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2005/03/31

分別の至り:賢いバカ

久しぶりに、芸大の植田工と会って喋った。
 あいかわらず「若気の至り」分子の
充満した雰囲気だった。

 それで、植田と喋っていたら、
何だか自分が分別がついた大人のような気分になって
来たので、 
 クソ、と思い、
 分別を外したくなった。

 バカをやる、ということも一つの芸術
である。
 若気の至りのバカと、分別がついた
あとのバカは違う。
 バカをやるにも、智慧がいる。
 分別がついた後で、若気の至りを
やっても仕方がない。
 つまりは、それまでの自分の分別の流れから
逸脱するようなバカをこそやるべきであって、
 単なるくり返しではダメなのだ。

 たまには、一世一代のバカをやる、
ということを企んでもいい。
 むしろ、どんなバカをやってやろう、
と普段からいろいろ思いを巡らせるべきだ。

 ニュートンが、リンゴが落ちるのを見て、
「月も同じじゃん!」と思ったのは、
 あれは畢竟賢いバカだとしか言いようが
ないことじゃないか。
 アインシュタインが「光を光のスピードで
追いかけたらどうなるんだ」と10年しつこく
考えたのも、超ウルトラスーパーデラックスバカで
ある。
 だとしたら、つまりこの世は賢いバカが
変えてきたということになるんじゃないか。

 分別と創造性は、おそらく縁もゆかりも
ない他人の関係である。
 分別がついちゃあ、おしまいだ。
 世の諸君、実に気をつけようじゃないか。
 
 朝日カルチャーセンターは、関根崇泰に
「助手」をやってもらって、
ある「実験」をして、
そのデータをその場でエクセルで解析させた。
 興味深い結果が出て、これは十分
飯のネタになりそうだ。

 バカから出た飯のネタ、こいつは春から
縁起が良い。
 関根くん、フォローアップの実験、解析、
サーベイをお願いします。

 しかし、分別がついたやつが、それにとらわれずに
バカをやるというのは、
 つまりは「若気の至り」、ならぬ
「分別の至り」、のようなものじゃないか。
 
 エネルギーが充満した分別は、必ず
バカに至る。
 これは一般原則、世の習いではないのか。

 みなさん、賢いバカになりましょう。
 バカへのエネルギーが充満した分別をこそ
身につけようではないですか。

3月 31, 2005 at 07:31 午前 |

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コメント

バカと天才は紙一重とはよく言ったものですよね。
とある凡人から見てバカに見える人は、また別の凡人から見れば天才に見えたりするケースもあるでしょうしね。
ただ愚かなバカにはなりたくないもんです…。

投稿: | 2005/03/31 11:00:32

分別の意味がわからないバカでございます。

ニュートンですが、リンゴが落ちるのは何人見たかわかりません。しかし、
その中でとびきりのバカだったと言うことだと思います。

賢いバカに至れるよう精進したいものです。

超超ウルトラスーパーデラックスバカでありたい。

熱くなれる日記でしたありがとうございました。

投稿: tatar | 2005/03/31 8:22:11

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