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2005/03/06

特許局のアインシュタイン

特許局のアインシュタイン

 同志社大学から、2005年の入試で
藤原書店 『環』 vol.14
所収の
『読むという純粋体験』 ー普遍と個別の汽水域ー

http://www.qualia-manifesto.com/fuhenkobetsu.html

が使われたということで、問題が送られて
きた。
150点満点中90点の配点で、

文学を読むという行為について、私は、しばらく前から、ある一つのことが気になっていた。すなわち、なぜ、自筆原稿を読むよりも、活字となったものを読む方が、文学的体験として純粋なものが立ち上がるように思われるのかという問題である。
 きっかけになったのは、夏目漱石の自筆原稿を見たことだった。以前に奈良の国立博物館に行った時に、龍門文庫と呼ばれる古典籍、自筆本のコレクションの展覧会をやっていた。その中に、漱石の「それから」の自筆原稿の展示があったのである。

から始まり、

活字は、私たちの脳の中で言葉が個々のエピソード性から独立した普遍性を獲得して収納されている、その記憶の形式に近しい形態なのである。

まで、かなりの長文が引用されている。
 例によって解いて見たが、例によって難しい。
 書いた本人にとっても入試問題が難しい、というのは
しばしば聞かれるジョークだが、
 なぜそうなのか、ということは恐らく「メタ認知」
に関わる。
 つまり、国語の問題は、書いた本人もしばしば
意識化していないような暗黙の前提を問うている
のである。

 科学や芸術、文学といった分野で創造にかかわる
人間は、メタ認知に重大な関心を抱かざるを得ない。
 メタ認知と創造性は深く結びついているからだ。
 早い話が、ニュートンがそうである。
 リンゴは落ちる、月は落ちない。この、
一見当たり前に見える事態の背後に暗黙のうちに
前提にされていることを問うたとき、はじめて
力学が立ち上がった。

 アインシュタインの相対性理論も、
「同時」という当たり前に思われることの
メタ認知に関わることだった。

 科学の発見の二大源泉は、実にメタ認知と
セレンディピティ(偶然幸運に出会うこと)だと
言うことができるのである。
 
 自分の書いた文章が入試に出て、
それを解くというのも自己言及的メタ認知を
鍛えるのに役に立つかもしれない。
 自分が書いている時に必ずしも気づいていない
前提に気づかされるからである。

 他人に自分の考えを聞いてもらう、
talk throughと呼ばれる行為もメタ認知を
鍛えるのに役に立つ。
 人に論理的に自分の立場を説明しようと
すれば、
 どうしても前提にさかのぼっていかなければ
ならないからである。

 talk throughの大切さは、英語圏では広く認識
されている。
 たとえば、ダーハム大学の


「研究を通してPh.Dを獲得する方法」
という文章には、

Many PhD candidates go through periods of depression, isolation, and mind blocks (as well as periods of elation when things are going really well).ハ At these times, it is important to talk through your problem with your supervisor, other postgrads etc.

とある。大学院生で、上の文章を読んで、「ああ、
私に(彼に/彼女に)当てはまる!」と思わない
人はいないだろう。

 もちろん、talk throughは、それを
聞く側をも鍛える。
 アインシュタインは、特許局で「街の発明家」
の話しを辛抱強く聞いて、それを論理的に
整合性のある特許の書類にする訓練が
大変役に立ったと回想しているが、
 特許局のアインシュタインにとって、特許の
書類を審査し、整理することはまさに
メタ認知のトレーニングになったのだろう。

3月 6, 2005 at 07:14 午前 |

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コメント

Yuriさん
ごめん、そうでしたか。
昨日の日経の文化欄に、たまたま
「新作の早口言葉を考案する」
ことについての
貴志祐介さんのエッセイが載って
いたもので。失礼いたしました。

投稿: 茂木健一郎 | 2005/03/07 6:18:33

mogiさんに(笑)つきコメントいただき至極光栄です。
残念ながら貧乏家庭のウチは東京新聞しかとっていません。
何となくとりはじめましたが、わりときちんとした新聞で気に入っています。何と言っても日曜版の大図解シリーズがすばらしいので皆さんにすすめたいです。

投稿: Yuri | 2005/03/06 21:25:08

わははははは。
それはおめでとうございます。お祝いしましょう。
弟子というからには、弟子採用時、試験審査をしましょう。で、その時段位を付与すれば解決。
お試し下さい。

投稿: nomad | 2005/03/06 18:48:18

nomadさま

教科書、筑摩の来年の高校の現代国語に
採用されるようです。

たしか「脳と仮想」だったように思います。

4月から、早稲田の国際教養学部で
週一回英語で認知神経科学の授業をするのですが、
何かでできない時に、弟子の誰かに
代講させられないかと画策しているのですが、
どうもみな尻込みして困ります。

