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2005/03/03

職人

先日のエンジン01の会の4人の討論会の
後の「反省会」で、島田雅彦がビールを飲みながら、
「いやあ、ぼくは職人ですから」と言って
いた。
 実は内心深く共感したのだが、
 ただ単に私と島田さんがやっている
ことが似ているというだけのことだろう。

 文章を書くにしても、論文を書くにしても、
漠たる構想を最終的なプロダクトにもって
いく過程では、歯車を組み立て、分解し、また
組み立て、全体の整合性を高め、少し離れて
様子を見て、また近づいて細部を見て、
時にはえいやと構造を作り直して
完成度を高めていく静かなプロセスが
必要になる。
 それはつまり職人としか言いようがない
プロセスであって、
 その意味で島田さんが職人と言った
その趣旨はよくわかる。

 Steve Jobsは、Real Artists Ship!
(本当のアーティストは、出荷するものだ!)
という名言を残しているが、
 出荷した「ブツ」は、自分を離れて
独立した実体として流通していく。
 アーティストは言い訳をしてはいけない。
 補足説明とか、「本当はこういう気持だった」
などと言葉を補おうとしてはいけない。
 なぜならば、流通する「ブツ」が全て
だからだ。
 
 「職人」とともに、最近共感している
メタファーは、やや古典的だが、「勉強」
である。
 この日記は身辺雑記ではない。なぜなら、
一日のうちで何が起こり、何をしたかを
綴るのが本意ではないからだ。
 だいたい、どんな仕事をして大変だったとか、
そんなこといちいち書くのは面倒くさいし、
読む方もつまらんだろう。
 つまり、この日記で余裕こいている
ように見えるのは、一日のうち
この日記を書いている時が唯一の休息の
ようなものだからで、
あとの時間は必死こいているので、
そこのところよろしくお願いします。 

 最近の仕事量や、人と会う量は
異常で、起きている時は常に全力疾走
しているような感覚だけど、
 その中で「勉強」することに至上の
歓びを感じている。
 専門はもちろん、まあとにかく
 ありとあらゆるものを読み、聞き、見て、
考えている。

 どうやら人生のそういう時期に来たらしい。
 なんだか青年期が再び訪れたような
感じでもある。

 だから、しらふでいることも、最近は
好きになった。
 コーヒーとチョコレートが朋である。
 猛勉強する職人でいさえすれば、
世界が誰のものでもかまわない。

3月 3, 2005 at 07:17 午前 |

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