爆発工作集団の不在
スキンヘッドの迫力ある異形から、私がひそかに
「組長」と名付け、尊敬申し上げている
丸山健二さんが写真展のサイン会のために
上京されるというので、はせ参じた。
『荒野の庭』刊行記念写真展
新宿紀伊国屋
2月15日(火)
都会の喧噪を嫌う丸山さんは、安曇野から
あずさで日帰りである。
到着され、まずは新宿中村屋の3Fで
フランス料理を賞味されているところに
うかがった。
版元の求龍堂の方々や、講談社の大葉葉子
さんがいる。
ちょうどデザートとコーヒーになって、一人
先に画廊に行ってしまったというので
私がいただくことになる。
サイン会は成熟した男が多かった。
丸山さんがサインをされている間、
私は中村屋で吉田真著「ワーグナー」
(音楽の友社)を読みながら
カレーを食べていた。
終わって大葉葉子さんが電話をくれたので、
ビームスの前にある「らんぶる」に行った。
アエラの表紙を撮っている坂田栄一郎さんも
いらした。
そのうち、あずさの時間になり、丸山
さんは坂田さんたちと外へ。
「今年の庭はすごいぞ、4月から見頃になる」
と丸山さん。
ぜひ伺います、と挨拶して、
後には、大葉葉子さん、講談社学芸文庫の
堀山和子さん、講談社書籍販売局の水口来波さん
と私が残された。
どんな波が来ていたのか、ここで私は
講談社のメフィスト賞作家の文学が新しい
などと提灯持ちしているやつらなど、知るもんか、
幼稚で
下劣なやつらなんて、どの時代もいるじゃないか、
それがどうした。なんで、人間の精神の高貴な
部分、美しい部分を書かない。清涼院流水
とかいうのが千の密室殺人とか書いているらしい
けど、くだらなさすぎ、シャノンやチューリングの
堕落した下僕だろ。モーツァルトの頃だって、
ガキみたいなやつとか、人殺しするやつとか、
いたに決まっているじゃないか、でもそんなことには
一切言及しないで、16歳にして
Exsultate Jubilateを作曲して後はただ黙っている、
こっちの方がよっぽど立派だろ。堕落した女子高生の
くだらねえ話なんて、読みたくないんだよ。
そもそも、現代日本ではやりの「人間観」なんて、
ヒューマニズムの核にかすりもしないじゃないか。
また、ゲイシャ・フジヤマみたいに奇妙な猥雑物
として消費されて終わるのが落ちだよ。
ゲーテだったら会ってどんな世界観か聞きたい
と思うけど、舞城王太郎の哲学なんて、別に聞きたいと
思わないじゃん。美しく気高い核心を外して、
どんどん昆虫のような奇妙な特殊に向かっていて、
それを商売になるからと賞賛しているのが今の
一部の日本の浮かれたやつらじゃないか。
電車男がどうしたって言うんだよ。
西尾維新の特集がユリイカで出たからって、
それが何だっていうんだ。
大体、漫画とか、サブカルとか言って、バカにするなよ。
いいやつだってあるんだから、単にガキっぽい、
自己チューの、饒舌なだけの作風を漫画的
とか言っていると、良質の漫画描いている人たちが
怒るぜい。
要するに単なる幼稚なガキなんだよ!
幼稚なガキが未成熟の人間を描いて、ちょっと
哲学っぽい雰囲気を漂わせているだけじゃん。
そんなもんに騙されるな、っていうんだよ。
くだらねえ。
などと、一人で爆発してしまった。
三人は大人であるから、まあまあ、と
私をなだめた。
大人の間で、一人で爆発しているのは
とても寂しい。
こんな時、池上高志あたりがいたら、
一緒に爆発してくれるのに、と思った。
爆発工作集団求む。
何事も勉強だから、と文藝春秋を買い、
阿部和重の『グランド・フィナーレ』を
読みながら帰った。
少女趣味の情けない男の等身大の話。
現代である。
帰ってベンジャミンの植木を見つめて
いたら、少し落ち着いた。
2月 13, 2005 at 08:11 午前 | Permalink
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以前のエントリーでも書いたように、茂木健一郎の講演をポッドキャスティングして聞いている。あまりにも沢山あるので、最初はそそられるタイトルのものだけを落としていたのだが、あのライブ感が面白くて、軒並みダウンロードした。 やわらかな語り口に好感が持てる一方で、論議が白熱したときに現れる凄みが茂木健一郎の特長なのだろう。クオリア日記でも、ときどき爆発している。過激なところを引用すると、こうだ。 講談社のメフィスト賞作家の文学が新しいなどと提灯持ちしているやつらなど、知るもんか、幼稚で下劣なやつらなんて... [続きを読む]
受信: 2005/08/01 0:27:02
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コメント
はじめまして、丸山健二氏の作品との付き合いは、約35年目になります。大学時代に『朝日のあたる家』(講談社)を読みのめりこんでいきました。
私が『観念小説』と呼んできた、現数年間の、難解な小説にもじっくり読み親しんでいます。が、そろそろ初期・中期のスタイル(文体)に戻り、新大作小説を書いてほしいと念願しています。
そう考えていた矢先に、講談社文芸文庫から『丸山健二初期作品集』が出版されたことを聞き、喜んでいる次第です。
昭和48年に刊行されました『夏の流れ・正午なり』(講談社文庫)の解説が、篠田一士氏で、まるやまけんじの名文家を誉め連ねた、早くもといった感の丸山健二小説論でもありました。
今回32年ぶりのあとがきは貴方様とのこと、読むのを楽しみにしています。近著『脳と仮想』(新潮社)を、難しかったけれど私なりに様々に解釈し、面白く拝見いたしました。どうかこれからも創作活動に励み、文芸批評家等の支援のなき丸山健二氏へのますますの応援をよろしく。
投稿: 水無月(名張市) | 2005/02/16 14:58:02
僕の場合は、生活が不安低で、他人に迷惑をかけるのが怖いから、心底の爆発はできません。
時々しても、「幼稚なガキが未成熟の人間を描いて、ちょっと哲学っぽい雰囲気を漂わせているだけ」と同じになってしまいそう。
それとも、爆発を繰り返しているうちに、茂木さんが言うような高みに登れるのだろうか・・・。何事も経験?
時々爆発しないと、頭がおかしくなりそうになるのも確か・・・。
みんなは、こういう気分を、お酒と、カラオケ、異性に向けている様子。
僕もそういうときがあるけれど・・・。
ただ、蒸し焼きにしてくすぶり続けるのも好きですよ、時々、備長炭みたいな物も生まれるような気が・・・するような、しないような。いや、やっぱり嫌いかも。
疲れたので散歩でもしてくるかな・・・。自然が恋しいのは、日本人の性?中庸って難しいですね。
投稿: 倉本 | 2005/02/13 15:23:33
爆発をしてみたいものですが、多分怒ると爆発するより、地味にくすぶるだけなので、工作集団には参加できそうにないのが残念です。
祭(草かんむりつき)國強さんの火薬アートのことを思いました。
投稿: Yuri | 2005/02/13 14:13:45