思わず声が出るのはなぜか
完全に風邪への下り坂を滑り落ちつつあるのが
わかったので、
夜はおとなしくワールドカップ予選を見た。
英語では、world cup qualifierという。
途中で、4年前に買った8番小野の
日本代表シャツをひっぱりだして着た。
なぜ小野かといえば、レッズだったからである。
しかし、途中でふとテレビのユニフォーム
と私のを見比べると、模様が違う。
私のは、肩に白い三本線が入っていない。
デザインが変わったとは知らなかった。
なんだか仲間はずれになった気がした。
なぜ、サッカーを見ていると、
思わず声が出るのだろう。
日常生活では「そこだ!」「いけ!」
「よし!」などと叫ぶ、などという
ことは全くあり得ない。
そこまでアブナクはない。
してみると、サッカーの試合を見ることの
意味は、
「思わず声が出る」という希有な体験を
するということにあるに違いない。
デルタ関数的な解放である。
カテゴリーを誤解している、ということは
時々ある。
ハリウッド映画の娯楽大作の良さは、
はらはらドキドキして、ああ面白かった、
という「マッサージ効果」だとある時悟った。
翌朝何も残らない。良い日本酒と同じである。
これが、タルコフスキーや小津安二郎だと
もやもやしたものが後に残って仕方がない。
3年経っても10年経っても、まだもやもや
している。
『ストーカー』や『秋刀魚の味』の場面が
フラッシュバックして仕方がない。
まるでPTSDである。
そこを行くと、ハリウッドの娯楽大作は
大したものだ。
立つ鳥後を濁さない。
別に悪い意味で言っているのではない。
もちろん半分は皮肉である。
私にとってのサッカー試合(特にワールドカップ
関係)の機能は、思わず声が出る、という
ことに尽きるのかもしれない。
すばらしい機能だ。
小野のユニフォームを着るというような、
バカなことをする。
思わず声が出て、バカなことをする、という
機能は、カラオケに似ているという気もするが、
とにかくいい試合だった。
サッカー選手には、全面的に賞賛を惜しまない。
あの運動量で、反射神経で、難しいことをやっている。
日本代表を張るのは、大変なことだ。
全国のサッカー少年は、限りないあこがれの
想いを込めてみていたのだろう。
途中から、私もサッカー少年のつもりで
見ることにした。
だから、今朝はサッカー少年のままで、
風邪を引いている。
2月 10, 2005 at 06:28 午前 | Permalink
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コメント
「デルタ関数的な解放である。」って、面白いものの捉え方ですね。こういう表現すごく好きです。
投稿: yama | 2005/02/11 17:17:07
小生も時に罵声まじりの声をあげてました。
北朝鮮いいチームでした。彼らのプレーは
純粋なサッカーでした。
前半の惜しいシュートはずした選手。その
くやしがる様をみて、はっとしました。
スポーツなのだ。政治となんのかかわりもなく
試合に勝つ為にひたむきなんだ。
後半1点返された場面、そのシュートにおもわず
拍手しておりました。
いいプレーはいいものです。わだかまりなどすでに無く、サッカーを堪能できたゲームでした。
ファールがおおかったのもそうすることでしか止められなかったからでしょう。
もう1点はいると負けることは選手が知ってた上のファールでしたね。
平壌でのアウェイ、楽しみです。
投稿: ストン | 2005/02/10 14:12:37
『ストーカー』、傑作ですね。
やはり忘れられません。
自分では、こんな絵が描けないので、
真似をするつもりで、詩を書いて
しまったことがあります。
投稿: 長谷邦夫 | 2005/02/10 10:05:20