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2005/01/25

補助線を引くこと。

この前、朝日カルチャーセンターの
飲み会の後で、
 テレビマン・ユニオンの花野さんに、
「茂木さんをどう定義づけていいか
わからなくて困るんですよね」と言われた。

 オレも困っている。
肩書きは、一応「脳科学者」としているけど、
本当は「その他」(others )としたい。

 花野さんは好意的な意味で言ってくださった
のだけど、
 いわゆる「専門性」を重視する人たちからは、
時に敵意を感じることがある。
 知ったことではないが、
 補助線の引き方が勝負だとは思っている。

 幾何学の問題で、線を一本引くと
一気に問題が明快になる。
 蛸壺化を超えるには、うまい補助線を引くしか
ないのではないか。
 齋藤孝さんの言う「大技」である。

 アーカスプロジェクトの帆足亜紀さんが
研究所に来て、
 プロジェクトのあらましを話してくださった。
 芸大から、植田、杉原、蓮沼も来た。

 植田たちが、アートのことを帆足さんと
いろいろ喋っているのを聞いていて、
 ああ、アート固有の専門性というのは
こういうものかと思った。
 しかし、私の仕事はその外側の一見関係
ないものとの間に補助線を引くことだから、
とりあえずothersとしてそこに入っていくしか
ない。

 不思議なもので、othersとして補助線を引こう
としていると、
 ちゃんと共感したり、支持してくださる
人たちもいる。
 もちろん摩擦もあるけれども、
 「沈香も焚かず屁もこかず」よりは良いの
ではないか。

 私の全ての活動の根底には「感動」
があって、
 別に世間的に偉くなろうとか、人に認めて
もらおうとか、そんなことが第一義的なのではない。
 科学をやっているのも、アインシュタインの
相対論、ヘイゼンベルクの量子力学のような、
とてつもなく深い世界認識の在り方に感動した
からである。
 いわゆるconventional scienceの枠内に
とどまる気がないのも、そこに本当の意味での
感動がないと思っているからだ。

 心脳問題というのは、結局、心と脳という
全く属性が異なるものの間に補助線を引こうという
試みなのだろう。
 いくら難しくても、他に根源的な感動を与えて
くれるであろう問題がないんだから、しかたがない。
 当分はothersとしてあれこれと補助線を
引いていくしかないだろう。

1月 25, 2005 at 06:24 午前 |

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