臨床脳科学
「ヨミウリ・ウィークリー」の連載「脳の中の人生」
がそろそろ一年になるというので、
編集長の川人献一さん、デスクの臼井理浩さん、
それに、いつも原稿のやりとりや校正などで直接
御世話になっている二居隆司さんが「懇談」
に誘ってくださった。
汐留シティセンタービル42階の「えん」
の窓からは、向かいに、電通本社ビルがおおきく
見えた。
「脳の中の人生」を書くことは、とても勉強に
なっている。最初は、最近の脳科学の研究から
面白い話題をわかりやすく紹介する、ということを
中心にやってきたが、そのうち、「臨床脳科学」
と仮に私が名付けているアプローチが
中心となってきた。
一般向けの講演などをすると、質疑応答
の時間になって、
それまでの講演内容と直接関係のない
質問が出ることがしばしばある。
そのような時、ああそうか、世間では、こんな
問題にリアルな関心があるのだな、と気づく。
「リアルな関心」の在処は、脳科学内部の
研究の方向性とは必ずしも一致しない。
ならば、話を逆にして、ヨミウリ・ウィークリーの
連載では、まずは世間のリアルな関心から
出発して、それと脳科学の間を補助線で
結ぶことを試みてみよう。
そう思っての、「臨床脳科学」である。
そんな方向転換ができたのも、
ヨミウリ・ウィークリー編集部からゲラが
帰ってきた時、私が仮につけたタイトルと
違うことが多かったからである。
週刊誌にとって、タイトルは命である。
なるほど、週刊誌というのは、こんな
タイトルの付け方をするのか、と思った。
それで、気づかされた。
齋藤孝さんの「コメント力」にも通じるが、
他者とのやりとりで学ぶことは多い。
その、タイトルを毎回付けて下さって
いたのが、デスクの臼井さんだと知った。
二居さんは私と同じ年齢で、いろいろ
な世代体験を共有している。
川人さんは中国哲学をやった元文学青年である。
川人さんは、時折文学界の「脳のなかの文学」
も読んでくださっていると言う。
人生と文学が交錯して、
昨今の政治情勢からプロ野球まで、
大変楽しい懇談会だった。
目覚ましなしで起きるようになったのは
いつからだろう。
スペインのホテルの部屋から広場を
見ていたら、闘牛が始まって、
人々が逃げ出した。
広場に直接材料をまいてパエリヤをつくっているので、
汚いなあと思ったら、ちゃんと消毒してあると
いう。
そういえば、広場の石畳の色が、なんとなく
白い。
鈴木健が、大変良いこと(「戦慄系」)
を書いているのを見つけた。
3日前の「年に一回のちゃぶ台ひっくりかえし」
で言いたかったことと大いに関係するので、
紹介したい。
「世の中には、戦慄したことがある人としたことがない人がいて、したこ
とがない人と戦慄について共感してもらうのは難しい。だから、戦慄系
を説明しても意味はない。分かるやつは分かる。分からないやつは分か
らない。ただそれだけだ。」
集合論は、無限集合論まで行って初めて
意義が判る。「対角線論法」を中学や高校で
教えるべきだというのが私の持論である。
2月 22, 2005 at 06:55 午前 | Permalink
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コメント
ykenko1さん、全くその通りですね。
私はもはや研究者ではないし、脳科学も専門ではないので、単なる願望になってしまいますが、この辺りの研究が早く進んで欲しいと思います。
それが「心」の理解にも近付くことになるのだと思います。
投稿: あすかい なさ | 2005/02/23 18:24:53
横レスで済みません。認知心理学と脳科学は今はかなり結びついていますが、臨床心理学と脳科学はなかなか遠いですね。ADHDやLDなど、子供の心理的問題などは脳科学というか医学と密接に関係しますけど。
これからの分野ですね。
投稿: ykenko1 | 2005/02/23 17:19:39
臨床脳科学、言葉を聞いたときはピンと来たのですが、私の想像していた内容とは全く異なっていました。
私が考えていたのは、臨床心理学と脳科学を結び付けたものです。
私はカウンセリングの勉強もしていますが、まず最初に驚いたのはカウンセリングの理論が科学的理論には程遠いことでした。
確かにカウンセリングで人を癒すことと、脳科学の間にはかなりの距離がありそうですが、単純にカウンセリング中にfMRIとかで測定するとかではなく、脳科学の知見を臨床心理学にフィードバックすることができないものかと思います。
投稿: あすかい なさ | 2005/02/23 15:24:48
臨床脳科学という発想、とても面白いです。
投稿: ykenko1 | 2005/02/23 9:04:16