憲法9条アンケート
広告批評 2005年2月・3月合併号 No.290
憲法9条アンケート
私の回答
【質問1】
日本国憲法の第9条を改定することについて、賛否とその理由をお聞かせください。
私は、国の政策判断の基準は、明文のルールでは書けないというイギリスの非成文憲法の精神に共鳴する。大切なのは、条文よりも原理である。英語のconstitutionは、国の成り立ちという意味であり、聖徳太子の「十七条憲法」の条文というイメージが強い「憲法」という訳語を当てたのは、誤訳とさえ言える。人類が長い歴史の中で苦労してつかんできた平和や民主主義、平等といった原理をいかに発展的に継承していくかということの方が、条文にこだわるよりも大切なことである。条文を墨守するという日本の官僚に時折見られる態度は、できそこないの人工知能のようである。立場が何であれ、憲法の条文にこだわる態度も、どこかそれに似ていないか。日本の政治状況の問題点は、むしろ、原理を大切にしない点にある。9条を改正しようという側、守ろうという側がそれぞれ依って立つ原理は何なのか? その点に関する議論を深めることこそが、日本の政治を巡る言説の成熟につながる。
【質問2】
改憲問題のほかにも、温暖化問題や教育問題なども大きなテーマになっていますが、それらを含めて、この国のあり方や方向などについて、お考えがあればお聞かせください。
日本は、今、自らのアイデンティティが何であるかわからなくなり、新たな自己像を模索する魂の危機(spiritual emergency)の時期を迎えている。ベンヤミンが「アウラ」という概念で記述したように、歴史上の文脈は二度と戻ってこない。グローバリズムの中で日本が置かれている文脈を引き受けて、新たな自己像を模索するしかないのである。危機は、創発(emergence)と結びつく。人間は、しばしば際(きわ)を歩むことで、新しいものを生み出してきた。現在の危機を創発に結びつけるには、むしろ従来の日本像にこだわらないオープンな姿勢が必要とされる。どんなに前衛的であろうとしても、どうせ過去は引きずる。ならば、思い切り自己を開き、未知の幸運と出会うセレンディピティに賭けるのが良い。
2月 9, 2005 at 08:53 午前 | Permalink
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