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2005/01/11

ライオン・キング

ミュージカルの公演には、自分から行った
ことはない。
 『キャッツ』も、
ニューヨークで見た『コーラス・ライン』も、
薦められてどちらかといえば気が進まないまま
行った。
 
 最後に見たのは『オペラ座の怪人』で、
十数年くらい前のことになると思うが、
ミュージカルというジャンルを忘れかけて
いた昨日、『ライオン・キング』に行く
ことになった。

 浜松町の駅から歩いてすぐの劇団四季の劇場は、
内装がヨーロッパを思い出させた。 
 私は劇場空間というものが
好きなのだな、と思った。
 暗がりの中、ぬくぬくと暖かいものに包まれて、
舞台で何かが始まる気配がたまらない。

 『ライオン・キング』は、視覚的には
大変よくできていると思う。
 ミュージカルで、多くの劇団員が生活できる
「システム」を創った劇団四季は大した
ものだし、
 多くの観客を集めているわけだから、
支持を集めているのだろう。

 私は、どうしてもオペラの名作から
受ける感動と比べてしまうが、
それはこっちの都合だ。『ライオン・キング』
を楽しんでいる子供をたくさん含む観客には
そんなことは
関係ないということくらい判っている。

 ウィーンで見たリヒャルト・シュトラウスの
『エレクトラ』(ハリー・クプファー演出)は
存在の根底が揺らぐような感動を与える
名演だった。
 しかし、そんな化け物みたいなものを
システムとして毎日やるわけにはいかないことも、
不特定多数の
観客の大量動員もできないことも判っている。

 現代の人間も、『トリスタンとイゾルデ』のよう
な作品に込められた仮想のヴィジョンの真実性を受
け止めることは知っている。東京でも、ロンドンで
も、ニューヨークでも、成功した『トリスタンとイ
ゾルデ』の上演の最後には、暴動が起きるのではな
いか、新しい宗教がそこに誕生するのではないかと
いうくらい、聴衆が熱狂する。
(茂木健一郎 『脳と仮想』(新潮社)より)

 あまりにも凄いものは、マスを動員する
商売にはなりにくい。
 魂の表面をマッサージする程度の方が商売に
なる。
 スペインの闘牛は、魂の奥まで切り込んで
くるけれど、
 やはりローカルな娯楽に留まっている。
 ミュージカルは、グローバリズムの本拠、
アメリカで発達しただけのことはある。 

 それにしても、『ライオン・キング』で、
ダンサーの動きが
ぴたっとはまって、何やらカートゥーンの
主人公を見ているように思える時に感じる
違和感は何なのだろうと思う。

 私は、完璧なフォームで斜面を
滑ってくるうまいスキーヤーよりも、
 ちょっとぎこちないスキーヤーの方が
魅力的に感じる。
 そのことに気付いた時には驚いたが、
 システムに絡めとられるよりも、
ぎこちなさの印象を与えるくらいの方が、
きっと「個」を感じさせるのだろう。

 だからこそ、もっともキャラが立ち、
英語でいういわゆる「ショウを盗む」
存在が役の名前は判らないけれど、プンバァ(イノシシ)
とティモン(ミーアキャット)だったことも
うなづける。

 音楽的に言えば、強く印象に残るメロディーが
ないのが泣き所か。
 唯一、おおっと魂がざわざわしたのは、
挿入された「ライオンは寝ている」だったが、
これはもともと押しも押されぬ名曲である。
 ディズニーと原曲の作曲者との間には
訴訟騒ぎが起きている。
 「ライオンは寝ている」の舞台である、
南アフリカに行ってみたくなった。

1月 11, 2005 at 07:58 午前 |

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