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2005/01/21

文脈の海に飛び込む勇気

考えるべきことが随分たまってしまったので、
久しぶりに1時間歩いた。

 「自分探し」というメタファーは、
間違っていると考えているし、
 本の中にも書いた。
 しかし、歩きながら、次第に社会的
文脈から解き放されていくと、
 なるほどと思うことがある。

 この数日の不調は、結局、文脈病だった
ように思う。
 このところ、社会的文脈の中で、
こんなことをしなくては、この仕事を
終わらせなければということが続いて
来た。
 文脈があることはありがたい
ことだが、
 息苦しく感じることもある。
 誰にでも思い当たることがあるはずだ。

 そんな時、砂漠に行ったり、海辺を
歩いたりすれば、なるほど、文脈が
外れて裸の自分が出てくる。
 「自分探し」とは、社会的文脈を
脱ぐことかと思えば、納得がいく。

 歩きながら考えることは、
短期的な仕事に結びついている
ことではなくて、
 とてつもなく根本的だが、
しかしとりあえずはどうすることも
できない問題である。
 「今」という時刻の特別性、
「私」という存在の絶対性、
他者との絶対的隔絶といった
問題は、明らかに重要であるが、
 社会的文脈に容易に結びつけようも
ない。

 そして、そのような根本問題は、
きわめて私秘的(プライベート)な
意識の中の感覚として捉えられているのだ。

 青春というのは、つまり、そのような
文脈付けしようもない根本問題が
生活のかなりの部分を占めてしまうことを言う
のだろう。

 社会的文脈の中で「成功」している
人を見ても、それはそれだけのこと
であって、さほど心を動かされなく
なってしまったのは、
 結局、文脈の中に存在し、機能する
ということが、
 私秘性から遠ざかるベクトルだと
見極めたからではないか。

 ただ、ごく一部の人たちだけが、
社会的文脈を引き受け、同時に
私秘的な感覚に寄り添い続けるという
両義性の奇跡を
実現しているように見える。
 そのような人たちが創り出した
作品に、私たちは感謝の気持ちを捧げる。
 あいつは天才だ、と讃える。

 文脈から離れて裸の魂になる。
 そんな時間を持つことで、
また文脈の海に飛び込む勇気が出来るのだろう。

1月 21, 2005 at 06:28 午前 |

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しばらく前に自分の立ち位置があいまいになり、足元がふわふわし続けた時期があった。... [続きを読む]

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