記憶オーディション
夕刻、福井茂人さん、Slow Handの佐藤
理恵子さんと打ち合わせ。
福井さんがコミュニケーションの話を
して、私が記憶の話をしているうちに、
「記憶オーディション」というメタファーに
たどり着いた。
一日に経験することは沢山あるのに、
なぜか記憶に残るものと消えてしまうものがある。
小学校の先生のある言葉が、ずっと記憶に
残っていたり、
ある画像が鮮烈な印象に残ったりする。
世の中の森羅万象が、脳の中の限られた
記憶の「特等席」を巡って争い、
ほとんどのものは予選で落ちていく。
モナリザ、「バカは死ななきゃ
なおらない」、「人民の人民による人民のための
政治」、岡本太郎の太陽の塔。。。。
これらは、記憶オーディションの勝者なのだ。
新宿の「千草」で集英社の鯉沼広行さんと
ブンガク談義。
鯉沼さんは、新書に移る前には
文芸の編集部に長くいらしたので、
いろいろブンダン裏話を
教えてくれた。
今までの新人賞作品で一番よかったのは、
多和田葉子の「かかとをなくして」
だとか、ドストエフスキーの「死の家の記録」
が良いとか、そういう話も聞いた。
「結局、どんな作家でも、後世に残る
作品は結局2つか3つだと思い定めて、
それを残すべく努力するしかないと
思うんですよ。それで、編集者は、そのような
作品をつくるべくやるしかないと思うんですよ」
と鯉沼さん。
本を書くということと、それが残るということは
別問題である、というのはまさにその通りである。
小説に限らず、世の中のあらゆる表現は、
「記憶オーディション」をしている。
何が残るかは、単にexposureを増やせば
良い、ということではなく、半ば無意識の、
半ば感情の問題であるから、コントロール
不可能だ。
今、私たちが「歴史」として了解している
ことの背後には、数限りない消えていってしまった
ものたちがある。
「私」にとっての人生も、また同じである。
私はかつて確かに小学生だったはずだが、
その殆どの体験は明示的に想起されることなく、
しかし確実に私の人生に影響を与え続けている。
2月 16, 2005 at 08:16 午前 | Permalink
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コメント
有難う御座います。光栄です。
でも、こんなグチ書きやがってと
叱られてしまうかも。
コレで吹っ切って、老年期を
若く生きていきたいものと…。
投稿: 長谷邦夫 | 2005/02/17 17:18:55
長谷さんの 御著書
(「漫画に愛を叫んだ男たち」、アマゾンで
注文しました。
ぼくは、赤塚不二夫はDVD全集を買った
くらい好きなのです!
拝読するのが、とても楽しみです。
投稿: 茂木健一郎 | 2005/02/17 8:56:50
ほんとに茂木少年の文章、すばらしいです。
8,9才と思えない表現力です。表現力があるというのは刹那の記憶力がしっかりしてることなのだろうなぁと思いました。
投稿: Yuri | 2005/02/16 23:21:53
「忘れようとしても思い出せないのだ」
(天才バカボンのパパ)
失礼いたしました!
投稿: 長谷邦夫 | 2005/02/16 21:59:06
布施英利さま
文章の名手、布施さんにそう言っていただくと、恐縮です。布施さんが子供向けに書かれる美の本を、私は読みたい。最近、「子供の心」を失わないということのポジティヴな意味が気になってしかたがないのであります。
まゆさま
あっと忘れてしまう瞬間というのも切なくも味わい深いですよね。
投稿: 茂木健一郎 | 2005/02/16 20:41:54
「忘れる瞬間」を実感したことがあります。
落とした物がタンスの下の隙間にころがりこんでしまい、取ろうとして隙間に手を突っ込むと、指がその物にツンと当たって、もっと奥に行ってしまう。ということがありますよね。
忘れる瞬間って、そんな感じでした。
祖母に関することを思い出そうとした瞬間、「あっ、さっきまで覚えてたのに、今忘れた」と思いました。
なんでかは分かりませんが、非常にそういう実感がありました。
でも脳がなにかを忘れる原理としては正しくないのかなあ・・。
投稿: まゆ | 2005/02/16 17:19:43
茂木少年の作文、うまいです。小3なのに、既に文体が完成されているじゃん、と思いました。声に出して読むと、さらにその流麗さに感心します。茂木さんが少年時から名文家とは驚きました。
大人の茂木さんが、こんな文体で、子供向けの脳科学の本など書いたら、すごいです。
投稿: 布施英利 | 2005/02/16 13:16:30