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2005/01/27

国家の概念

 先日いらした帆足亜紀さんは、
「日米学生会議」で私の同期だった。

 みんなで一ヶ月アメリカ各地をまわったが、
まだ20台前半の若造だった私にとって、
アメリカの学生といろいろ議論したのは
大変良い思い出になっている。

 私は国際関係のフォーラムにいて、
「国家の概念」について論文を書いた。
 同じフォーラムの道場くんが、
concept of nation? concept of nation?
what?!
 と頭を抱えていたのを、今でも思い出す。

 私が書いた論文は、今でいうsmall world network
のようなもので、
 要するに国なんて相対的なもんだろう、
情報のやりとりのネットワークの粗密で定義
されるだけだから、
 ネットワークのアーキテクチャーを変えて
しまえば国家なんてどんどん変わっていく
(変えてしまえ!)というのが私の主張だった。

 当時私は法学部に属していたけど、
リーガルマインドに物理屋のアナーキズムが
結びつくとああいうことになる。

 あれから20年。国民国家の歴史的必然性とか、
パワーストラクチャーの切実性とか
エトスとかパトスとか、年齢なりに酸いも甘いも
かみ分けたようになってきたが、
Nation Stateをまるでアプリオリに天から与えられた
もののように論ずるやつらのことなど
知ったことかという気持は変わらない。

 太陽の真ん中で4個の水素原子が核融合して
ヘリウムとなり、
 そのγ線が8分19秒かかって地球に
降り注ぐ。
 それがこの宇宙であるわけですが、
それで、なんですか、そのnation stateというのは。
へえ、そんなもののために、戦争したり、
エラソーな判決を

下したりするんですか、ご苦労さまですね。
 そんなパンクな気分は、全てのまともな
創造者に共通なんじゃないか。
創造性にはまったく興味がないような、
ストーンヘッドのやつらはどうだか知らない
けどね。

この宇宙をまともに観れば、
そこにあるのはabsurdityであり、
だからこそhumanな価値を大切にすべき
なのであり、
その中からしか、本当のbeautyもtruth
もつかみ取ることはできない。

こんなことを書くと、「コイツは何を言っている
んだ〜」をアタマを抱え込む「文系」の人が
いるかもしれないけど、
知ったこっちゃない。
科学的世界観のabsurdityは、そんなに
底が浅いもんではありません。
科学者というと、白衣を着て試験管振っている
害のないヒトタチだと思っているかもしれないが、
本当にモノゴトが判っている科学者が
胸のうちに秘めているabsurdityの根は深い。

池上高志や、寺田寅彦の微笑みの裏に
何が隠れているのか、もっともらしい法体系を
振り回しているやつらには想像も付かないだろう。

1月 27, 2005 at 08:40 午前 |

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» 文系・理系について2 トラックバック アマチュアサイエンティスト
なんでも二値化(理系・文系)にしてしまうのが問題であって、二値化は必要である。っ [続きを読む]

受信: 2005/01/28 11:53:16

コメント

こにた様

コメントありがとうございます。現代が、専門性を深く掘り下げるとともに、こにたさんの言われる「クロスオーバー」をしないとどうしようもない時代であることは明らかであると思います。そうしないと、解けない問題がある。
私自身は、自分を文系とも理系ともカテゴライズしていません。強いて言えば「分類不能」かな。こにたさんも、「分類不能」仲間になりませんか!

投稿: 茂木健一郎 | 2005/01/28 10:28:44

文系ですが、同感です。
「Nation Stateをまるでアプリオリに天から与えられたもののように論ずるやつらのことなど知ったことかという気持」でおります。

そのことに連帯表明をした上で、少し別のことを書きたくなってしまったのでご容赦を。

この、[文系/理系]何とかなりませんかね。[文系]社会では、茂木さんを「久々に文学の解る理系学者」に仕立ててるわけですが。
一方で、茂木さんご自身、[理系]社会の硬直状況、[学会]的発想については別のところに書いていらっしゃいますよね、たしか。

大学で教養教育として、対象学生をクロスさせた場合、融通が利かないのは理系の教員の方が多いという印象があります。文系どころか専門外の人に語るための言葉を持って居ない。
偏見でしょうか。私自身は、理学部の学生に[文学]の講義をするのはとても楽しいと思っていますし、そうやって仲良くなった理系の学生もそれなりに。

つまりは相互の無理解。本当は、こういうカテゴリーを立てて群としてみることに何にも意味はないのですよね。

国家論に無理矢理戻す事も可能な気がします。空間や血縁による共同体ではない連帯が国家を形成できるのかどうか、私にはよくわかりませんが。可視的な判りやすい指標で分類して固まるのはどうもいただけません。

投稿: こにた | 2005/01/27 20:08:20

エラソーな判決?もっともらしい法体系?
茂木さんにとってはabsurdityにうつるのかも知れませんが、私のような凡人には至極まともに思えます。
特に判決後の会見を見、今までの活動を検索すると、その思いを強く致します。


投稿: jam | 2005/01/27 16:05:42

我田引水ながら、たった今苦労して「過剰」についてやっと考えの糸口がつかめたところで、(→過剰)、それで少しほっとしてこちらを覗くと、いきなり absurdity でした。快哉です。こうスバッと話が切り出せないところ、はやり私も「文系」なんだな。

この次は過剰に absurdity を取り込もうっと。(最初からほとんど同じことなんですが。)

投稿: おしょう | 2005/01/27 10:59:52

我田引水ながら、たった今苦労して「過剰」についてやっと考えの糸口がつかめたところで、(→過剰)、それで少しほっとしてこちらを覗くと、いきなり absurdity でした。快哉です。こうスバッと話が切り出せないところ、はやり私も「文系」なんだな。

この次は過剰に absurdity を取り込もうっと。(最初からほとんど同じことなんですが。)

投稿: おしょう | 2005/01/27 10:58:42

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