堀江社長にとって「世界は誰のものか」
ヨミウリ・ウィークリー
2005年3月 20日号
(2005年3月7日発売)
茂木健一郎 脳の中の人生 第44回
堀江社長にとって「世界は誰のものか」
一部引用
オックスフォード大学を出た人間は、世界が自分のものだと考える。ケンブリッジ大学を出た人間は、世界が誰のものでもかまわないと考える。
最初に聞いた時、うまいことを言うものだと思った。確かに、知り合いのケンブリッジの研究者には、「世界が誰のものでもかまわない」というような、ぼんやりとした人が多い。自分の利益のために賢く立ち回る、ということには興味がない。オレがオレが、と出ていくことには関心がない。そうしたいやつには、勝手にやらせておけば良い。自分は好きな研究が出来て、宇宙の真理が解明できればそれで良い。そんな、世俗的には無欲な人たちが、科学を支えてきたのである。
歴史は面白い展開をするもので、最近の企業経営は、科学の知識なしではなりたたなくなった。たった一つの発明が、何百億円もの利益につながる。複雑な数式を用いて計算をしなければ金融関係の投資も成り立たない。「世界をおれのものにしたい!」と思っても、「世界が誰のものでもかまわない」と浮世離れした思索を重ねてきた科学者たちの成果を使わなければ、欲望が実現しなくなった。
3月 5, 2005 at 04:39 午後 | Permalink
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コメント
庵野も、科学者は・・・
というようなことを言っていたが・・・
それは、科学者の生存価値のアピールですか?
それもしょうがない。
互いに片棒を担いでいるんだからな。
犬も食わないようなくだらない問題だな。
サインとノイズ、優生と劣勢、男と女、
バランスシートの貸し方と借り方
利益をだせばいいのか?
これが、世の中なのよ・・・
投稿: バターロール | 2005/03/06 13:39:26