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2005/02/14

チョコを食べて、森をぐるぐる走る理由

森本哲郎「吾輩も猫である」(清流社)

吉田真「ワーグナー」(音楽之友社)
読了。

 「も猫」はイラストが良い。森本さんが現代に
対して怒っているポイントも了。文明批評は現代
に密着していてはできない。

 ワーグナーの生涯なら暗誦できるのに、つい
読んでしまう。
 コンパクトに禁欲的にまとまった好著だが、
人間本気で生きれば喧嘩するものだ、ということを
確認できたのが良かった。マイヤーベアー、
ブラームス、ニーチェ、リスト、メンデルスゾーン
らを巻き込んだconとproの対立は、単なる党派的な
ものではなく、精神世界の運動でもある。

 対立するエネルギーすらないのが現代日本か。
時々むなしくなることがある。
 縁側でまどろんでいる猫を決め込んでいるのか、
それとも、本気でやっていることなど、一つも
ないのか。

 メフィスト系文学や、ITに浮かれている
人たちは、
 いったいどんな「人間観」を持っているのか。
 それは、よりよき人間の生き方につながるのか?
 新しい美の世界に我々を運んでいくのか?

 常に原理に引き戻して考える、という
クセは、日本では歴史的に薄弱だった。
 だから、進化論も力学もできなかった。

 一方、個別の趣向に沈潜していく傾向は
すぐれていた。
 だから、歌舞伎や若冲が出来た。

 その意味では、メフィストも2chも
日本の伝統芸能である。原理から導かれる
何かではない。のめり込む何かである。
 オタクやスーパーフラットである。

 ところが、こっちは次の進化論や力学を
模索しているわけだから、
 どうしても日本においては反主流になる。
 おいおい、もう少し原理的なことを
考えてくれよ、と言いたいが、
 主流は原理なんか知るか、と言う。

「文学賞メッタ斬り!」
のような本が、
 文学とは何か、これからの人間像とは何か、という
ような原理的考察なしに、饒舌なゴシップ・トーク
として成立してしまうところに、日本文化の強さも弱さも
ある。
 それが外に出て行くとゲイシャ・フジヤマになる。
 東浩紀のような、フランス現代思想の奥底まで
知り尽くした知識人でさえ、ゲイシャ・フジヤマに
巻き込まれてしまう。

 もうこの構図自体はずっと続いてきたわけだし、
これからも変わるはずがないから、
 こっちが個人(individual)として覚悟を
決めるしかない。
 なんだか、憂鬱である。
 うまいチョコレートでも食べて、
森の中をぐるぐる走るしかない。

2月 14, 2005 at 07:31 午前 |

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コメント

日本の原理の一つに、豊かに、安全に食べていけるように、環境を、改造するというのがありますよね。気候にかなりめぐまれ、放っておけば、草が伸びるようなこの国。人間も、放っておけば、のびて、かれて、時々、山火事が起きたりするから、おじいさんは山に芝刈りに、なんでしょうね。

でも、芝刈りに行けば、熊や山犬がいるかもしれないし、崖から落ちるかもしれない。そんなときには、まあ仕方ない。

茂木さんは、
人間をロボット化して安心を得ようというのと、
努力はするけど、ときには変なことも起こるよねというのと、
何もしない、しても仕方ないというの、

どれでしょうか?どれでもない?
日本人の原点としては、2番目が強いのではないかと思います。
中庸の考えですよね。でも、常に形が変わり、変化するものの真ん中って、どこにあるんでしょう。それは、右に行ったり、左に行ったりしながら、感じ続けるしかない。

だから、日本人の原理は「つねに感じ続け思うままに生きるべし」なのではないでしょうか?

だから、統一されないままの人間観が存在できる範囲内で存在し、対立するエネルギーは、別の流れを生み出す。
進化論や、力学は感じる事の出来る範囲での、当たり前の事でしかなく。
一神教原理主義を感じたものたちは、それにふれるうち染まる事もあった。それと権力が結びついたのが、戦国時代かな。

本気で物事に取り組む事の弊害を、自然から体感して生きてきたのが日本人。だとしたら、情報化社会に、日本人は何を体感するのか。

日本人の行く末を、荒っぽく予想すると。
思想的、身体的、社会地位的に情報化社会に最適な人は、情報化の流れをひた走り。
そうでもない人は、半情報化社会を生き続ける。
最悪な人は、反情報化社会を作り上げる。

こんなところでしょうか。

ひた走る人(ホリエモン等?)の暴挙と、
最悪な人(一部の新興宗教、NGO、虐待してしまう親等?)の暴挙。

それを見張るのは、誰の仕事でしょう?
脳の壁、情報の壁による閉鎖性が高まっている今。
積極的関与しか、手はないという事か。
それとも、インターネットの匿名性をなんとかして無くしますか?
国家管理にして、個人の特定を誰でも出来るようにするとか。
ハンドルネームの戸籍作るとか。

投稿: 倉本 | 2005/02/19 21:43:19

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