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2005/02/03

他者としてのフランス現代思想

例によって、仕事がいそがしいほどストレス
がたまって本を乱読してしまう、という法則に
より、仕事の合間に
先日筑摩書房の伊藤笑子さんからいただいた
ちくまプリマー新書5冊のうち、
内田樹さんの「先生はえらい」と、
吉村昭さんの「事物はじまりの物語」を読む。

 プリマー新書は、中高生でも読める、という
やさしい文体と、原稿用紙150枚程度という
短さが特徴で、
 まさにone sittingで読める。
 忙しい仕事の合間に、ちょっと休憩、
という感じで読むにはぴったりである!

 内田樹さんは周知の通り、フランス現代思想や
武道など、たくさんの引き出しをもたれている
大学の先生である。
 内田さんの「先生はえらい」も様々な
刺激的論点が入っていて面白い。
 漱石の小説における「謎の先生」の位置づけ
(三四郎の「偉大なる暗闇」、「こころ」
の「先生」など)、ラカンの「未来完了形」
問題、「太公望秘伝の兵法の極意」の話など、
思わず立ち止まり、考え込んでしまうような
ことが満載である。
 凡百の教育論とは一線を画した、
「先生が生徒に教える」という世間の思いこみの
後ろにぽっかりと開いた世界の深みを直接
のぞきこんでいるような気分にさせられる本である。

 読んでいるうちに、
内田さんの書かれていることと直接関係する
わけではないけれど、他者としてのフランス思想
ということを再び考えてしまった。

 私は外国語は英語は苦労しないくらい出来て、
ドイツ語はある程度できる。
 しかし、フランス語はマジメにやったことが
ない。
 フランス語で書かれた哲学書を読んでいる人たち
には、
 どうも私にとって異質な何かを漂わせている
感じがある。

 私の依拠している場所を普通の言葉で言えば、
アングロサクソン的というか、きちっと構造化
された経験主義、とでも言うのだろうか。
 一方、フランス現代思想には、よく言えば
底が抜けた、ふにゃふにゃの思想世界に沈潜
していく勇気があるが、
 悪く言えばあまりプラクティカルではない。

 no nonsenseの実際主義こそ、
イギリス経験論を特徴づけるのだと思う。
 イギリスのコメディの中では、しばしば、ジャック・
デリダをはじめとするフランスの思想家が
茶化されるが、その揶揄の文脈は、大抵、
「ごちゃごちゃ言っているけれどプラクティカルでは
ない」というものだ。

 私自身はといえば、おそらくプラクティカル
と底抜けの間で分裂していて、
 きっとドーバー海峡の真ん中あたりに
沈んでいるのだと思う。
 だから、本当は、バランスをとるためにも、
フランス語の哲学書をもっと読まなくては
ならないのだけども、いかんせん時間がない。

 内田さんの「先生はえらい」も、学ぶという
ことについて、底が抜けたきわめて面白い
論点を提出していて、この上なく刺激的
である。
 しかし、プラクティカルかというと、
それはよく判らない。
 「いい先生、悪い先生」は客観的に
最初から決まるのではない、と内田
さんは書き、底が抜けた
根源的な思想としてはごもっともなのであるが、
プラクティカルな問題に直面している
学校経営者としては、やはり、
できるだけ「良い先生」を揃えようと
思うだろう。 
 もっとも、内田さんも、大学で実務的な
仕事をしている時にはプラクティカル
にやってらっしゃるということは
ブログ
見ていると判る。

 それに、私の心に残る「先生」たちは、
みな、確かにプラクティカルな領域を逸脱
した、無明の境地の中で、なにやら不可思議な
雰囲気を漂わせているからこそ「先生」
たちなのである。
 そこには指導要領もスキルの伝達も
何もない。
 
 プラクティカルと底抜けのどちらかを
選ぶ、というのではなく、両方引き受ける。
 プラクティカルと、底が抜けた思想の
結婚からこそ、何か面白い子供が生まれるのでは
ないかということが、
私のつらつら思うことである。

 イギリスとフランスはお互いに相手を
「A nation of shop keepers」
(ナポレオンがイギリス人を揶揄して言った言葉)
「frog」
(イギリス人がフランス人を揶揄して言う言葉)
と茶化しつつ、実は愛し合っている。
 かつて、ルアーブルの私の友人は、
「イギリスに行くと、イングリッシュ・
ブレックファーストを食べるのが楽しみなんだ!」
と告白したし、
 イギリス人はパリがもっともロマンティックな
都市だと思っている。

 この複雑怪奇な現代世界では、
複眼的な思想が必要だ。
 no nonsenseで世界を平面的にしか見れない
人に対しては、「君、少しフランス思想を服用
したまえ」と言いたいし、
 フランス思想にかぶれてぐちゃぐちゃな
人には、「君、もう少しプラクティカルになりたまえ」
と言いたい。
 
 いっしょにドーバー海峡の真ん中あたりに
沈みましょう。

2月 3, 2005 at 07:16 午前 |

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コメント

なるほど、〈プラクティカル〉と〈底抜け〉の結婚か。
…教育現場では、日に日に、有能>役立たず、きっちり>ふにゃふにゃ傾向が強まって、離婚の危機ですね。

投稿: | 2005/02/04 9:21:31

何か、「シャーロック・ホームズ対アルセーヌ・ルパン」みたいですね。
茂木さんは名探偵ホームズで内田さんは怪盗ルパンですか(笑)。
しかし、ドーバー海峡の真ん中辺りで、
ホームズとルパンがいっしょに沈むなんて、
茂木さんの想像力には脱帽です。

投稿: 葉っぱ64 | 2005/02/03 17:31:40

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