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2005/01/06

バッターボックスの緊張感

三宅美博さんの研究室の高野弘二さんの
博士論文の中間発表を聴くため、
 東京工業大学のすずかけ台キャンパスへ。

 歩きながら何を考えるか、というのは
大切なことのように思う。
 最近は、自分の人生が今こんな状況になっている
とか、
 できるだけメタなことを考えるように
している。
 何かの仕事や作業に没頭しているときには、
メタ認知がなかなか立ち上がらない。
 ふらふらと歩いている時が、
そうか、オレの人生は今こういう状況で、
こんな課題があるのだな、と「外に立った」
視点が立ち上がりやすい。

 歩きながらもの想いにふけりやすい道と、
そうではない道がある。
 すずかけ台の駅から、東工大のキャンパス
に至り、そのまま草むらの中を歩いていく
アプローチは、決して長くはないが、
ものを考えやすい道である。
 すずかけ台キャンパスの学問的
インフラの一つと言えるのではないか。

 高野さんは発表会場の前のソファにいて、
少し早く着いたので、ちょっと雑談した。
 その時は余裕に見えたのに、
 会場に入り、審査員の先生たちが
そろい始めると、前に立った高野さんは
「ああ、緊張し始めた」と独り言を言った。

 博士論文の審査のような、人生の通過儀礼の
福音は、まさに、緊張させることにあるのではないか。
 学問の高度な達成を
目指した緊張だから、というだけでなく、
 良質の緊張そのものの中に、人間の魂を
慰撫する何らかの作用が含まれている。
 
 子供の頃、チャンスで
草野球のバッターボックスに立って、
ツーストライクまで追い込まれた時、
 三振してしまうのではないか、いや、
ヒットを打ってやろうと葛藤を抱えながら
次の投球を待つ。
 あの時のような良質の緊張感を大人になっても
持ち続けられるか。

 高野さんの発表は水準が高く、論文も立派で、
緊張することもなかったと思うのだが、
 緊張感の持つ効果を考えれば、緊張したことには
きっと意味があった。
 高野さんは、ツーアウト満塁でバッターボックスに
立っていたのだ。

 小俣圭、柳川透もそろそろ博士の中間発表
までのスケジュールを考えなければならない。
 そのことについては、私もいろいろ考え、
やらなくてはならないことがある。

 今年は課題が山積である。
 自分の人生をメタ認知し、今年心掛けなければ
ならないことを数え上げて行くと、
 良い意味での緊張感がこみ上げてくる。
 
 その緊張感を、「大人の仕事」
という文脈にとどめるのでは
なく、子供の頃の草野球のバッターボックスの
緊張感につなげていくことが、
 創造的であるために
 きっと大切なことなのだ。

1月 6, 2005 at 07:19 午前 |

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「思考停止 脱しよう」というメッセージ。 “頭の糖尿病”だそうだ。 賛同。 ナショナリズムを鼓舞するのでなく、それでも、日本の伝統に根ざした“文化”を継承す... [続きを読む]

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