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2005/03/03

文学と科学の間に

文學界 2005年4月号(2005年3月7日発売)

茂木健一郎 「脳のなかの文学」第13回
文学と科学の間に

一部引用

 夏目鏡子述、松岡譲筆録の『漱石の思い出』は、
漱石の生涯に関する一級の資料である。この中に、
長女の筆子が火鉢のふちの上に何気なく置いた五厘
銭に、漱石が英国以来の追跡妄想を爆発させる場面
がある。ロンドンにいた時に街で乞食にやったのと
同じような銅貨が、これ見よがしに火鉢のふちにの
っけてある。いかにも人を莫迦にしたけしからん子
供だと思って、一本参ったのだという。鏡子は妙な
ことをいう人だなと思う。
 このような不条理にも見える漱石の狂気に、通常
の文芸評論の方法で迫ることも可能である。しかし、
私には、『漱石の思い出』に挿入されている、漱石
死後の解剖に携わった、長与又郎博士の「夏目漱石
氏剖検」(標本供覧)の筆記が面白かった。

 次ニ一ツ付ケ加エテオ話シスル必要ガアルト思ウ
ノハ、夏目サンハ天才肌ノ人ニ往々見ルトコロノ種
々ノ性質ヲ持ッテオラレタヨウデアルガ、コトニ近
来ニナッテカラ追跡狂ノヨウナ症状ガアッタ、スナ
ワチ誰カ自分ノコトヲ悪く言ッテオリハシナイカト
イウヨウナコトガダイブアッテ、ソノタメニゴ家族
ノ方ガ往々オ困リニナッタコトガアルトイウコトヲ
伺ッテイルノデアリマス、コノコトニツイテ多少心
当タリガアリマスカラ申シ上ゲタイノデアリマスガ、
御承知ノトオリ糖尿病ニハシバシバ種々ノ原因カラ
神経衰弱ガ起コルトイウコトハ多クノ人ガ実験シテ
イル、マタ糖尿病ノ時ニ稀デハアリマセンケレドモ
種々ノ精神症状ヲ起コスコトガアルトイウコトヲ、
ズット前ニフランスノ学者ガ注意シテ書イテイルヨ
ウデアリマス、カノ有名ナルノオールデンノ
Die Zucker krankheitトイウ本ヲ見マスト、(中略)
一般症状ノホカニ、特有ナ精神病ノ症状起コシテ
来ルコトガアルトイウコトガ書イテアル、(中略)
ソノ中ニ追跡狂モマタ糖尿病ノ時ニ起コルトイウコ
トガアル、(中略)夏目サンモソレニ当タルヨウナ
コトデハナカロウカト考エマス、コレハ単ノ想像デ
アリマシテ学術上の根拠ハナイ。

 この文章を読んだ時、私は、「ああ、ここに文学
があった」と思った。

http://www.bunshun.co.jp/mag/bungakukai/index.htm

3月 3, 2005 at 07:26 午前 |

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