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2005/01/18

青春の空白

お昼過ぎくらいから、胃腸の調子が少しづつ
回復してきて、仕事をする気力がわいてきた。
 復活ののろしは、Lotte ラミー・チョコレート
だった。
 それで、やらなければならないことを
次から次へと片づけていった。
 
 仕事は集中して、ぱっとやるのが好きである。
 なぜかと言えば、やりたいことが本当は
沢山あるからだ。
 素早く終わらせていかないと、やりたい
ことをやるだけのスペースができない。
 しかも、やりたいことは本当は予め
決まっているわけではなくて、
 セレンディピティを通して出会う
こともあるのだ。

 本来は、人生の時間の2割くらいは、
予め何をするか決まっていない、ワイルドカード
であることが望ましい。
 空白は、空白のようで空白ではない。
 このあたりのことを、金曜日に朝日カルチャー
センターで対談する原研哉さんと話し合いたい
と思う。

 胃腸の調子が悪かった朝、寝転がって
『三四郎』を再び一気に読了してしまった。
 何だか胸がいっぱいになった。
 青春というものはこういうものである。 
 美禰子に惹かれ、破れる三四郎はもちろんだが、
 与次郎や広田先生も青春の中を歩んでいる。
 青春とは何かといえば、それは大いなる空白の
ことではないか。 
 三四郎の恋人とは、実は空白のことである。

三四郎もつづいて庭を出ようとすると、二階の障子が
がらりと開いた。与次郎が手欄の所まで出てき
た。
「行くのか」と聞く。
「うん、君は」
「行かない。菊細工なんぞ見てなんになるものか。ばかだな」
「いっしょに行こう。家にいたってしようがない
じゃないか」
「今論文を書いている。大論文を書いている。なかなか
それどころじゃない」
 三四郎はあきれ返ったような笑い方をして、四人のあ
とを追いかけた。

 このあたりの調子が好きである。むろん、与次郎が
大論文を書き上げるはずがない。書き上げない
のにそのつもりになっている。それが
青春の空白だ。

 やたらと忙しがっているやつはバカである。
 空白のない人生に、何の意味があろうか。
 養老孟司さんが、予定が入ってしまった未来は、
現在と同じであると言われたことがある。
 未来に予定を入れないためにも、今目の前に
ある仕事に集中して、片づけていくことに
しよう。

1月 18, 2005 at 06:54 午前 |

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