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2005/03/04

タベルノフ・カニスキーの不在について

ランチタイムに、インディペンデント・キュレーター
渡辺真也さん
が来て、いろいろ議論する。
 渡辺さんは
「もう一つの万博展」を企画して
いろいろ精力的に動き回っている。

 国民国家というのは難物だから、必ずしも
渡辺さんの言うようには行かないと思うけど、
一つの運動としては理解できる。

 渡辺さんは
 ニューヨークに普段住んでいるから、日本を
外の視点から見ている。
 そうなんです、日本の知識人は堕落しているのかも
しれません。
 まあ、なるようにしかならないでしょ。

 午後はずっと仕事、ひたすら仕事。
 5時30分になって、はっと気が付き、
品川駅に向かいながら、次第に
 タベルノフ・カニスキーに変身して行く。

 電通の佐々木厚さんから、「カニを
沢山食べる会」というものに誘われて
いたのである。
 福井放送主催のパーティー。とにかくひたすら
越前ガニを食べた。

 カニというのは、食べれば食べるほど
はまってもっと食べたくなるものだと
初めて知った。
 4皿くらい食べて、もういいやと
ぼんやりしていると、割烹着の女の人が、
「カニいかがですか」と言うので、
思わず「あっ、おねがいします」と答えて
しまう。

 タベルノフ・カニスキーは、結局、8皿
食べてしまった。
 カニだけをひたすら食べ続けるという
経験は初めてだった。
 佐々木さん、ありがとう。

 ぼーっと座って眺めていると、大きなテーブルで
四人の板前さんが次から次へとカニをさばいて行く。
 新橋第一ホテルのパーティー会場の片隅に
カニをひたすら解体する人たちがいて、
もう一方にそれをひたすら
消費する男たちの群れがある。

 うーん、やんぬるかな。
 この世は不思議な場所である。とても特定の
イデオロギーで割り切れるもんじゃない。

 筑摩書房の増田健史からメールあり。
保坂和志
と飲んでいたのだと言う。
 他人が、ひそかに楽しいことをしていた、
と聞くとなんだかとても悔しい。
 保坂和志と飲みながらどんなに楽しい話を
していたのだろう、と思うと、
 悔しくて仕方がない。

 自分はタベルノフ・カニスキーだったくせに、
タベルノフ・カニスキーの不在こそが、
 この世の最大の問題であるように思えてくる。

 思えば、タベルノフ・カニスキー自体が、
昨日までこの世界に存在しなかったのである。
 かくも長き、タベルノフ・カニスキーの不在では
あった。

3月 4, 2005 at 07:09 午前 |

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