投稿: 茂木健一郎 | 2005/03/06 18:42:32

角谷さんの家、ひょっとしたら日経新聞とっていませんか?(笑)

投稿: 茂木健一郎 | 2005/03/06 18:40:21

アインシュタイン=一石さんってことでしたか。(ホント?)
入試問題に出たってことはいよいよ次は教科書に!
教科書に載ったら偉人の仲間入りってことでお祝いしましょう。
そして皆してその教科書にそって問題を解きます。
で、その出来具合に応じて「モギ道 何段」(クス)って段位をつけます。免許皆伝に応じてクオリアについて語ってヨシと。
ほんで、うっかり茂木氏よりも高得点を取った場合、「みなし茂木」として茂木氏のかわりに講演活動することに。

投稿: nomad | 2005/03/06 18:36:55

特許局アインシュタイン、特許局ツヴァイシュタイン、特許局ドライシュタイン 早口言葉。

投稿: Yuri | 2005/03/06 17:36:37

別に神様でなくても、
普通の人が、情報の整理能力を鍛え、ガラパゴス諸島に行けば、
ダーウィンじゃ無くたって、進化論に行き着くという事でしょうね。
別に、誰でもよかったわけだ。
ガラパゴス諸島は、日本のような複雑な広葉樹ではなく、
ヨーロッパの三角形の形をした針葉樹だったというわけだ。
別に、神がかりなお告げはなかった。
全て、それまでの情報の積み重ねで誰でもよかったわけだ。
しかし、それには、メリットもあり、デメリットもある。
ある程度、大衆に押して受けるには、神がかったほうが、効率がいい。
いちいち、理解できるまで全部説明していたら、埒が明かない。
というか、不可能だ。
だが、それは嘘になる。

結局は、救われないのか。

好き勝手なことを書きすぎかな?

投稿: バターロール | 2005/03/06 13:29:59

私達の世界が、いつも食べる禁断の果実が、
白いりんごで、表面がぼこぼこになっていて、模様が見ようによっては、ウサギに見え、
夜空に輝く月が、赤く、形が真球でなく、
極から、ガスが噴出して、茎が出ているように見えたら、
人は、それをどう思うのか?
何も思わないだろう。

今、りんごをその様に改良して、月もそう見えるように、光学装置を月にに設置したら、新しく生まれてきた子供は、
どうして、月とりんごが逆さまなの?
とは、聞かないだろう。

そういうものとして、捕らえるしかないでしょう。

脳には、常識は無いんですよ。
現状では、DNAに記憶は一切受け継がれません。
それが、メリットでもあり、デメリットでもあった。
今までのしがらみから、抜け出した。
だから、人は、善悪両極の行いができる。
というか、今までのDNA遺伝による行動を乗り越えられる。
脳の割合が引くければ、低いほど、自由度はない。
今までの常識に捕らわれる。

しかし、これがDNA遺伝に依存する部分ならば、違ってくる。
手と足が逆ならば、その子供は親に問うであろう。
この違いは、行き着けば距離の違いだけですが。

人が、生善説、生悪説を熱心に論議した時代があったが、
そう、行き着くところは、生まれた時に決まっていると考える所だ。
そんなものは、1滴の雨がエベレストの頂上のチベット側に落ちるか、ネパール側に落ちるかの違いだ。
そんなことは、問題ではなく、
情報遺伝により、どちらにも、自由に設定されるという事実が重要だ。

これも、人が、過去や未来を知らない恐怖心から、不変な安らぎを求めた結果であろう。

私が、言いたかったのは、赤を見ていて、多少その色は人を興奮させる。
それは、熟した果物や血の色、血が流れるとは、心拍数を上げて、緊急に対処、および、重要な生命維持のための給エネルギー作業に結びついている。
そういう部分を少しでも感じれないでしょうかと、伝えているわけです。

いや、絶対に感じ取れるはずです。
私と、違わないはずです。
目に見える世界を疑って見てください。
それは、脳を疑うことですが。

ちょっと、強引でしたが、その価値があると思ったんです。ちょっと堀衛門っぽいですが・・・

投稿: バターロール | 2005/03/06 12:57:36

メタ認知~まさにギャグ発想の瞬間を思わせます。文春の「ギャグゲリラ」(赤塚連載)で、
<王貞治の世界ホームラン記録>というテーマを
振られたとき、悩みに悩み、あきらめて担当者を
連れて寿司屋へ出掛け、酒を飲みだした瞬間!
「あ!俳句にすれば…」と、思いついた。
なんのことはない、ただ575俳句を756俳句
にして、王の偉業を詠むという実にアホな案なんですが。(笑)

ナンセンス・ギャグの発想は、常にこの繰り返し。リンゴと月の関係が、どう笑えるのかを
(それも、子供に分ってもらえるレベルで)
考えることです。

投稿: 長谷邦夫 | 2005/03/06 9:27:15

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