« 脳とデザイン 第2回 | トップページ | 「脳とクオリア」 7刷 »

2005/02/05

フランス式キスの不在について

ランチタイムに、品川プリンスホテルの
38階の寿司屋にいった。
 アーノ(2年前に研修学生として研究所に
滞在)とアドリーヌが、3週間の日本でのバカンスを
終えてフランスに帰国するので、
 その前にランチを、ということになったのである。

 ここには時々行く。研究所から歩いて
15分で、見晴らしがいい。
 眼下に山手線、東海道線、横須賀線、
京浜東北線、新幹線が走り、
 「鉄ちゃん」にはこたえられない。
 東京タワーマニア、六本木ヒルズマニアにも
こたえられない。
 晴れた午後には遠くレインボーブリッジも見える。

 柳川透(東工大博士課程)と佐塚直也(東工大博士課程
ー>ソニー)も同席。
 アーノとアドリーヌのよちより歩きの赤ちゃん、
ルーも同席。
 ルーは小さなどんぶりに白いご飯をもってもらい、
それをフォークで食べてごきげん。
 床の上をのっしのっしと歩きまわり、
アーノが「ゴジラだ!」と言う。
 しかし、このゴジラは炎を吐かずに
目をきょろきょろさせる。

 いずれパリで春永に、と別れたが、
あとで、柳川がアドリーヌとフランス式
わかれの挨拶(両頬にちゅ、ちゅと軽く
キスする)があるのではないかと
ドキドキしていた、ということを知った。

 実際には、フランス式キスも
握手もなかった。
 じゃあね、とにっこり別れただけである。

 同じ場面で、私はポケットに手を突っ込んで、
ぼーっと立っていただけなのに、
 柳川は内心どきどきの乱れを感じて
いた。まさが柳川がそんなことを
考えているとは、思わなかった。
 透ちゃんも成長して大人になった。

 物理的には同じ光景でも、
心象風景は違っていた。
 当然、アーノ、アドリーヌに映る
風景も違っていたはずだし、ベビーカーに
乗せられたルーに映る風景も違っていた
はずである。

 芥川龍之介の『藪の中』につながる
齟齬は日常に常にあるわけで、それは言った、
言わないの論争をしてみれば身に染みてわかる。

 京都大学の斎藤亜矢さんが研究所のセミナーに
来た。修士論文の内容を発表していただく。
ラウンドテーブルに座った私たちと斎藤さんの
見る風景は違っていたことであろう。

 山には雪が降り積もり、空には太陽が
輝き、
 粉々に砕けた姿見のような断絶した主観性の
中に、世界は少しずつ違った姿を見せている。
 もし神がいるとすれば、
神は砕けた姿見を合わせた時に現れるのではないか。 

2月 5, 2005 at 08:48 午前 |

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: フランス式キスの不在について:

コメント

この記事へのコメントは終了しました。