逃げない
お昼は、AIBOやQRIOを造った土井利忠
さんと一緒に。
田谷文彦くんも一緒。
前半は、天外伺朗さん的なことを話したが
後半は、最近のロボット研究業界の
うわさ話に。
土井利忠=天外伺朗(ペンネーム)
である。
山の上ホテルで、ジャーナリストの野村進
さんと対談。
2001年3月30日、31日にあった
養老シンポジウムで、東大の山上会館で
お会いして以来である。
いつもの脳の話もしたが、
相手が野村さんなので、昨今の社会情勢
のことも俎上に。
なぜ、最近は日本人論が流行らないのだろうか、
という話題に。
野村さんの結論は、それは日本人が
自身を喪失しているからだろう、ということ。
なるほど、だから、隣国の中国に
Schadenfreude
を向けるような雑誌の記事や本が流行るわけである。
私は、他人様のことはどうでも良いから、自分の
ことをちゃんとしなければと思う。
昨今の日本が特に好きなわけでもないが、
仕方がない。漱石も、『文学論』序でこんなことを
書いている。
倫敦に住み暮らしたる二年は尤も不愉快の二年
なり。余は英国紳士の間にあって狼群に伍する一匹
のむく犬の如く、あはれなる生活を営みたり。(中略)
帰朝後の三年有半も亦不愉快の三年有半なり。去れ
ども余は日本の臣民なり。不愉快なるが故に日本を
去るの理由を認め得ず。(中略)是れ余が微少なる
意志にあらず、余が意志以上の意志なり。余が意志
以上の意志は、余の意志を以て如何ともする能はざ
るなり。余の意志以上の意志は余に命じて、日本臣
民たるの光栄と権利を支持する為めに、如何なる不
愉快をも避くるなかれと云ふ。
先月号の『新潮』で浅田彰が「昨今の日本の
最悪のイデオロギー状況」と発言していた。
そうかもしれないし、そうではないかもしれない。
いずれにせよ、逃げない。
自分のことをちゃんとするしかないじゃないか。
日本人が今、自己のアイデンティティの危機に
陥っているとすれば(私は陥っていると思うが)
自らの底に降りていって、深層から何か鉱脈を
探り当てるしかないと考える。
適当にガス抜きしている場合ではないだろう。
一つ大きな仕事を終えたら、気が少し
ラクになったが、考えてみると前に山脈が
延々と続いている。
誰にとっても、そうなのであろう。
終わりなど、ない。
『明暗』が未完のまま世を去らなくてはならなかった
漱石のことを思う。
『漱石の思い出』の末尾にある、漱石の死後の
解剖学的所見を述べた講演の筆記録
夏目漱石氏剖検(標本供覧) 長与又郎博士述
は凄みがあった。
「ここに文学があった!」と叫びたくなった。
何がどうなのかはここでは書かないが、
この講演録を読むだけでも『漱石の思い出』を
買う価値がある。
私の持っているのは文春文庫である。
2月 8, 2005 at 07:01 午前 | Permalink
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