳ビル8F 03-3561-1896 日・月・祝休 直島での家プロジェクト「このことを」などでお馴染みの内藤礼の2年ぶりの東京での個展。 彼女がもつ「生きてい.... [続きを読む]

受信: 2005/04/15 22:59:26

» 地上はどんなところだったか 内藤礼 (ギャラリー小柳) トラックバック 徒然と(美術と本と映画好き...)
ちいさな作品をみてきた。淡い作品をみてきた。銀座でみてきた。 地上はどんなところだったか(What Kind of Place was the Earth ?)... 東京では二年ぶり個展だそうです。 内藤さんの作品はうっかりしていると見過ごしてしまいそう。紙、 糸、土、色鉛筆、アクリル...そんな素材たちから生まれるちいさく て、淡い世界がひっそりとそこに在ります。ちいさいから注意しな いと通り過ぎ... [続きを読む]

受信: 2005/04/16 23:40:06

» 地上はどんなところだったか 内藤礼(4/23) トラックバック ex-chamber
ギャラリー小柳にて。(4/1〜5/14)http://www.tokyoartbeat.com/event/2005/3DE2「地上はどんなところだったか」“地上はどんなところだったか”…ある一瞬間、生の外に出た私の内に             …... [続きを読む]

受信: 2005/04/26 22:57:40

» 内藤礼『地上はどんなところだったか』 トラックバック ine's daypack
■作品の背後のフィクショナルな主体 先日、『地上はどんなところだったか』内藤礼展(ギャラリー小柳,05年4月1日~5月 [続きを読む]

受信: 2005/05/23 15:29:40

コメント

こんにちは。昔、クオリアMLやトライブMLでお世話になった「あび」こと、長澤靖浩です。
『脳と心のカタログ』にはクンダリニーヨーガに関する論考を提出していたのですが、あの本の企画はいつのまにか立ち消えになったようで、残念です。

ところで、僕は去年の12月に、長年にわたる精神文化への思いをやっと1冊の論考にまとめることができました。
『魂の螺旋ダンス』長澤靖浩著 第三書館。
ぜひお読みください。また、HP「あびの宇宙」にも遊びに来てくださいね。

投稿 長澤靖浩 | 2005/04/02 23:50:07

はじめまして。
今日、内藤さんの個展に行ってきました。
解説を書かれた方のブログにうれしくなって、
TBさせていただきました。

投稿 lysander | 2005/04/16 23:45:48

はじめまして。
葉っぱの坑夫というウェブ出版をやっているものです。
内藤礼さんの展示に行く前に、このページを見てから行きました。最終日に行き、帰ってからレビュー「だれも所有できない、そこに自然のようにある(作品)」を書きました。よかったらお読みください。
http://happano.org/pages/reviews/review18.html
茂木健一郎さんへ:レビューのページの最後に参照として、このページへのリンクを付けさせていただきました。

投稿 大黒和恵 | 2005/05/17 11:11:57

はじめまして。
葉っぱの坑夫というウェブ出版をやっているものです。
内藤礼さんの展示に行く前に、このページを見てから行きました。最終日に行き、帰ってからレビュー「だれも所有できない、そこに自然のようにある(作品)」を書きました。よかったらお読みください。
http://happano.org/pages/reviews/review18.html
茂木健一郎さんへ:レビューのページの最後に参照として、このページへのリンクを付けさせていただきました。

投稿 大黒和恵 | 2005/05/17 11:11:57

コメントを書く





絵文字を挿入